私鉄沿線、普通しか停まらない駅前だけがちょびっと繁華街、その奥は延々住宅と田畑。そんな典型的な田舎町の一角に、あまり典型的でない箇所がある。その昔半導体輸入の主力がまだ船だった頃に建設され、企業の大半が移転した後も取り壊されないまま残されている工場・事務所群のことだ。ことらしい。詳しくは知らない。生まれてないから。
欝屈した若者・ラブホ代のないカップル・駅を追い出されたホームレス、そこの三大訪問者以外は通過するしかない場所に、私は立っている。立って、


「………ボロいな」


指定された建物の感想をもらしている。

結局あの後、その場、掲示板の前で私は番号を押した。CSC機関とやらについてネット検索でもしてみた方が、と思わないでもなかったが、こういうのは直感が肝要である。そこで慇懃な口調の男性(サエキ氏と名乗った)に面接を申し入れ、彼に言われるままに手帳に地図を描き、家に帰って不採用通知を破ったりカッターシャツにアイロンをあてたり寝たりして起きて、



「いやしかし……ボロい」



これから働くかもしれない建物を、ボロい呼ばわりしていたところである。

そりゃあ大概失礼なことなのだろうが、この外観をどう好意的に言い換えろというのだ。もとは白かったのであろう壁は風雨にくすみ、かと思えば照りつける日にそのくすんだ漆喰がぺりぺりと剥がれ、壁を這い上る途中で力尽きた何かの配線とともに風に揺れている。窓ガラスもガラス張りの玄関も、廃車寸前の車のフロントガラスみたいに砂埃まみれで中の様子はうかがえない。あんまりにも整然として近代的なオフィスって萎縮しちゃうし、ちょっと小汚いくらいの中小事務所とか望むところなんだけど、これはあの、さすがに。ほぼほぼ廃墟じゃないですか。


高さは大したものではない。窓の数から察するに3階建て。しかしそこには、体積にそぐわぬ、退廃的さや人の気配のなさからくる威圧感が漂っている。1棟でもそうだというのに、この辺りの事務所・工場群は大体同じような造りをしている。入り口前のエントランスに設置された植え込みも、錆びた手すりを持つ外付けの螺旋階段もお揃いだ。視界の端から端まで、無機的で人気のない同じビルが埋め尽くすのだ。中肉中背、スーツに銀縁眼鏡の、特徴を削ぎ落したような顔に何の表情も浮かべていない人間が、何百人と固まってただ立ってるみたいな不気味さ(私は例えがヘタだ)。灰白色のビルの群れは、大きさなんか全然似ていないのになんだか墓石みたいにも見えた。共同墓地みたい。



「そもそもここでいいっていう確証も、ない、し……」



ここでうろうろして独り言を言っていれば、中から誰か出てきて「面接にいらした方ですか?」とか言ってくれないかなー……という淡い希望は叶えられる気配がない。ていうか本当にこのビルじゃないんじゃなかろうか、ガラス張り玄関の向こうに明かりが灯ってるような、人が動いてるような感じはあるけど、うーん。ガラスが汚すぎて確信に至れない。普段の面接なら、いくら職場に気圧されたって時間があるのだから、えいやっと中に入ってしまうものなのだが、サエキ氏、「お好きな時間にいらして下さい」なーんて言ってくれちゃったせいでそれもできない。


ちらりと見た腕時計は10時5分を示していた。10時になったら入ろう! と思っていたはずなのに、建物の周りをぐるぐる回っているうちに過ぎてしまった。困った。次の大きな機会は55分後だ。とりあえずもう1回地図(そもそもこれの信憑性もあやしい)と照合して時間をつぶそうと2、3歩後ずさったとき、



「おい」



背中が何かに触れ、頭上から声が降ってきた。



「邪魔だ」



反射的に飛びのき、今度は反対方向に数歩後ずさる。さらなる逃走にむけて足の筋肉をこわばらせたまま、気配もなくいつの間にか真後ろまで来ていた人を見る。



「ここに用があるのか」



一言で言うなれば、少年であった。

不意をつかれたせいかぞんざいな口調のせいか、すごく上から声をかけられたみたいに感じたけれど、真正面から見た彼は、私よりちょっと大きいぐらいだった。中学生くらいにしか見えない容姿に似合う派手なスカジャンを着ているが、髪の毛も目も季節はずれなマフラーもどこまでも黒い。
スダレみたいな前髪からのぞく目は細められ、苛立っているようにも不審がっているようにもただ眠いだけのようにも見える。ちょっと落ち着いて、すみません、と言うと、謝れとは言っていない、とむげに切り捨てられた。



「入るなり退くなり、そこを空けろと言った」




見たところ鼻口どころか耳にさえ穴があいている様子はないし、髪も金だの赤だのその他様々なクレイジーな色をしているわけではない。ここら辺を遊び場にしている若者にしては大人しすぎるくらいだ。なんだ。そんなにビビることない。愛想なさすぎる口調も、中学生と思えばかわいいもんである。ここの関係者ならちょうどいい、取次いでもらお、というお気楽な思考はすぐに消えた。



「……おい。聞いているのか」



顔、上半身、と下ろしてきた視線は腰で止まった。視線を釘づけにされざるをえないものを、見てしまった。

彼は帯刀していた。帯刀しているというのは文字通り刀を、時代劇に出てくるような黒いつやつやした鞘の刀を、多分いつでも抜けるような状態で帯に差しているということである。しかも二振り。
いや、別に真剣だとは思ってないよ? 修学旅行でテンション上がって買っちゃった系のオモチャだと思うよ? でも真剣か玩具の剣かというのはこの際大した問題ではない、気がする。腰に刀をぶら下げるって、ピアス開けたり髪を染めたりするのよりクレイジーだ。帯刀している人間の思考なんかわかるわけない、だから次の行動が予想できない、それが、こ、こわい。とても。



「ご、ごめんなさい」

「だから、謝れと言ったわけではないと」

「はい! ごめんなさい!」



馬鹿なことを言っているのは自分でもわかっている。しかし万が一億が一真剣だったなら、彼はいつでも私を斬り捨てられる、と思うだけで、口も頭も見事なくらい回らない。帯刀少年はさらに目を細め(さすがにもう眠そうには見えない。苛立っているようにしか!)、痺れをきらしたようにつかつかとこちらに、というかビルの入口に向けて歩き出した。


ここで脇に跳びのけばよかったのかもしれない。いや、私の目的もこの中なのだから根本的な解決にはなってないけど、とりあえず。当座は。
しかし私は彼の視線に、物理的に押されるようにして、日本支部の中に足を踏み入れてしまった。後ろを向いたままで。後ずさりで。





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -