目を開けた。ぱっちりした瞳が腕の中・アゲイン。おはよう。寝起きのガサガサした声で言うと、おはよう、鈴を振るような声で返された。アラーム(7時)前に起きたし、私にしては記録的な早起きなんだよ。子供の体力底無しすぎるよ。寝る子は育つっていうし、もうちょっとお寝坊でもいいと思うよお姉さんは。

慣れないながらも、はいバンザーイ、などと言いながら昨晩デパートで買った服を着せる。私もタンスからほとんど自動的にTシャツとショーパンを取り出す。日本支部に勤め始めた最初の方こそ、社会人らしいブラウスとスカートを心がけていたのだが、特に誰も私の服装に注意を払っている様子がないので、自然と学生時代の適当カジュアルに戻ってしまっていた。見る人がいないと女って枯れるんだぜ。

まぁ支部長さえ大体ジーンズだしな、私の仕事内容掃除だしな、などと考えながらデニムのショートパンツに足を通、


「うわ」


そうとしてよろめいた。寝ぼけてるの? それとも老化? 老化なの? 片足立ちで靴下が履けなくなるとか、そういうのの片鱗なの? なにそれつらい。
履き終えてからも、妙に膝に布がまとわりつくような、変な感じがある。昨夜感じた、関節のダルいような熱いような感じもなくなっていない。まさか風邪か、それとも疲労か、あかりちゃんのことが片付いたら週半ばだけど1日休もうか……などと漠然と考えながら、手早くメイクをする。昨日いいものを食べてたっぷり寝たせいなのか、お肌は妙にキレイだった。

トーストと目玉焼きを食べ、食べさせ、また手をつないで日本支部に向かう。行く道すがら、頭の中で佐伯さんに報告すべきことをまとめる。昨晩のあかりちゃんの家関連のことはメモっておくべきだったかもしれない。なにせ寝入りばなのことなのですでに記憶に自信がない。
私が私の思考にふけっていると、彼女も何も言わなかった。もともとあんまり自分から話す子じゃなかったけど、昨日ベッドの中ではかなり解消されていたのに。

またあの場所に行く、ということがわかっているんだろう。佐伯さんは歓迎してくれているけど彼は忙しいし、他の面々からは多少、拒絶の空気は感じる。誰にだって嫌いなものはあるし、そもそもあそこは仕事をするところだ。やっぱりあんまり長いこと私が預かることはできない。あかりちゃんから伝わってくる、張りつめた空気に胸が痛む。子供はもっと傍若無人に、自由闊達にしていてほしいと切に思う。


「大丈夫、だからね」


もう親が見つかるから大丈夫、なのか、私が守るから大丈夫、なのか自分にもよくわからないまま、無責任に言った台詞にさえ、彼女は真剣な顔で頷く。なんだか情けない気持ちになりながら、小さい手を握りしめて支部のドアを押した。


「おはようございまーす」


私だけでも元気にドアをくぐり、ソファの刃心くんに挨拶する。やはりというか、律のデスクは空席だった。神崎さんも。そうだよね、と思っていると、神崎さんは昼から来ます、今起きたそうです、と佐伯さんの声だけが奥から響く。昨晩の報告をすべく彼のデスクに歩み寄り、デスクに落ちた影を感じて佐伯さんが目を上げる。


「おはようございます……」


青い瞳が瞬く。眉間に微かに皺を寄せ、視線を私の頭の先から足元まで、一往復させる。な、な、


「なんです? 何が変です!?」


足元にあかりちゃんがいることに対するリアクションかと思ったが、昨日連れて帰ったんだから今日連れてくるに決まっている。そんなことを忘れる彼ではない。むしろ一晩中気にしていたに違いないのだ。


「あ、いえ、見ているつもりは……すみません、大変失礼しました」


軽く手を振り、ごまかそうとされる、と逆に気になる。私の知る佐伯さんは、多少不意をつかれたくらいで、こんなおもっくそ怪訝な顔で女性(一応)のことを頭からつまさきまで見るような人でもない。何かな、今日適当にすませたコーデとメイクどっちが変だったのかな! 両方かな!


