6.後悔ばかりの恋だった


 とてもとても大好きな人がいるということ。
 例えばそれは、自分の命と引き換えにして俺を生んでくれた母親だったり、愛情をいっぱい注いでくれた父親だったり、両親を亡くした俺を引き取って一生懸命育ててくれた祖父母だったり、―――自分をとても気に掛けてくれている、友達、だったり。

 その人の存在は、俺をとても臆病にする。

 いつもの駅。

「おはよう、那津」

 いつもと同じように声を掛けられたけど、泰裕の顔をまともに見れない。
 俯いたまま、小さく挨拶を返す。

「……………おはよ」

 隣に並んだ泰裕が、少し体を折って俺の顔を下から覗き込んだ。

「那津、今日は元気ないね」
「……そんなこと、ない、よ……」

 目線を合わせずそう言って、無意識に制服の胸元を握りしめた。

 この気持ちは、すごく厄介だ。

 本当は、泰裕とは会いたくなかった。
 ただの友達に対して向けるのとは違う、自分の気持ち。
 それに気づいてしまったから、どんな顔をして会えばいいのか、わからなくなった。
 でも、会いたかった。
 だから結局、こうしていつもと同じ場所に立って泰裕を待っていた。
 声掛けられて、ほっとした。
 心配してくれて、嬉しかった。

 自分のなかでせめぎ合う、相反する二つの気持ち。

「那津、本当に平気? 顔、赤いよ?」

 心配そうな声と共に伸びてきた泰裕の手が俺の頬に――。

「ッッ!」

 思わずそれを払いのけてから、内心しまった、と思う。
 そんな態度を取ったら、不審がられるだろう。
 もしかしたら、傷つけた、かもしれない。
 そう思ってそっと泰裕を伺い見れば、泰裕は俺の予想に反して、穏やかで優しい顔をしていた。

「あ……、福井、ごめん、俺……」

 おろおろする俺とは対照的に、泰裕は、まるで愛しい者を慈しむような深い眼差しで俺を見ていた。

「本当に、具合、悪くない?」

 そんな視線を送られたら――。

 どきどきと、高鳴る胸をなんとかなだめながら、いっぱいいっぱいで返事をした。

「……………うん、大丈夫」



* * *



「那津、よかったら今日、家に来ない?」

 あれから時々、泰裕の家に誘われるようになった。
 でも俺は、そのすべてを断っていた。
 あの暖かい空気に再び触れてしまったら、自分が平静でいられる自信が、ない。

「ごめん……今日は……ちょっと……」

 泰裕の目を見れなくて、俯いたまま遠まわしに断ると、泰裕が俺の前で軽いため息をついた。

 ――あ、また。
 また、傷つけたかもしれない。

 ごめん、泰裕。
 でもこんな気持ち、知られたくないから。

「ごめん……」

 もう一度、謝罪の言葉を繰り返すと、泰裕はいつかと同じように、腰を折って俺の顔を下から覗き込んできた。

「どうしても、だめかな?」
「――ッ……」

 そんな顔で、そんな風に言われたら、断るに断れない。

「母さんも、那津が来るのを楽しみにしてるんだ。今日は和菓子に挑戦するって、張り切ってた」

 そこまで、言われたら――。

「だから、おいで。ね?」
「……………うん」

 だめ押しに負けて、結局、了承してしまう。
 少しずつ、少しずつ、泰裕と距離を置こうと思うのに、なぜか、いつも、うまくいかない。
 だって、もっと近づきたい。
 それが本音だから。

「水戸部くん、いらっしゃい」
「あ、おじゃま、します……」
「水戸部くん、あんこ、大丈夫?」
「あ、はい……、大丈夫、です……」

 泰裕の部屋は、前に来た時と変わらず、暖かくて優しい空間だった。

「母さん、お菓子作りも好きなんだよ」

 さっきおばさんが運んで来たのは、手作りの水まんじゅうと、ガラスの器に入った冷たい緑茶。
 水まんじゅうの下には笹の葉が敷いてあり、見た目も涼しげで、市販のものほど表面がつるんとしてないけど、よく冷やされていて、舌触りもなめらかで、とてもおいしい。

「じゃ、こないだのも……?」

 前回出されたのは、マドレーヌだった。

「そう。だから母さん、甘いものが好きな友達を連れてくると、喜ぶんだ」
「………」

 あれ? 今……。
 胸の奥の方が、ずきん……と痛んだ。

 泰裕の、たくさんいる友達の中の一人じゃなくて、特別になりたいと。
 心が悲鳴を上げる。

「今日、俺を呼んだのは……どうして?」

 知りたいような、知りたくないような。
 でも我慢できなくて、蚊の鳴くような声で問えば、自分の想像以上の答えが返ってきた。

「那津と、もっと話がしたい。もっと、仲良くなりたいから……かな」
「――………」

 一瞬、泰裕も自分と同じ気持ちなんじゃないかと期待しそうになって、慌ててそれを打ち払う。
 そんな俺の心の葛藤など関係ないとでもいうような、泰裕の声が静かな部屋に響いた。

「夕飯、食べていく?」



* * *



 結局押しに負けてまた夕飯をご馳走になり、帰る頃には日もとっぷり暮れていた。
 駅まで送る、と言ってくれた泰裕を断って一人で駅まで歩き、電車に揺られ、自宅の最寄り駅からの道のりを、足元を見つめながらとぼとぼと歩く。
 一人で住む部屋。
 鍵を開け、真っ暗な玄関に足を踏み入れ、後ろ手にドアを閉める。
 真っ暗な部屋。

「〜〜〜、ぅ……」

 それはいつもと同じ光景のはずなのに、なぜだか涙があふれて止まらない。

「ヤス、ヒロ……」

 まだ一度も呼んだことのない名前を口にして。

「泰裕……!」

 神様、どうか。

 気持ちを伝えたいとか、両思いになりたいとか、そんな贅沢は言わないから。

 だから、どうか。

 俺から泰裕を、大切な人を、奪わないでください。

 友達としてでいいから、だから。

 ずっと、そばにいさせて――。

END

2008/07/08


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