5.花火のような恋だった


 小さい頃から周りの人間と意識的に距離を置いて付き合ってきたから、今まで、それなりに友達はいても、「親友」と呼べる人間はいなかった。

「那津、もしよかったら今日、うちに来ない?」

 明日提出の、数学の課題。
 ちょっと難しくて、行き詰まってて。そんな話を電車の中でしていたら、ホームに足を下ろしてすぐに誘われた。

「や……、え、っと……」
「何か、用事ある?」
「ない、けど……」
「じゃあおいで。一緒にやろうよ」
「……………うん」

 初めてだ……。
 いつもならここは、泰裕とサヨナラする場所。
 でも今日は、並んで歩いて、一緒にエスカレーターを降りる。
 嬉しい反面、少し緊張しながら、その駅の改札口に初めて降り立った。

 店頭で呼び込みをしている活気溢れるスーパー。今日の目玉商品はキャベツらしい。
 学生や子供連れの主婦でにぎわうファストフードの店。本屋、洋品店、クリーニング店……。
 どこの駅前にもあるような商店街を抜けて少し歩いたところに、泰裕の家はあった。
 地形の起伏をうまく利用した、角地に建つ三階建て。一階部分はガレージになっていて、二、三階が住居らしい。。
 おそらく、低層住宅地域に指定されているんだろう。周りに目立って高い建物やマンションはない。
 玄関へと続く階段を、泰裕の後について半階分昇ったところでふと振り返れば、家々の屋根と屋根との間から、わずかに駅のホームが見えた。

「どうぞ」
「おじゃまします……」

 ドキドキしながら小さな声で断りを入れて靴を脱ぎ、廊下に足を乗せる。と――。

「あら、いらっしゃい」

 気配に気づいて奥から出てきた女の人に、そう声を掛けられた。
 やわらかい雰囲気、心地よく響く声と泰裕そっくりの優しい笑顔。

 泰裕の、お母さん、だ。

「あ、お、おじゃま、しま、す……」

 しどろもどろになりながら挨拶をすると、泰裕が俺の肩にポン、と手を置いた。

「母さん、同じクラスの水戸部」
「あ、み、水戸部、です……」

 慌てて頭を下げると、「そんなに緊張しないで」と返された。恥ずかしい……。

「――水戸部くん、うちの息子がいつもお世話になってます」
「……はい。あ、や、いえ、こちらこそ……」
「甘いものは好きかしら?」
「……はい。は? え? あ……、はい、大丈夫、です……」
「ふふ、後で何か持っていくわ。ゆっくりしていってね」
「………はい」

 その体勢のまま、促されて階段を昇る。泰裕の部屋は三階にあるらしい。

「………」

 泰裕の手が乗った肩が、じんじんと熱を帯びているようだった。

 泰裕の部屋は、どこにでもいる高校生の、ごく一般的な部屋、という感じだった。
 学習机、本棚、タンスにベッド……。置かれている家具に目新しいものはなく、さして統一感もない。なのに、不思議と落ち着く。

 なんとなく、雰囲気が、あったかい。

 部屋の隅に鞄を置いて、フローリングに敷かれたラグの上に腰をおろす。
 しばらくすると、おばさんが紅茶とマドレーヌを運んできた。
 金色に縁取りされたさくらんぼ柄の華奢なカップ。つやめく色彩と優美な曲線。揃いのシュガーポットの中には角砂糖ではなく、丸い砂糖が入っていた。

