7.あまったるい恋だった


 制服の白いシャツに反射する、強い夏の日差し。

「那津、よかったら今日これから、映画見に行かない?」

 一学期最後の日。
 受験生に夏はないはずなんだけど、それでも、名目上は明日から夏休みだと一時的な解放感に浮かれているクラスメイトからの誘いをすべて断って、泰裕は、ざわめく教室で俺にそう言ってきた。

「………映画?」
「うちの近くの映画館なんだけど、『近隣住民の方へ』って配られた割引券の有効期限が明日までなんだよ。――せっかくだから……どうかな?」

 そんな説明とともに向けられる、柔らかい笑顔。
 この顔には、正直、弱い。
 それに―――、泰裕と一緒にどこかへ遊びに行ったことって、今まで、ない。
 学校で会うか、誘われて泰裕の家で過ごすかのどちらかだったから。

 だから。

「……………うん、行く」

 そう返事をしながらも、頭では全然別のことを考えていた。

 ――他のみんなからあんなに誘われていたのに、泰裕はどうしてそれを断ってまで俺を誘ってくれたんだろう――?

 けれどもそれは、考えれば考えるほど、自分に都合のいい結論にしかたどり着かなくて。
 泰裕との関係に「特別」を見いだしたがる自分にうんざりしながら、俺は、意識的に思考を切り替えた。

「映画、何?」

 鞄を掴み、泰裕と並んで騒々しい教室を早々と後にする。

「一緒に入ってたチラシも持ってきたから。ええと、今やってるのは……」

 学校から駅までは、ずっと映画の話。最新作、話題作、洋画に邦画にアニメ……。泰裕が持っていたチラシには色々載っていたけど、お互いに気になっていたのが少し前に封切られた邦画だったので、それを見ることにあっさり決まった。
 学校が午前中で終わりだったから、映画の前に、近くのハンバーガーショップで昼食。
 好みが一緒だったことにびっくりしながら、同じセットを注文した。

「CMで見て、すごく気になってて、さ……」
「あ、那津も? 実は俺も」

 泰裕は、なんてことない会話でも、こうして共通点を見つけるたび、俺の方をまっすぐ見て、くしゃりと笑う。
 その都度俺の心臓は、高い音を立てて跳ねた。

 こうして、学校以外で一緒に過ごせることは、すごく嬉しい。でもその反面、すごく、苦しい。

 友達として、そばにいられるだけで充分。
 何度自分に言い聞かせても、会うたび、言葉を交わすたび、その瞳で見つめられるたびに、少しずつ、少しずつ、心のコントロールが利かなくなっていた。

「席、自由だって」

 カウンターでスクリーンへの入場チケットと引き換えてきた泰裕の手からそれを受け取りつつ財布を出そうとすると、さり気ない仕草でそれを制される。

「俺が誘ったんだから、おごるよ」
「でも……」
「それに、二人分合わせても、学割の一人分より安いから、気にしないで」
「本当に……?」
「本当」
「うん……、じゃあ……………ありがと」

 申し訳ないと思いながらも俺がそう言えば、泰裕は、とても優しい顔で微笑んでくれた。

 映画館の真っ暗な空間で、同じ場面で笑い、時にはひそひそと会話をし、濃密な時間を過ごしたせいかもしれない。
 なんとなく離れ難くて、誘われるままに泰裕の家へ行って。
 見てきた映画について熱く語り、他にも好みが一緒の食べ物はないかと探し、でも最後には結局、受験生らしく、夏休みの課題や八月の頭から始まる補習授業の話になった。

 当たり前のように俺の分も用意されていた夕飯をごちそうになり、福井家の玄関を出た時には、時計は九時を回っていた。

「駅まで送るよ」
「ここで、いい」

 こんなに楽しく過ごせたことは、今までなかった。
 だからこのまま、ふわふわと幸福な気持ちのまま、ここで、サヨナラ、したい。

 人気のない道路。
 街灯に薄ぼんやりと照らし出された泰裕の顔を見上げる。

 それは、俺が意識するより先に、言葉となって口から出てしまっていた。

「今日はありがとう。すごく楽しかった。――俺、福井が好きだな」
「うん。俺も那津が好きだよ」

 え?

「―――え?」

 今、何、て―――?

 俺は何て言った?
 泰裕は何て答えた?

 一瞬にしてさっきまでの穏やかで暖かい気持ちは消え失せて、代わりに冷や汗がどっと出てきた。

「あ……、ちが、違うんだ……、そういうんじゃなくて、違くて……、深い意味とか全然なくて……!」

 もう頭がパニックで、自分でも何を言っているのかよくわからなくて。
 顔の前で手を振りながら必死で言い訳していると、泰裕が俺の手を掴み、真剣な顔で俺を見つめてきた。

「俺は、あるよ」
「………え?」
「深い意味、あるよ」
「――え?」
「俺は、そういう意味で、那津が、好き」
「……………ウソ……」

 嘘だよ。
 そんなこと、ありえない。

 だけど耳に聞こえてきたのは、すごくすごく、真剣な告白。

「嘘じゃないよ。――那津と初めて喋ったあの日から、ずっと那津のことが気になってた」

 泰裕が俺の手を掴んだまま、少しずつ距離を詰めてくる。
 俺は、もうどうしていいかわからなくて、ただただ首を横に振るばかりで。

 だって、そんな。
 そんな都合のいいこと、あるわけない。

「――もっと話したいって思ってたし、同じクラスになりたかったし、もっと仲良くなりたいって、ずっとずっと、思ってた」

 ずっとずっと?
 泰裕が?
 俺のことを?

「ウソ――………」
「嘘じゃないって」

 いつか見た、微苦笑を見せながら、泰裕が同じ言葉を繰り返す。

「嘘じゃないよ。俺は、那津が、好き。――那津は?」
「……、っ……」
「言って」
「〜〜……」
「那津」

 優しく穏やかな声色。
 強要するわけでも、急かすわけでもないその声に促されるように、俺はおずおずと口を開いた。

「……………好、き」
「よかった」

 そう言って、細く長い安堵の溜め息を吐いた泰裕が、俺との距離をゼロにした。

 背中に回された腕。
 引き寄せられた体。

 心臓はもう、ドキドキしっぱなしで。
 なのにどうしてか、触れ合っている胸や、そこから伝わる泰裕の体温にすごく安心できて。
 嬉しくて、どうしようもないほどに感情が高ぶって。

「やっぱり、送るよ。家まで、送る」
「……………うん」

 俺は、静かに涙を流しながら、泰裕の背中にそっと腕を回した。

 電車で四駅。
 その距離を泰裕は送ってくれると言い、ちょっとだけ、今日だけ、それに甘えることにした。

 周りの人間から隠すように、こっそりと繋がれた手。

 それはまるで夢のようで、でも現実で。
 嬉しくて、楽しくて。
 幸せで、幸せすぎて浮かれていて。

 その瞬間から呼び名の変わった泰裕との関係。
 少しずつ深まっていくそれに、俺の心はついていくのがいっぱいいっぱいで。
 すっかり失念していたんだ。



 男同士でも、セックスできるのだということを――。

END

2008/07/20


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