支部から少し離れたところに停めてある4ドアセダンを、両側から開けた。走れば約15分、という、車を出すか迷う園山邸の距離であったが、2人で行くことを考慮して支部車を選択した。佐伯が運転席、神崎が助手席に乗り込みシートベルトを締める。電話帳に岸本さんの番号が入ってます、説明しながら神崎に携帯を渡す。支部に支部長も補佐もいない状態は避けたいのだが、事態が事態だった。


「周囲の人間を、幼児退行させる能力。思い当たりますか」


ギアを2速に入れる。クラッチを握る手が汗で滑った。

『園山あかりという女児の家から大人が消え、代わりに複数の子供の声がする』
『園山あかりと一晩過ごした人間の背が低くなった気がする』

ソファを立った時点では、この2点は佐伯の中で上手く結びついていなかった。ただ良くないことが起こっている、そんな予感に衝き動かされただけだ。車に向かい乗り込む数分のうちに、導き出した推論が先程の問いだった。
支部を出る時点で思い至っていたのであろう神崎は軽く頷き、携帯を触りながらも、準備していたように話し出す。


「2008年。ケベックで42億年前の地層が出土し、それまで最古とされてきたカナダ北部のものを2億年更新した……が、そこは何度も調査がなされた場所だった。新たな調査結果など出ようはずもないほどに。入手できた地層の1部からは能力反応が検出され、採掘チームの中に『周りの物の時間を戻す』能力者の存在が疑われたけど、能力の効果であるか汚染であるかさえ断定できず術者も不明に終わった」


訊いていることに答えてくれ、と言いたくなるが耐えた。自分以上に迂遠な言い回しを嫌う人物である、意味もなくこんな話をしているわけではない。落ち着かせたいのだろう。中の人間がどれだけ急こうと、こんな住宅街でスピードは出せない。


「人間のケースなら、70年代に自分を含む数名の親しい同窓生を、当時在学していた年齢まで引き下げた例があったらしい。強すぎる懐古のなせる業かな。能力をかけた方もかけられた方も、全員が肉体と精神との乖離に少なからず精神を病んだため、やはり調査は進まず当事者たちは世を去った。何の公的記録も残っていない。フィクションかもね」

「つまり結局、人間を子供にする能力ははっきり観測されていない?」

「そうだね。だってそんなの不老不死に繋がる能力だからね。公的に観測されてたらもっと問題になってる、ひとつ研究機関ができてるよ」


やはり徒歩を選ぶべきだったか、と佐伯は思った。気の焦りからそう感じるだけかもしれないが、離合する車が多い。下校時刻に当たったらしく小学生も多い。警察車輌とも行き合うので無茶な運転ができない。もっとも直線距離の短い住宅街では無茶な加速さえしようもない、苛々と膝を指で打つ。


「でも、今回、術者自身が幼児だから」


そう、警察車輌。今ならわかる。恐らく、園山あかりに幼児にされた行方不明者を探す、警察車輌だ。岸本愛以前に何人の人間を子供にし、園山邸に招待していたのかわからないが、ここ数日の警察の紛糾ぶりはこれで説明がつく。都内とはいえ田舎町、2、3人でも行方不明者が相次げば、前代未聞の大事件だ。


「なら退行に限らず、同化の能力とも考えられる。同化自体は珍しい能力じゃない。複数の人間が共に生活するうち挙動が似てくる、程度の同化現象はよくある。歴史に名を残すような扇動者や演説の名手もよく備えていた能力らしい。こういうふうに、『他人の思考パターンを自分のそれに似せる』同化能力、まぁ軽い洗脳、は珍しくない……けど」


支部共用の黒いスマートフォンから、岸本愛への発信を繰り返しつつ、淀みなく話していた神崎の口調が一瞬滞る。


「肉体まで、それもこんな短期間で同化してしまう能力は初めて見たな。身体まで作り変えられて、本人が違和感を覚えないのは、思考も園山あかり? だっけ? とかなり同調していたということなのか、」


それで、遮るように佐伯が言う。能力の細かなスペックは後でいくらでも、それこそ研究機関でも作ってじっくり研究してくれたらいい、今知りたいのはただ、


「治ると思いますか」

「思考が似るのは、洗脳と同じ構造だと考えるなら、効果範囲外に引き離せば治る。意識は常に更新されるものだからね。同化してた間の記憶なんかはなくなりそうだけど。で、体の方は……難しいな。情報が少なすぎるし、考えうるパターンは多すぎる」


スピーカーモードにした電話から漏れる、発信音と「ただ今電話に出ることができません」だけが車内を満たす。白い指は感情を感じさせない動きでまたリダイヤルに滑る。発信を繰り返しながら、状況を整理するように呟く。


「約24時間一緒にいた人間の背を数センチ縮めた……僕たちには症状が出てないことから、10時間以上効果範囲内にいる必要がある、もしくは階をまたぐことができない程度の効果範囲である……」

「本人が能力をかけようと思った相手にしかかからない、かもしれませんよ」

「そうだね。やっぱり圧倒的にわかってることか少ないな。そもそも模写の程度、外見を似せるのか、遺伝子情報まで全く同じクローンを作ってしまう能力なのかもわからない。極論、むしろ僕たち観測者の視覚、認識を変える能力、という可能性さえありえるくらいだ。で、その同化の強度によって、さっきの問い、治るのか否かの答えも変わってくる」

