不本意なかたちで入ったナントカ機関(忘れた。面接前なのに)日本支部は、外観の割にキレイだった。もちろん比較対象が比較対象なので、とても清潔で隅々まで掃除がゆきとどいている、ということではない。緑の玄関マットは埃を吸いすぎてまったく意味をなしておらず、歩くと靴の裏で砂埃がじゃりじゃり音を立てた。

さっきまで感じていた春の匂いみたいなものは屋内に入ると瞬時に立ち消え、雨の日の地下鉄の駅みたいな匂いが立ち込める。「オフィス」の匂い、と思うとすっと背筋が冷たくなる。体の奥底から、威圧や羞恥の記憶が蘇る。冷や汗が。滲んできた。

2、3歩入って立ちすくんだ私の横をすり抜け、帯刀少年は奥に入っていく。


「佐伯。客だ」


面倒そうに言う声と、ありがとうございます、と答える声が聞こえた。電話を通さないせいか若く聞こえたけれど、確かに昨日面接を取り付けた時の、声だった。フロアはパーテーションで区切られていて、少年の姿は見えるがサエキ氏はまだ見えない。
取り次いでくれたということはそんなに悪印象でもないのか、いやでも「客だ」という紹介はあまり好意的とも思えない、と考えながら見た少年は、おもむろにジーンズの尻ポケットに手を突っ込み、


「鴻上さん。煙草は屋上でお願いします」


サエキ氏に注意を受ける。彼はここのバイトなんだろうか? 幼く見えるけど高校生? 未成年の喫煙って黙認したら罪になるんだっけ、勧めたら罪になるんだっけ? などと思いながら、素直に階段を上る少年の背中を見送る。未成年の帯刀を黙認したらどうなるかなど、私の知る由もない。未成年とかいう問題じゃないし。


「さて、お待たせしました。岸本さんですね」


カツカツ靴音のした後、俯いて眺めていた床に、すっと長い影が差す。パーテーションの奥からサエキ氏が出てきたのだ。手汗が。冷や汗が。鳥肌が。胃が。面接が。始まる。



「どうぞそちらに、」



言いかけたサエキ氏の語尾が、私の姿を目にしてちょっと揺れる。それだけで今の私はパニックになれる。え? 確かに「ラフな格好で」て言われたけどスーツで来るもんじゃないの? 違うの? 落ちるの?


「失礼しました。電話でもお若いと思ったのですが、新卒の方ですか?」

「いえ、先月卒業式を迎えた……準新卒? 就職浪人? のようなもので」

「……正直、うちよりいい所あると思いますよ」


そんなこと言って体よく追い返されようとしている! 面接さえしてもらえない! と被害妄想スイッチが入りそうになったが、サエキ氏の言い方は本当に申し訳なさそうだった。いやそれはそれで、事業主がここまで萎縮する仕事って何。
まぁそちらに、と手で示された一角には、木製のローテーブルを挟んで黒皮の2人掛けソファが設置してあり、簡易応接間が作られていた。玄関に背を向ける方に座る。向かいにサエキ氏が腰かける気配がする。一段と胃が絞られ、もはや吐き気がする、面接官の顔を見たくない、でももう。サエキ氏の白いシャツを着た肩辺りに留めていた、視線を上げる、


「改めまして、本日はご足労ありがとうございます」


息を吐いた。顔を上げた。目が合った。



「CSC機関日本支部長の佐伯です」



支部長。

という響きから、どんな人物を思い描くだろう。規模というか得体がしれないが、ひとつの支部を任されている人間だ、それなり――50代以上かなぁ私は――の年齢とか、それに伴った風格とか威厳とか、そういうものと切り離せないのではないか。具体的に言ったら脂ぎってきたオジサンとか。眉毛まで白いこう徳の高そうなお爺さんとか。貧困なイメージで申し訳ないけど。

