あの、と口を開いてみて、何を言っていいかわからなくて、閉じた。気の利いた話題を探すことも、なんだかかったるかった。神崎さんやりっちゃんや、佐久間健也にさえ、申し訳ない気持ちがあって、そのせいで私は思っちゃいけないような気がしてたけど、私だって当たり前に、疲れている。張り詰めていた気を緩めた後に特有の、どろっとした疲れが体の底にある。当たり前に疲れていたし、当たり前に。

怖かった。

自分を抱くように二の腕を掴み、頭を垂れて、深い息を吐いた。突き出された刃の鈍い銀、鋭角のシルエット、金属の匂いまで、今もまだはっきり思い出せる。私は誰かに「死んでもいい」、もしくは「死んだ方がいい」と思われた。そう思うと寒気がした。体を温めるように二の腕をこする。今更のように涙がにじむ。

悪意を持って何かしたわけでも、何もせず投げ出したわけでもなく、100パーセント良かれと思って心から語りかけて、これなのだからもう、本当にもう、私は。もうどうしようもない。根本的な人間性のところで、なんか決定的にダメなんだとしか、


「別に……君のせいじゃないよ」


前を向いたまま、彼がぽつりと呟いた。縮めた肩に埋めるようにしていた顔を上げる。へえ? と間抜けな声を出してしまったが、神崎さんは頓着しなかった。


「例えば今日仕事に行こうとか。買い物に行こうとかさ。その程度のことだって、突然他人にやめろって言われて、やめないでしょ。ましてあれだけ事を大きくして、捨て鉢になった人間を、言葉で止めることなんて最初から無理なんだよ」


な、なに? 何の話? 今日の話だとは思うけど、


「だから誰でも同じって言ったんだ。本当に、説得に当たったのが僕でも律でも、ベテランの刑事や彼の親であったとしても、結果は大差ないと思ってる。刃物を向けられるのが誰かというだけのことで」


これはもしかして私、


「君の説得ね。支離滅裂で感情論すぎたけど。まぁ悪くなかったんだと思うよ……」


か、かばわれているのか? フォローされている? 言葉を尽くして? あの神崎さんに……


「『あの』って何なの」

「ひい! ごめんなさい! でも私神崎さんが超怒っているものだと」

「まぁ、愉快な気持ちではないけど。君への不快感ではない」

「じゃ、じゃあなんでそんなに離れて歩くのです」


こんな善意バカとは話したくもないのかと、と言ってしまってから口を押さえた。こんな卑屈に拗ねる権利なんかないんだって。善意バカね、と彼は少しおかしそうな声音で呟く。もうわかってると思うけど、と前置きする。


「僕は他人の思考を聴く超能力者でね。こんなこと言ったって信じないから、新人には実際に見せて納得してもらうことにしてるんだけど。君ももう、理解してくれただろうから」

「あ……やっぱり、そうなんだ」


神崎さんが洞察力に優れすぎている、という、ないだろうが捨てきれはしない可能性が絶たれた。ううん。まぁ確かに、心を読んでいます、なんて、実際に自分の心を読まれないと信じないかもしれない。いくら超能力うんぬんな組織にいたって。

超能力。

そうかあ。超能力かぁ。
初めての、能力内容も明らかな超能力者の存在に、なんか、言葉を失ってしまった。結局超能力関係ない仕事ばっかり見ているゆえに、実感することなかったんだけども。本当なんだなぁ。超能力。
これで能力の内容も明らかな超能力者は神崎さん、超能力者っぽいけど内容がわかんないのが佐伯さんと久賀原さん、超能力者か否かも定かでないのが刃心くんと律。

んで?


「え、それでなんで、離れて歩くのです?」

「半径1メートルが効果範囲……僕の能力が有効な範囲だから。だから今後は1メートル以上遠くから話しかけてほしい。僕は気にしない」


はあ、じゃあ、と頷いてまた道路の反対側に渡ろうと横に足を出して……いや、と思った。いやだって、それって、じゃあなにか、この人はそんな能力を持ったがために、誰かと肩を並べて歩いたりする機会を奪われなくちゃならないわけか?
斜め前に踏み出した足で、神崎さんの斜め後ろあたりに並んだ。縦並びから横並び。うむ。これが自然な形じゃないか。歩行者が歩く側と逆だけど。


「私、聴かれて困ることなんて、ないですし」


そうかな。勢いごんだ私の声にすっと水を差すように、彼は静かに言う。冷ややかに、と言っていいような、声で。


「不都合なことない人間なんて、いるかな。心のうちで嘲ったり憤ったりしながら、顔は笑うのは普通のことだと思う。そんなこともできない人に、社会に出てきてほしくないな」

「……それは。まったくしないわけじゃ、ないですけど」

「かわいそうだと思ったね。僕のことを」


責め詰るような口調ではなく、子供を諭すようなゆっくりした語調だった。だからこそいっそう、かあっと頬が熱くなった。私は彼を、人と肩を並べて歩くこともない彼を、憐れんだのではなかったか。私が一緒にいて“あげよう”と、思ったのではなかったか。自分の浅さというか、無意識の上から目線というかが。恥ずかしかった。きっと日常で、こんなこと、たくさんしてきてるんだ。だから佐久間健也も怒らせる。本当に私は――


「能力が能力だからさ、」


ぎゅっとスカートの裾を握った私を、慰めるように聞こえなくもない、ちょっと明るい口調で神崎さんが言う。この微妙な声音の変化、日本支部に来たての頃は気づかなかったろうな。一応1週間強、ここにいた証だ。


「さぞ苦労しただろう、人間不信に陥り孤独だったろう、と思われがちなんだけど。そうでもないんだよね。幼少期は多少アレだけど、さすがにもう、傷つくようなことはないよ」

「……他人に、期待してないからですか」


なんだか釈然としないまま言う。意図せず口の尖った私の横顔に、彼がふっと息を零す。


「まぁ、端的に言うとそうかな。人は嘘を吐く。そしてそれは別に悲劇的なことではない」

「うぅん」


わからない、というのがあからさまに出た声になった。わからなくていいと言うように、神崎さんがまた笑う。初めて会ったとき、「赤い瞳」と形容した目は、実際暗紅色というのか、葡萄みたいな色に見えることが多い。今も。斜め後ろから見る目は、透き通った、ガーネットみたいな色に見える。大人っぽい、きれいな横顔だった。





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