4.少しでも長く傍に


 一年十二ヶ月のうち最も日数の少ない二月。その最終週に、俺と泰裕が合格を目指している、地元の国立大学の二次試験が行われた。
 文系、理系合わせて十の学部がある総合大学で、その中で俺が受験したのは人文学部。
 生まれた直後に母親を、小学生のときに父親を、そして高校に進学した直後に祖父母を相次いで亡くした俺が、就職ではなく大学進学の道を選べたのは、唯一の頼れる親戚、父の弟である叔父のおかげ。
 祖父母がまだ生きていた頃、その叔父とは年に数回、お盆やお正月などの限られたときだけ会う程度の仲だった。
 けれど、一人暮らしせざるを得ない状況になってから、たった一人の甥である俺を何かと気にかけてくれて、あれこれ理由をつけては俺を訪ねたり、俺を呼び出したり……と、主に叔父からのアプローチで、必然的に合う回数は多くなっていった。
 その叔父が、会うたびにくれるのが、大量の文庫本。仕事の合間に読んでいるらしいそれらには、有名な文学賞を受賞した作品や、映画化やテレビドラマ化されたポピュラーな作品も多少含まれてはいたけれど、大部分は時代小説だった。

 戦乱の時代、歴史の教科書で名前だけは知っていた有名な武将の、壮絶な人生。
 実在したのか定かでない、歴史を陰で支えた暗殺集団。
 武士と町娘の、身分違いの切ない恋物語……。

 いつの間にか俺は、小説の世界にのめりこみ、一人の時間は大抵、本を読んで過ごすようになった。
 元々、本を読むことは嫌いじゃなかったけれど、そんな叔父のおかげで、今でははっきり「好き」だと思えるようになった。そして。
 ただ与えられたものを読んで終わり、じゃなく、もっと深く関わりたい――いつしかそう思うようになっていた。

 ここまで俺を惹きつける、文学の世界。限られた文字、限られた日本語の羅列。それなのにその世界は、ひとつとして同じものなどなく、豊かで煌めいている。
 それを、学問として学んでみたい――。
 それなりの進学率を誇る高校に在籍していて、周りは当然のように、就職ではなく進学を選択する。できたら俺も――漠然と夢見てはいたけれど、叔父にこれ以上の金銭的負担をかけるのが嫌で、進学はほぼ諦めていた。
 けれども叔父は、俺が「高卒で就職すること」に大反対したのだ。
 金銭的理由で進学を諦めさせたとなれば、死んだ兄に顔向けできない、と。
 だから俺は、そんな叔父の気持ちに報いるために、なおかつ金銭的負担を少しでも減らすために、自分に対して少し厳しい目標を立てた。最低条件として、自宅から通える大学にすること。そして進学するからには、その中でもなるべくレベルの高い、できれば国公立の大学に、現役で合格すること。そしてきっちり四年で卒業すること。
 自ら選択の幅を狭めたことで、志望校は簡単に決まった。だけど、その理由を、誰かに話したことなどなかった。
 泰裕だけ――。
 泰裕にだけは知っていてほしくて、勉強の合間に、少しずつ自分の考えを言葉にして、聞いてもらった。

 そして泰裕は、同じ大学の法学部を目指している。

 ……本当は。
 偶然同じ大学だったことは、すごく嬉しかった。でも、違う学部ということには、少なからずショックを受けていた。
 泰裕と付き合うようになってから俺は、すごく欲張りになった。もっと一緒にいたい。少しでも長く、そばにいたい。ずっと一緒にいたい。ずっとそばにいてほしい――。
 それまで自分の中にはなかった感情が、どんどんあふれ出してくる。欲が尽きない。
 でも、大学は高校と違って広い。これまでのように毎日同じ教室で会うこともなくなるだろうし、一緒に過ごせる時間は確実に減るだろう。それを思うと、胸の奥から、何ともいえない寂しさがこみ上げてくる。
 受験勉強と向き合っている間は忘れていても、ふと気が緩んだ瞬間に襲い掛かってくる不安。
 そんな時、俺を救い上げてくれるのは。決まって泰裕だった。