彼は若かった。白い肌には荒れもテカりも皺もない。ソファに浅く腰かける体に弛みはなく、ローテーブルの上で手を組む所作は落ち着いてはいるが、鈍さも衰えもまるでない。目の前に座った人は、年かさに見積もっても30に届くようにも見えない。
若い、まぁそれだけなら声を失うほどではない。またも貧困なイメージだけど、ベンチャーなんか20代社長も珍しくないと思う。多分。


佐伯さんは日本人ではなかった。
そして、とんでもなく美しい人だった。


話の切り出し方に迷うように、伏せる目は湖のように青い。それを縁取る睫毛、指先を遊ばせるように摘む前髪は灰、いや鈍い光沢の銀か。さっき白いと言った肌だって、黄色人種の「白い」とは透明度が違う。
明らかに日本人、というかアジア人の顔ではない、けど、鉤鼻だとか奥まった目だとかいかにも外国人っていうパーツがあるわけでもない、何とも言い表せないお顔立ちだ。クドい、濃い、そういう感じじゃなく、切れ長でくっきり二重の目やすっと通った鼻梁は涼しげでどこか酷薄そうにも見える。寒色の髪と目が、憂いを秘めたような面差し、作りもの――俳優やモデルというよりも人形やCGを思わせる――みたいにきれいな顔立ちをこの上なく引き立てる。
どう言ったらいいんだろう、どう言葉を尽くしても表現できない。悪いものの悪いところを指摘するのは簡単だが、得も言われず美しいものは言葉にするほど遠ざかる気がする、それを身を以て知った。美青年。美男子。美丈夫。ハンサム。イケメン。男前。どれも当てはまるしどれも陳腐だ。


めちゃくちゃ率直な言葉で言うとね、もう、落ちてもいい。こんな美しい人と1メートル足らずの距離で向かい合えることもうないよ。人生の記念だよ。とか思ってしまうレベルにイケメンだった。佐伯さんは。


「話を……してもいいですか」


遠慮がちに言われてようやく、ほとんど呼吸も忘れ、ご尊顔に見入っていたことに気づく。乗り出すようになっていた身をソファに引っ込め、岸本愛です、本日はよろしくお願いします、と早口に言い履歴書を差し出す。顔が熱い。どこに食い入るように面接官の顔を凝視する就活生がいるのだ、もうダメだ、こうして目先のことにとらわれているから面接に受からないのだ。記念でもいいとか言ったけどまぁまぁ本心だけど本当に記念になってしまう。恥じいる気持ちと自己嫌悪の向こうに、彼が居住まいを正す気配を感じた。


彼は何から話しだすのだろう。この組織、業務内容の紹介だろうか、普通に考えて。
息をのんで待ったが、佐伯さんはちょっと眉を寄せてまた視線を外す。どうやら私がガン見していたからというだけでなく、単純に、これから切り出す話は彼にとって口にしにくいものであるらしい。業務内容が言いにくいってどういうことよ。売春斡旋とか? 悪質訪問販売とか? 麻薬密売とか! こんな美しい人がそんなんに関わってると思いたくないけど、こんな美しい人なら誰でも手玉に取れそうだし何でもできそうだな、とどうでもいいことを考え始める。
働くかどうかはまた別問題だが、パチンコも訪問販売も受けたことあるし(落ちたし)、とりあえずどんな内容でもびっくりはしないから、とりあえず言ってみてほしい。さあ。



「ここの正式名称は、」



結果から言えば「どんな内容でもびっくりしない」という私の宣誓は破られた。口ほどにもない。帯刀少年に怯まないと決めた矢先にとんでもなくビビってしまったり、気合い入れて面接と思った矢先に面接官に見惚れたり、今日の私ダメだ。いつもにましてダメだ。しかしね、一つ言い訳をさせてもらえるなら、私にというより、いちいち人の予想の斜め上をいってくれる人々にも、



「超能力対策機関です」



責任があると思いません?







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