「最悪の場合を教えて下さい」

「急かすね。クローンレベルに同化能力が強い場合がそりゃ最悪だけど、それでさえ、治るか否かは容易に答えることができない。被能力者の体内で園山あかりの細胞を模した細胞が増えるとき、逐一園山あかり本体を参照するのか、すでに体内にあるオリジナルを真似た細胞をさらに複製するのか、によって全然結果が違うと思う。ウェブ上にあるデータか、端末にダウンロードしたデータか、みたいな」


卑近な例えさえ用意してみせる冷静さにとても理不尽なことだが微かに苛立った。その思考も聴こえているであろう神崎は、特に気分を害したふうもなく、しかしその冷静さを崩すこともなく、続ける。


「ウェブ上のおかしなファイルを端末内に複製し続けるなら、回線を切って1つ1つ削除したらいい。でも既に端末にダウンロードしたファイルをコピーし続けるなら手の下しようがない。だから後者の場合、効果範囲外に出ても解決する確証はない。癌に侵された細胞がコピーされ続けるように、オリジナルがもう近くにいなくても、園山あかりの細胞は増え得る」

「つまりもう、救いようはないかもしれない、と?」

「そうだよ。最悪の場合を言えって言われたら、いつだって『助かる可能性はない』という答えになるよ。常にその可能性は存在するから。例えどんな能力であっても、治す方法はある、と言ってほしかっただろうけどね」


ハンドルを握る手に力が入る。関節が白くなっているのを他人事のように見る。正論だった。最悪の場合を聞きたい、と言いながら、自分はまだ、覚悟が足りない。約2週間、自分の元で働いてくれたあの少女は、もう永遠にあの姿を失っているかもしれない、そう認めることが怖い。慰めるように、少しだけ口調を柔らかくして、神崎が続ける。



「もうすでに変えられてしまった人が元に戻るか、そんなに分は悪くないよ。この能力、即効性のぶんそんなに強固ではないだろう。60兆の細胞全て園山あかりのものに置き換わったわけでもないだろうし、効果範囲外に出て、元々の遺伝子情報と園山あかりの遺伝子情報との版図拡大合戦になれば、いずれオリジナルの細胞が淘汰し返す可能性が高い。時間はかかりそうだけど」


確かに元に戻る可能性の方が高いかもしれない。しかしそれは他人事の戯言だ。「一生今まで生きてきた肉体に戻れない」、そんな可能性が1パーセントでもあるのはもう悲劇で、起こってはならないことだ。もう既に同化の完了した被能力者は、否応なくこの、ローリスクだが外れれば人生終わりな賭けに挑んでもらわなければならない。


「……岸本さん、もう、同化しきっていると思いますか」

「それもわからない。気休めじゃないよ、昨晩から会ってないからね。ただ、」


神崎が腕を伸ばし、ずっと握って発信し続けていたスマフォをダッシュボードに置く。


「もう、電話には出られないみたいだね」


コール音は確かにしていた。電波が入らない、電池切れ、ではなく、鳴り続ける電話に、出ることができない。あれだけ「何かあったら電話するように」と口酸っぱく言い含めた岸本愛が、着信に気づかない、無視する、そんなことはないだろう。電話に出ない、ならばすなわち、神崎が言ったとおり「すでに電話に出られない状態になっている」のだ。楽観的な想像は捨てるべきだ。


「踏み込んで、もう岸本愛がどれかも区別もつかない状態だったら、全員保護します」

「そうだね。なにせ区別がつかないし」


何人いるんだかわからないが全員保護し、オリジナルの園山あかりを見つけ出して隔離する。そして、


「もしそうでなければ、園山あかりの方を」


続きは口には出されなかった。出す必要がなかった。車に乗ってから今までのやりとり自身、そこに行き着くための確認作業でしかなかった。岸本愛の同化は刻一刻進んでいる。誇張でも何でもなく、1秒でも早く、園山あかりの能力の影響下から逃れる必要がある。
対して園山あかりの能力の効果範囲はわからない。どこまで引き離せば安全なのか、確信が持てない。あるいは効果範囲などもはや関係なく、園山あかりが岸本愛を対象と見なしたならどれだけ引き離そうと無意味なのかもしれない。

彼女の超能力のスペックがほぼ不明な今、確実に能力の影響下から逃れる術がない。
ただひとつ、ほとんどの超能力被害をとりあえずは解決する、最悪の手段以外には。


「もし、そうしないといけないなら、僕がやるから」


窓の方に顔を向けた、神崎の表情はわからなかった。右手で軽く、シートベルトが横切る左胸あたりに触れるのが見えた。上着の下、一部の支部員は携帯することになっている、銃の感触を確認したのだ。「そうしないといけない」。その意味は2人とも理解している。


「それは……逆に安心できないですよ」


苦笑が漏れる。射撃も護身術も一応教えはしたが、神崎の覚えは酷いものだった。笑っている自分に少し驚いた。岸本愛をもう『変えられて』いること、あるいは園山あかりに然るべき手を下すこと、どちらも最悪の想像のはずなのに、自分はもう、この先に待っていることへの諦めがついているのかもしれない、と彼は思った。真剣に言ってるのに、と憤慨したように神崎が言う。


「お気遣い痛み入りますが、それには及びません。そういう仕事なんですから」


普通の人間の、普通の生活を脅かす超能力者が現れたなら、


「……そういう仕事なんですから」


それを滅す、仕事。

自分に言い聞かすような反復に、神崎は返事をしなかった。






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -