3.たまには本音を言って


 二月中旬のとある土曜日。俺は、久しぶりに泰裕の家へ来ていた。
 お互い国立大学を目指す受験生という立場だけど、泰裕からは時々、電話やメールで家に来ないかという誘いがあった。
 だけど俺は、ことごとくそれを断っていた。
 理由は簡単。俺自身の精神状態が、あまりいいとは言えなかったから。

「久しぶりだね。那津とこうしてゆっくり会うのは」
「………うん」

 泰裕の言葉どおり、久しぶりに訪れた泰裕の部屋。小さく返事をして、出された温かいカフェオレを口に運ぶ。
 きっと訊かれる。
 そう思った次の瞬間、泰裕は、俺の予想通りの言葉を口にした。

「センター、どうだった?」
「……………うん」

 一ヶ月程前に受験した、センター試験。自己採点の結果、他の教科はそれまで何度となく受けていた模試とさほど変わらない点数だったけれど、俺が最も苦手としていた数学は、思っていたよりもずっと、高得点だった。
 泰裕が親身になって教えてくれたことはもちろん、もしかしたらあの、試験直前に交わした『おまじない』の効果かもしれない。
 それを思うと無性に嬉しくなる。だけど――。
 その代わり、それなりに自信を持って挑んだ国語の成績が芳しくない。
 得意科目だっただけに、合計点を出した時は、あまりの出来の悪さに愕然とした。確かに試験中、難しいとは感じていたけど、まさかここまで得点が低いなんて……。

 苦手科目の好成績への喜びよりも、得意科目が目標点に到達しなかった失望が、今でも、俺の心を大きく占めている。

「那津?」

 俯いたまま答えない俺を心配して、泰裕が俺の名を呼びながら、下から顔を覗きこんできた。
 次いで泰裕の手が、そうすることが当然であるかのように、俺の頬に触れる。
 いつだって俺をまるごと包み込んでしまう、優しい眼差し。温かい手のぬくもり。
 もういや。もうだめ。どうにかして。
 その手に、その胸に、泣いて縋ってしまいたいと何度思ったことか。
 でも、それじゃダメなんだ。俺は俺の力で、泰裕と一緒に過ごせる未来を手に入れなくちゃいけない。

 俺は、ふう、と細く息を吐いて心を落ち着けてから、ゆっくりと、偽りない事実のみを口にした。

「……数学はさ、思ったより点数、よかった……よ。……でも……国語が……、思ったよりもずっと、悪い……」
「そっか」

 静かに離れていく泰裕の手のひら。失われる体温に、ぎゅっと胸が締め付けられる。
 それ以上何も言ってこない泰裕にほっとする反面、もしかして、俺のことなんてもうどうでもいいのかも、と、後ろ向きな考えを持つ自分もいて、嫌になる。
 空気が、重い。
 俺よりもずっと成績のいい泰裕は、よほどのことがない限り、志望校に合格できるだろう。
 でも俺は――?
 この一ヶ月、囚われ続けている思考の無限ループ。
 頭の中を巡るのは、いつだって、最悪な未来。

 せっかく久しぶりに恋人と会っているというのに、その相手が暗い表情のままなんて、泰裕も嫌だよな。
 俺は、気を取り直すと、無理矢理顔を上げ、明るく切り出した。

「そういえば俺、泰裕に渡したいもの、あったんだ」
「俺に?」
「うん」

 泰裕と会うのを避けていたのは、心の内に溜まった、どろどろとした消極的な感情を全部吐き出して、慰めてほしいと、たとえどんな結果になろうとも俺を離さないでほしいと、どうしようもなく甘えてしまいそうだったから。
 そして、そんな自分が嫌だったから。
 それでもこうして泰裕の部屋を訪れたのには、理由があった。

 俺が今年話題になっているらしいその言葉を見たのは、いつの間にかポストの中に入っていたチラシの紹介文で、だった。
 なんでも、欧米ではバレンタインデーに、男性から女性へチョコレートを贈るのが一般的で、日本でも広まりつつあるその風習を、菓子メーカーが、「逆チョコ」――なんて言葉で飾り立て、今年は男性向けのチョコレート販売に力を入れているのだそうだ。
 自分には関係ないと思っていたイベントが、急に身近なものに思えて、衝動的にチョコレートを買ってしまった。
 買ったからには、渡したい。
 俺は、鞄の中から綺麗に包装された四角い箱を取り出すと、それを泰裕の前に差し出した。

「これ、……バレンタイン、だから……」
「那津――……」

 泰裕の目が僅かに見開かれる。
 次の瞬間、俺は泰裕にきつく抱きしめられていた。

「ありがとう……すごく、嬉しい」

 そのままの体勢で囁かれた言葉が、耳を擽る。
 俺の肩を掴んで体を離した泰裕が、俺の目をじっと見つめてきた。
 キスされる。
 思ったのと同時に、体が動いていた。
 泰裕の肩に手を置き、膝立ちになり、そして――。

「……もっと、してほしいな」
「………」

 普段、自分からは滅多に言うことのない思いを告げ、キスをすれば、泰裕からはそんな風に言われた。
 今頃になって一気に恥ずかしさが押し寄せてきて、そんな風に言われても、何も言葉を返せない。
 泰裕から受ける行為にだってやっと慣れた俺にとっては、告白も、キスも、これが精一杯。
 自分からするのは、恥ずかしくてたまらない。
 でもたまには、本音を言いたいから。本気の思いを伝えたいから。
 そんな俺を知ってか知らずか、泰裕は、目を眇めて俺を見つめながら、要求を出してきた。

「もっと」

 いつもの柔らかい笑顔の奥に、違う色が見える気がしてどきりとする。

「……もっと?」

 おそるおそる尋ねれば、その色はますます濃く、深くなって、磁石のように俺を引き寄せた。

「うん、もっと」
「……うん」

 そしてまた、キスをする。
 触れるだけの、愛情を確かめ合うだけの、優しいキスを。

 神様、今だけ。
 今だけだから。

 嫌なことは全部忘れて、どうか今だけ、この、甘い時間に浸らせてください。

END

2009/02/14(初)
2009/09/03(改)


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