「セ?」

「そう、背。身長」


岸本愛と入れ違うように出勤した神崎に、佐伯は問いかけた。どうにも彼女の身長が数センチ低くなった気がするのだが、そういった現象に心当たりはないか、と(ちなみに鴻上にも訊いたが、予想通り「そんなに注意して見たことがないからわからん」という趣旨のことを言われた)。


「妙なことを言ってるとは思うんですけど」

「いや。支部長の女性に対する観察眼は信頼に足る」

「喜んでいいのか……俺も神崎さんの記憶力は信頼しています」


一旦は靴のせいだと思った。今も頭の冷静なところではそう思っている。それでも、何か違和感が彼の頭から離れなかった。


「戻ってきたら見てみるけど。僕も彼女の靴なんてちゃんと見てないから、靴のせいっていう説は否定できないよ」

「うーん……そうですよね」

「万一、一夜にして目視できるほど背を縮めるような能力に晒されているなら、縮められてる本人も平気じゃないと思う。痛みとか、違和感とかさ」


骨が縮むんだよ? と言われて想像しようとしてみる。成長痛の逆バージョンみたいなものを勝手に想像した。長身の佐伯、成長痛はかなり苛烈だった。


「本人は出かけてるの? 呼び戻して、あの子供と引き離したら? 彼女のためにというか、こちらの精神安定のために。もし本当にこの一夜で変化したとすれば、原因はあの子なんだろうし」

「まぁ……もう戻るでしょう。どのみちそろそろ預かってていい限界でしょうし、戻ってきたら可哀想ですが引き離します」


スマフォを取り出して、岸本愛にかけるか一瞬迷う。とりあえず近所の派出所に午後から迷子を移譲する約束を取り付けてからにしよう、と決め、切り出し方を考えながら階段を上がりかける。


「余計なお世話ですが女性の靴は見た方がいいですよ」

「ああそうそれはとても参考になるなーアリガトウ」

「中山さんはいつもきれいな靴履いてますよ」

「あーほんっとうに余計なお世話だなー」


戯言に重なるように、あのう、と遠慮がちな声が、日本支部玄関の方から聞こえた。中年〜初老あたりの、女性の声で。当然該当する支部員はいない。来客らしい。タイミングが良くない、と思いながら、1段目に掛けていた足を戻す。


「あの、警察に相談致しましたら、こちらに伺うようにと……」


日傘を畳み、額ににじむ汗をハンカチで押さえながら、ややふっくらした婦人は言った。

警察から。

ネットや各種情報誌に広告を出していない以上、超能力対策機関日本支部に持ち込まれる案件の出元は限られる。以前世話をした人の紹介、各地に散っている協力者からのタレコミ、警察が警察で解決できる問題ではないと判断した案件のたらい回し。ちなみに順番は歓迎できる順だ。最後のは本当にいただけない。警察さえ持て余した、心療内科に行けとしか言えないような方のお話し相手をさせられるだけだ。大概は。忙しいのに。

でもこの人そんなにアレな感じには見えないよな、見えない人ほどアレな時はアレなんだけどな、失礼なことを考えながら佐伯は応接スペースに戻る。先に岸本に電話するか一瞬迷ったが、まぁ女性の相手をするうちにも戻るだろう、と思い直す。


「左様でございますか」


必要以上に微笑んで答えながら、ソファの片方で寝ていた鴻上をつついて起こす。手で奥の方に行くよう促す。どうぞお掛け下さい、とにこやかに勧めたが、婦人はすでに、外国人が応対し、少年が長々とソファに寝ている、という職場環境に不審げな顔を隠そうともしていない。佐伯は背中に汗が流れるのを感じた。今からでもまともなオフィスを装いたい。お茶。そうお茶を出そう。


「どっちでもいいから、紅茶かコーヒーいれてきてくれますか」

「いれ方がわからん」

「お茶汲みなんてしたことない」

「じゃあ家で何飲んでんだよ」


来客なんて週に一回もないのに、なんで彼女がいない数時間に。佐伯は数十分前の岸本愛を送り出した判断を呪った。お茶汲み扱いする気はないが、どうも彼女の方はそれを喜んでいるらしく、飲み物を申し付けられたら跳ねるように給湯室に消えていく。のに。こいつらときたら。掃除と来客対応が発生しない職場などないと叱りつけたい、のを押さえ、ペットボトルの麦茶でいいからいれてきて下さい氷を入れて、と押し殺した声で言う。2人で上がっていった。相談してやるようなことなのか。


