「ど、こまで行かれるのですかお嬢様……!」


おじょうさまー? とあかりちゃんは楽しそうに訊き返した。小走りのまま。私の手を引っ張ったまま。さっきの脳内を引きずったままの私の呼びかけが面白かったらしく、ケラケラ高い声で笑いながら。やはりこの子は支部を出るとテンションが上がるようなのだが、今回特に顕著である。離れるごとに彼女の中で何かはじけるように、何もないのに笑っている。大人なら捕まる。


「公園、に、行こうよぉ……」


ちなみに今支部を出て10分くらい。ずっと走っている。ので、徒歩10分くらいの公園はさっき行き過ぎた。徒歩ってほら、歩きだから。
私はもう横腹が痛いし汗ダラダラだし、コンビニに入りたい。とりあえず止まってはほしい。私が止まれば腕がグンッてなって止まるんだけどなんか怪我しそうじゃない。

私の言う公園――私が就活にくじけ黄昏れていた公園――は支部から見て駅の反対方向にある。このまま公園をスルーして走り続けると、民家続きの住宅街を抜け、民家より邸宅と呼びたい高級住宅街に至る。駅前ならともかく、こっち方向に子供が喜ぶようなアミューズメント施設はないぞ。


「なんなのもう……大きいおうちが見たいの……?」


1軒辺りの敷地面積が広くなっていくのを如実に感じながら走り、さすがに疲れたのかスキップくらいの時速になった頃、景観は完全に高級住宅街のソレに変わっていた。白い壁。高い塀。ビバリーヒルズ。知らんけど。
この速さなら抱き上げて止めることももう可能だったけれども、私の方が止める気をなくしていた。公園で遊ぶより大きいおうちを見るのが楽しいなら、まぁそれはそれでいい。人の興味はそれぞれだ。コンビニには入りたかったですけどね。喉カラカラ。

私を引っ張りまくってまで到着した割には、あかりちゃんは麗しい家並みにあまり関心を示していないようだった。キョロキョロとはしてるんだけど、私が、ほらワンワンとか(ちなみにボルゾイ)、お花きれいだねぇとか(ちなみにイングリッシュローズ)言っても、心ここにあらずといったふうに歩き続ける。

目的地、彼女なりの目的地はここでさえないのか? この住宅街を抜けたらむしろ反対側に一駅歩いてしまうし、そうさせる前にさすがに休ませなきゃいけない気が、というか、


「……やっべ」


佐伯さんに連絡しなきゃ。忘れてた。確実に快諾はしてもらえない、戻れと言われるだろうが、公園から遠く離れていることを伝えねば。それをする約束で出してもらったのだから、果たすべきだ。


「あかりちゃんごめんね、お姉ちゃんちょっと電話するから、そこの日陰に」


何か高い門に、ライオンの顔の取っ手がついてる絵に描いたように金持ちっぽい家を指差す。ちょっとひさしを貸してもらおう。路上に豊かに降り注ぐ陰は無料なはずさ。
あかりちゃんは大人しく言われた日陰に入った、と思いきや、ライオンの取っ手に取り付く。え?


「だ、ダメだよ! 人のおうち、ダメ」


慌てて叫ぶとカタコトになってしまった。虚を衝かれたのだ。5歳児にしては分別のある、本当にやっちゃいけないことはやらない子と安心しきっていたから。所詮は5歳児だというのに。5歳児はまったくわかっていない顔でこちらを向く。大丈夫だよう、といつになくはしゃいだ、それでいて甘えるような口調で言う。


「ここ、あかりのおうちだもん」


なんですと?

