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硝子の籠に入れましょう





嗚呼、平和の時代の幕は閉じた。

次に始まる物語
血の様に赤い天鵞絨の重たい重たい幕が開く。
さあさあ皆様お立合い、
これから始まるお話は、迷子の子供の物語。

悪い怪物に呪われて、迷子になった子供が一人。
子供は家に帰るため、唯々歩みを進めている。
しかし呪いのせいで、
帰る場所が解らない。
何処にいるかもわからない、
伸ばす手は空を切るばかり、なんて哀れな子供でしょう。

ある時、子供の手を引くものが現れた。
甘い言葉と暖かな手でこっちだよと共に道を進んでいきます。
嗚呼よかった、これで帰れる。
そう子供は安堵してその手をしっかりと握ります。
よかった帰れるそう思い、その手にひかれて歩いていく。

これでめでたし、大団円そう思ってはいませんか?
いえいえそう簡単には終わりません、

だって、手を引いたその者は、
一言もその道が、正しい道とは言っていない。
己が求めるその道に子供を道連れにしているだけなのです。

もうお気づきでいるでしょう。
幼い手を引くアレこそが
子供を呪った怪物なのです。

ご観劇の皆々様、
怪物に捕らわれたこの子供がどのような結末を迎えるのか
篤と御覧じろ。


*
左手が暖かいなと思い、凪はゆっくりと目を開く。
視界に誰かの膝に置かれた自分の左手を薄く大きな手が緩く包み込んでいるのが見えた。その手の持ち主は凪が目を覚ましたことに気が付いたらしく、視線を読んでいた新聞から彼女へと移す。
「起きたか?」
紡がれた声色は、普段の彼からは考えつかないほど柔らかい。パサリと新聞を机に放ると、起き上がった彼女の前髪を整える。
凪は自分を捕えるその青緑色をしばらく見つめて、それが誰なのかやっと認識をした。
「お兄ちゃん」
そう呼ばれた彼、荼毘の梳いていた手が微かに震える。
嗚呼、良かった凪は己の事をまだ【兄】と思っているのだ。彼女に気が付かれないようにほっと息を吐く。そんな様子に気付くことなく凪は彼に外はどんな天気かと尋ねた。
「晴れてる、真昼間だからな日差しが強い。」
まだ秋は遠いみたいだ。そう事もなげに答える荼毘にそうなんだねと返し少し口を閉ざしてしまう。
すこしの沈黙の後、意を決したようにあのねと口を開くがその続きは荼毘の駄目だと言うひとことにより出る事は叶わなかった。
「外に出たいって言いたいんだろ。駄目だ。」
「どうして?」
「また、倒れたら嫌だろ。」
「でも、昨日も今日も頭は痛くないし、胸だって最近苦しくなってないよ、だから…」
「凪」
静かに優しく名前を呼ばれると、凪はこれ以上は何も言えなくなってしまう。荼毘はそのままワラキアも良いと言っていたかと続けた。彼女は黙って首を横に振る。
「あいつは凪を診てくれてる医者だろ?」
「うん」
「医者が良いと言わないのは、まだ体調が良くないからだ」
わかるよなと説き伏せるように言われ、凪はうんと頷いた。荼毘はそのまま俯いてしまった彼女の頭を撫でる。
凪が外に出たいと願うようになったのは今日が初めてではない。神野区の悪夢と語り継がれ始めているあの日から彼女は隔離されているのだ。
彼女と【轟焦凍】との刹那の邂逅により発生した様々な変化はワラキアと荼毘には不都合だらけのものであり、現在その処理作業をしているのである。
言ってしまえば記憶の切除だ。
記憶にはいくつかの種類がある。そこからエピソード記憶と呼ばれる箇所にある、あの日の詳細な出来事を凪の頭から少しずつ消しているのだ。
残されるのは夜の森に行ったという朧気なものになる。
この作業によって彼女の脳は恐らく莫大な負荷が掛かると予想され。外部からの刺激、データや情報をできるだけ遮断するようにと、窓も時計もない部屋にいる事を凪は余儀なくされた。
「凪は何故此処にいる?」
「…体が悪いから。」
「そうだ、治すために此処に居るんだろ。いい子だから」
大人しくしていてくれ、そうなれた動作で彼女の目蓋に口を落とす。そうすれば凪は素直に言う事を聞くのをわかっていた。
「お前が苦しむのは耐えられない」
そう握っていた彼女の左手を親指で擽るように撫でる。
苦しむのも何も此処にいる事自体が害がある事なのによくもまぁ言えた物だ。いるべき場所を、あるべき記憶の何もかもを奪い、嘘を塗り固め雁字搦めにしてこちらに縛り付けているのは自分達であるのに。だが、己の継ぎ接ぎだらけのものとは違うこの手を離すつもりも、アレに返すつもりもない。

あの夜、すべてが終わったあと荼毘は彼女の様子を見に来ていた。薬の効果で眠る凪の頭に触れようとした時の事である。
不意に彼女が目を開き荼毘を見て不意にこう言ったのだ。
『しょうと』
そう紡ぐと凪またすぐ目蓋を閉じて深い眠りに落ちる。
恐らく無意識に発せられたその言葉の意味も彼女はわからない、だが荼毘を凍り付かせるものには変わらなかった。
絶句している彼にワラキアは、記憶を弄ると告げる。
それにより、今まで以上に彼女は記憶維持も難しくなるかもしれない、それでも良いかと付け加えた。ワラキアは処置後の影響は己の研究には何も支障がないので構わないらしく。このまま放置しておくと記憶が戻ってしまう可能性があるからそう急に済ませたいと続ける。
荼毘は一言、任せると言い、凪に伸ばしていた手を彼女の額に滑らせる。
「早く消えてくれよ」
お前は邪魔なんだ、心底恨めしいと言いたげにでたそれはその場に居ない誰かに向けての言葉だった。

そして、凪からまた少しの記憶が消されることとなり、その処置は今もなお続いているのである。
「許可がでたら何処にでも、凪の望む場所に連れて行ってやる。」
そう言うが、彼女は平気だと答えた。
「お兄ちゃんが会いに来てくれるならそれでいい。」
嗚呼、良かった。
まだ自分は【お兄ちゃん】でいられる。


*
「滑稽ね」
そう部屋の様子が見える画面を眺めながらワラキアはそう呟いた。窓の外は激しい雨が夜の町に降り注いでいた。


逃すことの無いように、大事に大事にしまいましょう。