「失礼致しました、どうぞこちらに」


不信感は募る一方らしく、まだ掛けていなかった婦人にもう一度ソファを手で進める。自分も対面に座り、まずは警察にご相談をなさったのですね、と口火を切る。もう帰られないうちに話を進めてしまった方がいい。


「重複になりますが、どのような件で?」

「お隣からの声のことで、少し気になることがありまして」

「隣人トラブル、ということでしょうか」


それは普通に警察案件だろう、と思いながら促すと、そういうわけではないんです、迷惑しているわけではなくて、と婦人は首を振る。迷うように頬に手を当てては降ろす。所作の上品な人だ。表情にも迷惑や好奇心より、純粋に、隣家に起こっている事態を心配している色がある。大丈夫です、お話し下さい、意識的にかなり柔らかく促して、ようやく婦人は口を開く。言いにくそうに、こう告げる。

たくさんの子供の声がするんです、と。


「小さいお子様がいらして、彼女がお友達とお庭で遊んでいるようなところは、確かに見たことがあるのですけれど。ずっとなんです。昼も、夜も、何人もいるような声」

「夜もですか……」

「ええ、おかしいでしょう? 連日ですのよ」


これはもしや怪談、なのだろうか、と彼は思った。幽霊というものが実在することを知ってはいるので(あくまで超能力の中では、だが、霊視はポピュラーな能力だ。日本支部にも1人いる)異常者扱いしはしないが、ここで解決できるわけでもない。相談すべきは警察でも超能力対策機関でもない。寺だ。


「当該のお宅には、尋ねてみられたのですか? 言いにくいとは思いますが」

「いえ、これが本当に気持ちの悪いところなんです、その家の方を見なくなったんです」

「見ない?」

「ええ、毎日普通にお勤めやお買い物や、通園なさっていたのに、お車も毎日停まったままで、ご主人も奥様もお嬢様も仲働きも、一切家の外でお見かけしませんのよ……数度思い切ってインターホンを押してみたのですけど、それにも誰も出なくって」


それは確かに奇妙だな、と彼は思う。仲働き、とナチュラルに言われたが、お手伝いさん、家政婦、というような存在がいる家ならば、例え長期の旅行に出かけるときでも対応する人間は残っているだろう。そのために雇うのだ。
「夜逃げした豪邸に子供が入り込んで遊んでいる」くらいしか合理的な解決が思い当たらない。というかもうその家に行った方が早い。推測しているより。権限は少ないが、警察より身軽に動けるのが民間組織の便利なところである。


「お隣、ということでしたね。住所をお伺いしたいのですが」


裏紙を1枚とって、あ、と思った。何か描いてある。幼児らしい筆致で。すまない、と思いながら隅の方に婦人が告げた住所を走り書いた。番地でどの辺りかまではわからないが、いわゆる高級住宅街と言われる地域だった。婦人の品の良さにも、家政婦のいる生活にも頷ける。


「園山邸、ですね。ご主人やご夫人の名前はご存知ありませんか」

「奥様のお名前は聞いたことがあるような……何だったかしら……」

「まぁ、絶対必要ではないので。それよりご同行願えれば幸いなのですが」


突然知らない外国人が訪ねるのは具合が良くない。家政婦がもしいたとしても開けてくれないだろう。あくまで隣人が心配して来訪した、というのに付き添う形をとりたい。


「ええ、そのつもりで参りましたわ。ああ、お役に立たないかもしれませんけれど、お嬢様の名前だけなら。よく呼ばれてらっしゃるから、覚えています」


ここでようやく神崎により麦茶が給仕された。今から園山邸に行くのだから無駄になる麦茶。すみませんね、という気持ちと遅すぎるわ、という気持ちから微妙な半笑いが漏れた。子供の名前はそこまで重要でもないが聞いておこう、左手で麦茶のコップを持ち上げて婦人の言葉を待つ。


「確か、あかりちゃん、と」


コップを置いた。口をつけないまま。思わずソファから腰を上げる。弾かれたように立ち上がった佐伯を、婦人が当惑したように見上げる。


「申し訳ありません、急な仕事が入りました」


着信を受けたわけでもないのに、これは無理がある。明らかに自分の言葉に反応したのに? と婦人も言いたげだったが、もうそんなことにかかずらっている場合ではなかった。神崎を手招きし、鴻上には目配せで留守を頼む。己の役割を知る支部員たちにはそれで通じた。神崎が支部車のキーを取り、投げてよこす。お待ちいただいてもお帰りいただいても結構です、と婦人に言い置く。多分帰るだろう。何だこの対応は、と憤りもするだろう、そんなことは今、佐伯にはどうでもよかった。

今は部外者より、支部員のところに駆けつけねばならない。





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -