「バ、バカにしやがって、」


血走った眼球が零れ落ちそうに、目を見開いて、鼻息を荒くして、彼は言った。腰が抜けたまま、呆けたまま見上げる私を、睨み据えて。


「こ、こんなガキに、何がわかる! 何が貴方の気持ちはわかりますだ、わかるわけねぇだろぉ!! 舐めやがって、こんなガキ宛がいやがって、だ、誰も話を聞く気なんか、」


口の端に唾の泡がたまるのを、ぼうっと見ていた。こんなガキ、っていうのは、もちろん、私のことだ。私のこと?

……なんで? なんで私が? だって私ただ恐がってる下の人たちより、ただ片づけたがってる神崎さんと律より、あなたのこと心配してたのに? 1番あなたに心添わせてたはずなのに? なんで? なんで私が1番憎まれるの? なんで? じゃあどうしたらよかったの?

パニックと理不尽だと思う気持ちと、今さら命の危機に瀕していた実感がわいたのと、誰かに殺意を向けられた、ということへの圧倒的なショックと。もう自分でもわからない感情で、目が熱くなる。目尻から涙が溢れそうで、瞬きしてこらえた。泣きたくない。
多分神崎さんも律も、こうなること――どこまで詳細にかはわからないけど、少なくとも犯人が本当に説得に心動かされてじゃなく、害意を持って私を呼んだこと――は、わかってたんだろう。だから1度も険しい顔を緩めなかった。浮かれて、的外れなこと言ってる私を、どう思っただろう。見た目通りのバカだ、面倒くさいと思っただろうか。

佐久間健也はまだ何か言っている。既にもうちゃんとした意味をなしていなかったし、私の方もこれ以上ショックを受けないよう自己防衛してるのか、聞いたことをちゃんと認識できない。ただぼうっとしている。座り込んだ床の感触と、床に近づいたぶん強くなった埃臭さだけが鮮明……な中に、もう1つ、確かな感触が生まれた。肩を抱く、柔らかい腕。


「言いたいことはそれだけかしら」


肩に回された腕の優しさとは裏腹に、彼女の声は氷のようだった。


「本当に嫌いだわ。貴方みたいな人」


苛立たしくてたまらないように、カツカツ、とピンヒールを床に打ちつけて鳴らす。そういえば、初めて会ったときも、りっちゃんは怒ってたな。どうでもいいことを思い出した。


「貴方の境遇は、とても同情すべきものだと思う。でも、それ、他人を不幸にしていい理由にまったくならないのよね」


佐久間の目はもうどこにも焦点が合っていない。律の言葉も耳に入っていなさそうだ。包丁振り回して暴れるかと思ったのに、何だろう、私への感情に任せた一撃後、彼もそれをどうしていいかわからないようにも見える。例えば今ので彼女が死んだとして、と続けるのを聞いてビクッと肩が跳ねた。なんて仮定を。いや、そうなっていても、おかしくなかったんだけど。


「彼女の家族はまたやり場のない怒りを抱えるのよ」


確かに、それは、そうだ。お父さんもお母さんも悲しむし。もしかしたら、佐久間の家族とか、私にこんな仕事をさせたCSC機関に憎しみが向かうかもしれない。憎悪が連鎖するのは、なんて簡単なんだ。善意や思いやりはどんなに頑張っても届かないのに。それ以上言っても逆上させるだけだよ、神崎さんが呟くのを無視して律は腕を組む。


「言うわよ。スッキリしたいもの。自分が負った不幸を撒き散らそうとする人って、大嫌い」


忙しなく動いていた黒目がギョロッと彼女に合った。ことさらに強調するように吐かれた、大嫌い、に反応するように。な、なにが、おおおまえに、私に向けられていたような言葉が、壊れたテープレコーダーみたいにまた繰り返されて、意味のない咆哮に変わる。奇声とともに、万能包丁が突き出される。

彼女は避けなかった。少しだけ体を傾け、ギリギリで躱した刃物持ちの腕に自分の腕を絡めるようにする。芸もなく真っ直ぐ突き出された腕に、白い蛇のようにしなやかな腕が絡む。佐久間の二の腕辺りを掴み、力を入れると、関節が曲がらない方向に力が加わる。蛇が絞め殺すように、ぎりぎりと。苦呻とともに、手から刃物が落ちる。私の頭をぐちゃぐちゃにしたかもしれない凶器は、カラン、という頼りない音をたて、床の上でまた日常用品に戻る。一応の仕上げのように、彼女は男の軸足を払い、足を縫いとめるように向う脛を踏んだ。ピンヒールが肉と骨の間を抉り、彼はまた呻く。


「お疲れ。お見事」


特に心配するでも、まして加勢するでもなかった神崎さんが、特に感心もしてないふうに労い、


「素人相手に技使うなんて、恥よ、むしろ」


本当にイヤそうに鼻に皺を寄せて、彼女が答える。やっぱり何か、格闘技の心得がある、むしろかなりいいところまで極めた人なんだろうか。そういう動きではあった。抵抗の恐れはないと考えたのか、律が踏んでいた足はどける。彼女は包丁落とさせるのに掴んだ腕1本で、佐久間の体重をほぼ支えている。神崎さんは私1人支えるのも、重いって投げ出したのになー。

いや、でも、私ほどの役立たずに言われたかありませんよね。

りっちゃんが引きずるようにして佐久間をエレベーターに引っ張り込み、神崎さんが、ずっと押していた開ボタンから指を離す。彼女と犯人とが火花を散らし、結局私は降り立つことさえなかった10階フロアとエレベーターは断絶され、下降を始めた。





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