「春からも一緒に通学できるといいね」

 一緒に……。
 あの穏やかで幸せな時間を、春からも共有できるのだろうか。

「…………うん」
「大丈夫。那津ならきっと、大丈夫」

 嘘みたいに心が軽くなる、魔法のような泰裕の言葉。
 どんな有名な神社のお守りよりも、ご利益のありそうな。

「――うん」

 そして試験終了後の今、俺は泰裕に誘われて、泰裕の家へ来ていた。
 結果がどう出るかはわからないけれど、とりあえず、やり遂げたことにほっと一息。
 合格発表までの時間が、すごくもどかしい。きっと、結果が出るまで毎日落ち着かないんだろう。
 でも今日は、達成感と開放感で、気分が高揚していた。

「那津」

 呼ばれて泰裕を見れば、そこにあったのは俺を見つめる熱っぽい眼差し。僅かに早まる鼓動。言いたいことが、なんとなくわかる。少しは期待もしていたし、そうなった場合はもちろん応じるつもりだった。
 でも、こんな風にするなんて、思わなかった。



* * *



 背中に回された腕。久しぶりに感じる、泰裕の体温。
 やがて俺を拘束していた腕が、ゆっくりと解かれる。
 離れていく体を追うように顔を上げて泰裕を見つめれば、額に小さなキスが降ってきた。
 静かに目を伏せる。
 唇は、瞼や頬に寄り道をしてから、俺の唇へとたどり着いた。

「那津」
「っあ……、泰、裕……」

 味わうように、丁寧に俺の口腔を堪能した後、首筋、鎖骨に印を刻んで胸へと降りる。

「あ、は……」

 触れている部分が熱い。あっという間に、身も心もとろとろに溶かされていく。
 こんな時期に、こんなこと、不謹慎じゃないだろうか?
 理性でそう訴えるものの、体は泰裕の手に誘われるまま動き、手足の位置を変え、気づけば後ろから、泰裕を受け入れていた。

「あっ、ア、あっ」

 いつもより深いところへ打ち込まれる熱塊に、甲高い声が切れ切れに漏れる。
 シーツに両手と両膝をついた体勢。こちらからは泰裕の様子がまったくわからないのに、泰裕にはきっと、俺のそこが丸見えだ。
 恥ずかしい。
 それに少し……怖い。

 いつもなら目の前にある顔が見れない。確かめたくて、意味なく名前を呼んだ。

「ヤ、スヒロ……」
「那津」

 返ってきたのは、いつもと同じ、泰裕の声。返事の代わりに、俺の名前。
 それをどう捉えたのか、一旦律動を緩めた泰裕が、背骨を一節一節確かめるように、背中に小さなキスを落とす。ぞくぞくと背筋が震える。腕の力が抜け、枕に顔を埋めながら、俺は再び泰裕を呼んだ。

「泰裕……!」

 前に回された手が俺のを握り込むのと同時に、腰の動きが早くなる。

「泰裕っ、あぁっ! ヤスヒロ……ッ!」
「那津、……ッ……」
「あ、あぁぁ―――……!」

 ほぼ同時に迎えた絶頂。どくどくと数回に渡って注ぎ込まれた白濁。俺の中から抜け出ていく泰裕。膝の力を抜いて、そのままうつ伏せ寝で荒い呼吸を整えていると、泰裕の手が、労るように裸の背中に触れた。
 久しぶりの行為。欲を吐き出した体はそれなりに満たされたのに、心のどこかは未だカラカラに乾いたまま。

 泰裕の顔が見れなかったことが。
 目を見つめ合えなかったことが。

 俺の心に試験結果とは別の心配事を呼び起こす。
 言い知れぬ不安に襲われ、俺は、気怠い体を起こして、ベッドに腰掛ける泰裕に背中から抱きついた。
 肩から前へ手を回し、さっき泰裕がしてくれたみたいに、背中に唇を寄せ、小さく口づける。

「那津? どうかした?」

 泰裕が肩越しに振り返る。けど俺は、泰裕の背中に額を押し当てたまま、首を横に振った。

「……ううん。なんでも」

 不安で。

「なんでも……ない」

 どうしてか、不安で仕方がない。

 泰裕の肩を掴む手に力が入る。泰裕がさっきよりも心配色の濃い声で俺を呼んだ。

「那津」
「泰裕……、俺のこと……好き?」

 今はこれしか、言葉でしか確かめる術がない。

「うん。好きだよ」
「好き……、俺……、泰裕が……好き……」
「俺も那津が好きだよ」
「好き……、好き……」
「うん。那津、好きだよ」

 まるで互いの脳髄に刻み込むように、好きだと囁きあう。
 願うのはたったひとつ。

 どうかこれが、最後にならないでほしい、と――。

END

2009/05/17(初)
2009/09/03(改)


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