「あの、お願いします。私も別に子守り得意とかじゃないんですけど、産んだこともないし……むしろ普段自分のこともちゃんとできてないっていうか、人の世話焼いてる場合じゃないとかよく言われるんですけど、」


アレ、売り込もうとしたのにダメなとこばっかり出てくるね。

自信なげにしょぼしょぼしていく語尾に、彼がふっと笑った。そりゃあ産んだことはないでしょうね、笑い混じりに言って、幼女ちゃんの前におもむろに膝をついた。

「お願いしましょうか」

「えっ。いいんですか」

今のプレゼンに説得力が? と思ったが、岸本さんに懐いているのは間違いないので、と彼は言った。なるほど。この子は自分で自分の居場所を勝ち取ったのだ。

何度も言うように彼は腰の低い気遣い屋ではあるのだが、外見は大柄で強面の外国人なわけで、そんな佐伯さんに顔を覗き込まれた幼女ちゃんが泣き出したりするのではないかと(そして佐伯さんが落ち込むのではないかと)ひそかに危惧していたのだが、幼女ちゃんは持ち前の反応の薄さを今回もかましてくれた。微かに首を傾げ、いくつか瞬きをする、もはや見慣れたリアクション――……の後に、彼女が小さい手を伸ばした。佐伯さんの銀の前髪に、触れるか触れないかのところで摘むような動作をする。彼の髪や目の色が珍しいのだろうか。彼もちょっとくすぐったいような顔で、されるがままになっている。

……なんだろうこのハートフルな光景は。私が何本花を植えるより、幼女をひとり支部に置いた方がみんなの精神に良いのでは。ややいじけてそう思っていると、満足したように指が離れる。お返しのように佐伯さんが彼女の頭にそっと手を置いた。

「お名前は」

目を細め、極端に子供扱いしてはいない、でも普段よりは柔らかいというか甘い声で囁く。こ、これは。この破壊力は。直接言われたわけでもない私がドキマギするんですけど。こんな歳でこんな人に接してしまったら、この子幼稚園の男子とかに恋できなくなるぞ。
……ていうか私名前も聞いてなかったんだ。呆れる。

あかり。

動かすか動かさないかの微かさで、唇はそう紡いだ。出会って初めて聞く、彼女の声。あかりちゃん? 細い声を確かめるように彼が繰り返し、幼女ちゃん――改めあかりちゃん――が頷いた。あかり。表記はわからないがかわいい名前である。なんだか彼女に似合う名前だとも思う。けなすわけじゃないけど、ティアラだとかジュリアだとか言われなくてよかった、なんとなく。

上の名前も言える? とか、幼稚園? 小学校? とか、どうやってここまで来たの? とか、甘い声の職務質問は続いたが、あかりちゃんが再度口を開くことはなかった。佐伯さんと私を代わる代わる見比べ、ぴゃっと私の後ろに隠れてしまう。嫌われたようです、と苦笑いしながら佐伯さんが立ち上がった。嫌われたというか……あなたは対峙するのに気概がいるのですよ。わかるよあかりちゃん。

いやしかし。


「佐伯さん、子供がお好きなんですね」


判明した彼女の名前より衝撃的だったかもしれない、これ。話し方も触れ方も、幼児を怖がらせるまい、という気遣い以上のものが感じ取れた。

「まぁ、人並みには」

「と言う人は大体人並み以上なんですよ」

いまだ彼の視線は、私の陰のあかりちゃんに柔らかく注がれている。日本支部の通い猫、ヒメちゃんに接するときの佐伯さんもまぁまぁしまりのない感じではあるのだが、それとはまた次元の違う慈しみのようなものを感じる……いや変な意味じゃないよ。彼の名誉にかけて言うと。


「扱いに慣れてらっしゃる感じもします。私なんか、子供の相手だーと思ったらなんか素っ頓狂な声出しちゃって」


NHKかよ、みたいな、と言うと想像したのか彼はちょっと笑う。微笑んだまま、何気ないように続ける。


「そうかもしれませんね。歳の離れた妹がいたので」


へえ、と思った。歳の離れた、って、何歳くらいだろう。佐伯さんがアラサー、「歳の離れた」が10歳前後と仮定すれば、妹さんはもしかして私と一緒くらいだったりして。妹さんも銀髪碧眼なのかな、佐伯さんと似てるならカワイイ系よりキレイ系かな、ちょっと会ってみたい……あたりまで考えて、はたと気づいた。

「いたので」。って言った? 今。

私が疑問符を浮かべている間、不自然な沈黙は続く。言葉のアヤでしょ、と思ったが、これ自身が変なのだ。普段から彼は察しのいい、気の利く人である。話題が私の答えづらいこと(主に就活時代のことなど)になって黙り込めば話題を変えてくれるし、私が理解できない話題になれば言葉を足してくれる。そんな彼が、この沈黙に何のフォローもしないで黙っている。私が返す言葉を待っている、ような気さえする。

話したいのかもしれない、と思った。妹さんがどうなったのか。過去を、もしかしたら今、私に打ち明けたいのかもしれない。へえ、今はどうなさってるんですか? 無邪気を装ってそう尋ねるだけで、私はその期待に応えられるのかも、


「そうなんですね」


と思いながら、私の口はそうは動かなかった。まるで過去形に気づかなかったかのように――あるいは気づいていて「重い話はしないで」と釘を刺すように――社交辞令的な微笑みを作って、あっさりとそう答えた。


「ええ、そうなんです」


穏やかすぎるような笑み、独り言のような声を、安堵ととらえるべきか失望ととらえるべきかわからなかった。その程度だ、私と佐伯さんはまだ。

だって彼の妹さんが亡くなっていたとして、それを知って私はどうすればいいの? 何を言えばいいの? まだ互いの家族構成さえ話し合ったことなにのに、そんな、複雑な家庭環境とか、過去のトラウマとか。聞いていいと思えない。ていうかその過去を話したいのかもっていうこと自体、私の思い込みかもしれないし。

俯いて、あかりちゃんの髪を梳きながら、誰に向けてだかわからない言い訳めいた思考をこねくる。じゃあ、と会話を打ち切るように佐伯さんが言った。じゃあ、申し訳ありませんが、今日1日よろしくお願いしますね。言ってデスクから自分のスマフォを取った。


「ああそう、何か名前のわかるものを身に着けてないかだけ、調べてもらえますか。迷子札みたいなやつです。私が体をまさぐるわけにはいかないので」

「まさぐるっていう言い方の問題なような……了解です」


軽く笑いあって微妙な空気を流して、これで本当に終了だった。私と彼の葛藤も逡巡もすべて終了。大切な機会の端っこが、指先から解けて消えていくような感覚がした、でももう遅い。

「じゃあ今日はここで、お姉ちゃんと遊ぼうね」

肩に手を置き、ほっぺをぷにっとしながら言うと、あかりちゃんは身をよじって声になってない笑い声をあげる。かんわいいー。背中に手を置いて軽く押しながら、デスクのスペースから玄関に近い応接スペースに彼女を誘導する。背を向けてからもしばらく感じていた、佐伯さんの視線が離れたのがわかった。また駐在所に電話をかけに行ったのだろう、靴音が階上に消えて、我知らず詰めていた息を吐いた。だって仕方ないじゃん、今はまだ、またそう思った。


まだ、とか、いつか、とか。当たり前にいずれそんなことも話せるようになるみたいな言い方してるけど。それって本当にいつの日か当たり前に来るわけ?

ふっと浮かんだ、もう一人の自分の冷静な声が怖くて寂しくて、ずっと頭から離れなかった。





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