Schatz | ナノ






救われない男



 暗い、暗い、地下牢に私は居た。
 正方形の部屋の中心に、兩足を折り疊むで、冷たいコンクリヰトの床に座してゐる。左右と後ろは土色の壁に圍まれ、前方は壁ではなく錆びた鐵格子が規則正しい間隔で立ち竝ぶ。天井には裸の豆電球がぶら下がつて、ぼんやりした橙の光で牢内を照らしてゐた。
 私は、自分が何故此處に居るのかがわからない。
 地下牢に居る、と云つたが、其れも私が部屋を内から眺めて判斷しただけの事であり、本當に地下に在る牢なのかは不明である。此の部屋に窓が一つもないから地下牢ではないか、さう思つただけなのだ。
 どうして此處に囚われてゐるのか、考へてみる。だが、思ひあたる事は浮かばない。知らぬ間に知らぬ罪を犯したか。其れは充分に有り得る。若しかすると、存在自體が罪なのかもしれぬ。私のやうな人間は、居るだけで人を不快にさせるから。
 では、私は死刑になるのだらうか。
 さう思ひあたると、何んだか急に怖くなつてきた。
 死刑ならば、如何なる方法で行はれるか。
 絞首、打首、電氣椅子。
 考へただけで冷汗が手に背に滲むだ。堪らない恐怖感に襲われる。私は俯ひて固く目を閉じた。さうしてまんじりともせず、石のやうにじつとしてゐた。
 フ……と前から微風が吹ひてきたので、そろそろ瞼を押し上げてみる。膝先に一對の足が在つた。黒足袋に黒下駄、鼻緒だけが赤い。
 ゆつくりと、顏を上げていく。
 墨で染めたやうな眞黒い着流しと手甲をはめた手。薄手の黒い羽織。徐々に姿が見へてくる。羽織の胸の邊りには晴明桔梗の紋が白く染め拔ひてあつた。視界は首まできて、遂に私は目の前の人物を完全に見上げた。

(京極堂)

 突如現れた男は何も云はず私を見下ろしてゐる。目は縁側を柔らかく照らす日向を眺むるかの如く、平らかで、穏やかだつた。其の瞳に私が映つてゐるだけで私は安心出來た。私に安樂を與へる事に關してこの男は萬能なのだ。
 私ははつきり理解し、確信する。男が何をしに此處へ現れたのか。
 黒衣の陰陽師は無言で私に手を伸べた。私は男がしやうとしてゐる事を察して再び目を閉じる。先程とは違つて、今度は安らかな心地である。忍び寄る氣配が私の首を捉へた。骨と皮ばかりの手指に段々力が籠りはじめ、氣道を塞ひでいく。腦に酸素がいかなくなり、意識が朦朧としてくる。苦しさよりも恍惚が優つた。死の恐怖はなく、只々静かに心が霧散していく……。
 軈て、私は考へる事をやめた。





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