今なんつったこの子? あかりのおうちだと? マイホーム? い、いやだって昨日わからないって言ったじゃないですか。どっちから来たのか指差して? という問いにさえ困ったみたいに俯いたじゃないですか。それがなに? 今自分のうちに正確に私を案内してみせたってこと? いや違うだろ。とっさにこの場を取り繕おうとしただろ。


「うそだよね……?」

「ウソじゃないよ。今あけるから、ね」


5歳児の言葉に翻弄されている間に、彼女は爪先立って門の取っ手を押す。私にはどう開けるのかよくわからない、取っ手を上手く外してしまう。
えっ本当にこの子のおうちなの? 家出に飽きたってこと? このまま入ったら彼女の両親とご対面? ちょっとした恐慌状態でポケットの携帯を取り出した。とりあえず佐伯さんに電話しなきゃ、でもこの状況をどう伝えていいものかわからない、迷っている間にも、重い門を開けて支えているあかりちゃんが呼ぶ。おねえちゃん早くー。ああもう。もう!


「知らん!」


どうなろうが知ったことか! もしご両親に怒られでもしたら開き直ってやる、あなたたちが目を離すからこんなことになったんですって言ってやる!
駆け寄ってあかりちゃんを押しつぶしそうな門を支え、彼女を通した。私もその後に身を滑り込ませる。ああせめてインターホンを押した方が……と思ったがもう遅い、門扉から玄関までの小道を駆ける少女の背を追った。ていうか門扉から玄関までの小道ってなんだよ、岸本家にそれに相当するものなんかないぞ。本物のお嬢様らしい。ちなみにおうちは確かに白い壁、赤茶の屋根をして、チューリップの枯れたのがたくさんあった。ううむ。


「ねぇ、ホンットーに、あかりちゃんのおうちなんだよね……?」


玄関、板チョコみたいな、磨かれた飴色の戸を前に、あかりちゃんに最終確認する。返事をする間ももどかしいと、早く開けろとばかりに、彼女は何度も頷いて、自分では手の届かないドアノブを指す。はぁぁぁ。開けるしかないのか。

なんだかスーパーポジティブイージーゴーイングと思われがちな私なのだが、そこまで楽観的ではない。よくぞうちの娘を保護してくださった、と、歓迎されるとは思っていない。悪ければ誘拐犯として警察を呼ばれたりする想定だってしてるさ。いっそ鍵が閉まってりゃ仕切り直しなのに、と思いながら回したノブは動いてしまった。ご在宅だ。面倒くさいことになる覚悟はした。


「お邪魔いたします……」

「ただいまぁ」


顔だけをドアの隙間に入れる。初夏の眩い日差しに慣れた目に、屋内は真っ暗に見える。瞬きを繰り返す私の横をすり抜け、あかりちゃんは奥へと走っていく。思わず止めかけたが、ここは彼女の領域なのか、と思い直す。
やっと目が慣れてきてわかった。屋外との差で暗く見えるだけじゃない、家、少なくとも玄関先は照明が点いていないらしい。在宅じゃないの? こんなに広いし居るところ以外の電気は消してるんだろうか? 玄関の奥、吹き抜けになってていくつかのドアに続く空間――エントランスとでもいうのだろうか――がぼんやりと見えてくる。あかりちゃんはそこに立ち止まって私を待っていた。靴はどこで脱ぐんだろう、と思いながら彼女に歩み寄り、気づく。


私を待つ人影は、ひとつではなかった。


何人かの、6、7人の子供が、遊んでいる。タイル貼りのエントランスで。皆四つん這いで、ビー玉か何かで。あかりちゃんの兄弟? 友達……ではないか、本人がいないのに友達を呼ぶことはないか。若干困惑しながらもう1歩進む。薄暗い広間で、一心に遊びに興じる子供たちの姿はそれだけで異様で不気味なのだが、なんだろう、それ以上に、猛烈に嫌な予感がする。鼓動が妙に大きく聴こえる。自分の中の何かが寄るなと言っている気がする、でもあかりちゃんが手招きしている。

子供の1人が顔を上げた。2人、3人とそれに続いた。

ひっ、と喉の奥で声が漏れた。

手から滑り落ちたスマフォがタイルに落ち、一瞬遅れて鳴り始めた。初めて自分がずっとそれを握りしめていたことに、そして結局佐伯さんに電話してないことに、気づいた。ひとつ転がってきたビー玉が、私の爪先に当たって、コツン、と音を立てた。






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