「母さん、こういうの好きなんだよ」
「こういうのって?」

 砂糖をひとつつまみ上げ、紅茶の中に落としながら聞き返すと、泰裕は目を細めて苦く笑った。

 ――あ、こういう顔、初めて見るかも。

 新しい発見。胸の奥が少し、くすぐったい。

「お茶とか、お菓子とか、かわいい小物とか。高校生の息子とその友達に出すようなカップじゃないだろ?」

 「これ」と言ってカップを少し掲げる。

「砂糖だって、俺は何でもいいと思うんだけど、わざわざこのまぁるいの、遠くのスーパーまで買いに行ってるんだよ」
「そう、なんだ」

 正直俺には、基準がわからない。
 でも、泰裕がどういう環境で育って今の泰裕になったのか、すごくよくわかった気がした。
 だからそれをそのまま言った。

「でも、そういうこだわりを貫くのって、素敵、だよな。すごく素敵なお母さんだと思う。福井のお母さん、って感じ、する」
「………」

 泰裕の瞳が一瞬、不思議な色を含んで俺を見た。
 だけどそれを俺が意識するより先に、ローテーブルの上にテキストが乗せられた。

「数学、やろうか」



* * *



 当初の目的である数学の課題をなんとか終えたときには、時計の針は七時を少し回っていた。

「――あ、ごめん、もうこんな時間。家の人、心配するよな?」

 心配する家族がいる世界を持つ泰裕が、少しうらやましくて、胸のどこかがツキン、と痛む。



『那津のそばにはいつも奈津美が、お母さんがいて、那津を守ってくれているんだ。だから……』

 ――寂しくなんかないよ。

 そう言って弱々しく伸ばされた手が、俺の手を掴む。
 幼いながらに死を感じ取った俺は、必死で涙をこらえながら、その手をぎゅっと握り返した。

『那津――………』

 それが、最後。

 大好きな人は、いつもいつも、俺を置いていなくなる。



「………俺、今、一人暮らしだから」
「そうなの?」
「うん」

 なんとなく、泰裕になら、話せる気がした。

「母さんは俺を生んですぐ、父さんは俺が小二の時に亡くなって、俺、そのあとじいちゃんとばあちゃんに育てられたんだ。だけど、そのじいちゃんもばあちゃんも亡くなって、今は、一人」

 重い空気を作らないように事実だけを淡々と語る。
 それでも、大丈夫、と思っても、泰裕の顔をすぐには見れなくて、少し俯いてしまった。

 父親の記憶は、たった十八年の人生の、半分しかない。母親の記憶なんて、ひとかけらもない。
 でも俺は――。



『那津んち、お父さんもお母さんも死んじゃっていないんだろ?』
『かわいそうにな〜』

 なんで? かわいそうじゃないよ?

『じいちゃんとばあちゃんと住んでるんだって!』
『かわいそうだよな〜』



 泰裕がこちらへ近づく気配がする。
 言わないで。泰裕にだけは言われたくない。
 一度ぎゅっと目を瞑って唾を飲み下し、おそるおそる顔を上げれば、俺を優しく見つめる泰裕と目が合った。

「だったらうちでご飯、食べていく?」
「………え?」
「一人暮らしなんだろう? だったらうちで夕ご飯、食べていきなよ」

 掛けられた言葉の意味を、ゆっくり脳が咀嚼する。

「でも……、そんな、いきなり……」
「どうせ母さん、那津の分も作ってるよ」

 ちょうどそこに、ノックの音。
 泰裕が立ち上がってドアを開ける。廊下から顔を覗かせたのはおばさんだった。

「泰裕、ご飯どうする?」
「ここで食べてもいい?」
「いいわよ。じゃあ持ってくるわね」

 短いやりとり。なんだか簡単に話がまとまったみたいだけど、意味がつかめずにいる俺を見たおばさんが、俺に話しかけてきた。

「水戸部くんの分も用意したのよ。私たち家族と一緒じゃ気を遣うでしょ。ここへ持ってくるから、食べていってね」
「……………はい」

 この家は、まるで泰裕そのものだった。
 暖かくて、柔らかくて、優しくて、とてもとても、居心地がいい。

 夕飯はハンバーグだった。
 目玉焼きが乗っているのを見た泰裕が、「母さん、サービスいいな」なんて呟いて。
 もう課題は終わっていたから、ご飯を食べながらいつもみたいに他愛もない会話を交わして。
 きっと今まで、こんなに喋ったこと、ない。

 けど、楽しい時間ほど、あっという間に過ぎていく。

 あまり長くお邪魔するわけにも行かないから、八時を回ったところで俺は重い腰を上げた。

「………もう、帰る」

 帰りたくない。

「駅まで、送るよ」
「平気。一人で……帰るから。夕飯、ごちそうさま」

 送ってもらったら、余計、サヨナラがつらくなる。

 鞄を掴み、のろのろと立ち上がった俺を追うように、泰裕も立ち上がる。

「那津」

 握られた手。
 瞬間、ばしっと。
 冬でもないのに静電気のような衝撃。
 思わず振りほどいてしまった手を、胸の前でぎゅっと握り締める。

 怪訝な顔した泰裕が、俺の前に回りこんで、俺の顔を覗きこんできた。

「――那津?」

 呼ばないで。
 次第に早くなる心臓の鼓動。ぎゅっと目を瞑ってやり過ごそうとしても、ちっとも上手くいかない。

「那津、どうした?」

 呼ばないで、名前を。
 止まらない。
 どうして?
 ドキドキが、止まらない。

「那津?」
「―――ッ!」

 どうしよう……。
 ごめん、俺、泰裕が―――、



 ―――好きみたいだ。

END

2008/06/26


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