「いや何でもないです、気のせいだと思います」

「言えないんですか? そんなに失礼なことを考えたんですか? ショックぅー」


どうだ私も強くなったぞ。彼は観念したように口を開く。


「本当に何でもないのに……もっと、背が、目線が高かったような気がしたんです。岸本さん」

「せぇ?」


せ。というと、身長?

そう思ったとき、今朝感じた、些細な違和感が鮮やかによみがえった。

ショートパンツ。長かった、んじゃないのか。いくら疲れてても、あんなのに足をとられるなんて。アレはそんな、膝にまとわりつくような、丈じゃなくないか。
昨日から熱を持っている、膝の関節に触れた。それを覆うように、デニムの生地がある。これ、こんなに長かったっけ? 高校生の頃からずっと履いてるやつだ、特に意識したことなかったけど、膝小僧出てなかったっけ? 疑いを重ねるほど、背筋に冷たいものが這い上るような気がしてくる。関節が融けてでもいるように、嫌な熱を放つ。

履いているパンツが長い、ということは、私が――……


「どうしたの?」


ぺとっと、小さい手が、膝小僧に触れた。より熱い手に触れられて、吸われるように熱が引いた気がした。不思議そうに見上げる黒い大きな瞳に、憔悴する私が映っている。客観視して、すっと恐慌が引いていく。佐伯さんの言葉が耳に入ってくる。


「女性はヒールを履かれますし、その程度のことだと思うんです。だから言わなかったんです、どうか気にしないで下さい」


冷静になってみると、身の内で膨れ上がったあの恐怖はなんだったんだ? という気持ちになっていた。履き慣れたショートパンツが長いんなら、生地が伸びたってことでしょ普通、と数秒前の自分にツッコミたくなる。佐伯さんの言う靴だってそうだ、そんなに高いのは履かないけど、ローヒールパンプスとスニーカーでも数センチは差が出る。私は何秒取り乱していたんだろう。あかりちゃんに何でもないことを示すように笑いかけ、ついでに先に2階へ行っててもらう。


「第一声がそれってことは、夜中から朝にかけて、特に何も情報はないってことですよね」


眉を寄せたまま佐伯さんは首肯した。区内の幼稚園と小学校には届けなしで欠席した児童はいなかった、らしい。いなかった?


「え……どういうことですか? あの子、存在しないってことですか?」


じゃあ昨日触れた彼女はいったい!? と思わず2階の方を振り仰ぐと、佐伯さんは苦笑する。


「幼稚園は義務ではありませんからね。通っていない児童もいます。区外の私立の幼稚園や小学校に通っているのかもしれませんし、もしかしたら大きく見えるだけでまだ3歳以下なのかもしれません」


何も話してくれませんから、疲れたように言う彼に、私は勢いこんで昨日の、私の方の収穫を話した。彼女はやはり住所のわかるようなものは持っていなかったこと。虐待の跡も見受けられなかったこと。私のうちでは口数がやや多かったこと(ここで彼は少し安心したように頷いた)。その結果の、「あかりのおうちは広くて、おとうさんもおかあさんもどこにいるのかわからない」発言も、うまくまとまっていないながらも、話した。半分眠ったような子供の言うことだ、と前置きしたが、佐伯さんは真剣に聞いてくれた。


「子供の言う『大きいおうち』っていうレベルがわかんないんですけど……もしかしたら結構裕福なおうちなのかもしれません。だったらますます、身代金目的の誘拐かもしれないし、親が捜してないなんておかしいと思うんです」


私の短絡的な推理にも、彼は真面目に頷いた。区外に範囲を広げて調査を頼んでみます、と何でもなさそうに言うので申し訳ないような気になる。(何をしているのかは実にまったく知らないのだが)普段から多忙を極めている様子の彼に、近隣区の警察・幼稚園・小学校との連絡まで負わせてしまうとは。支部の前にいたあの子を連れて入るときには、ここまでのことになるとは思わなかったのだ。私も今日中にはフルネームくらい聞きだそう、と心に誓う。


「おねえちゃん、」


2階へと続く階段の方から、消え入りそうな声がした。振り仰ぐと不安げな顔が半分だけ踊り場に見えている。佐伯さんに軽く頷いて、彼女に駆け寄る。あかりちゃんと過ごす2日目――そして最後になるかもしれない日――が始まる。





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