決めたが。


「どうしたの? 口が止まってるね?」


弾切れである。
だって1度我が身のこととして考えてもらいたい、立て篭もり犯の説得に使える語彙って、そんなに、持ってる? 恥ずかしいのであんまり詳しく言いたくないが、「降りてきてゆっくり話し合いましょう」「今なら罪はとても軽いです」「ご家族やご友人も心を痛めていらっしゃいます」というようなことは、言った。ああ言った。道路のど真ん中で100人余りのギャラリーを前に拡声器で言ったさ。でももう、言うこと思いつかない。ていうか。


「あの、私この犯人が何を要求してるのかも知らないんだけど……」

「あ。そうだったわね」


本当に今思い出した、という感じで、制服警官ズから受け取った資料をめくる。ううん。本当に、彼女には「立て篭もり犯がマンションの一室を占拠している」という事実のみが重要で、なぜ、とかはどうでもいいのだなぁ。いちいち同情してたらやってられない、ってことなんだろうか。そんなにこの手の事件に関わる機会が多いんだろうか。えらいところに就職してしまったのかもしれない。


「えーと容疑者佐久間健也。28歳。既婚……だけど配偶者は他界してるわ」

「その若さで?」

「ええ。そこが今の事件に繋がるわけね。新婚旅行先でのバス事故で奥さん亡くなってるの。要求は誠実な謝罪」


何度も言うようだが私は大切な人ひとり亡くしたこともない、ので、わかる、なんて傲慢なことは言えない。けど。新婚旅行で奥さんを亡くす、って。それはさすがに、想像しただけで、結構、胸が痛い。だって新婚旅行だよ。これからだよ。新居を選んで家具を選んで、子供何人ほしい? なんて話しあったり、してたんだろう。死ぬ一瞬前まで。幸せな未来しか、見えてなかったはずなのに。
意識せず、ぐっと拡声器を握り直していた。しかし、は、と鼻で笑うような声が足元からした。


「なら現地のバス会社を爆破すれば? っていうね。日本のマンションで爆弾作って立て篭もるとか、意味わかんない」

「……何もかもどうなってもいいって、なることくらい、あるでしょ。ちょっと、笑っていいことだとは思えない」

「こんな大騒ぎしていいことだとも思えないね。そもそも裁判して賠償金もらって、もうこの件は片付いてるんだよ。不服なら控訴すればいい。こんな手段で解決しうるものじゃないし、解決しようとする奴のことは大いに笑うよ」

「そうだけど。そうなんだろうけどさ」


そういうのって、もう、何て言えばいいんだろう。理屈ではわかってても、ふと甦った怒りに衝き動かされることって、あるじゃん。俯くと鼻の奥がちょっと痛くなった。やるせない。腹立たしい、悔しい、みたいな気持ちもある。なんというか、人生に。こんな言い方する神崎さんにも、ちょっとある。まぁまぁ、と言いながらりっちゃんが軽く肩を抱いてくれる。


「今のは貴方が言いすぎだと思うわ、怜依。でも、愛も、あんまり……犯人に肩入れしない方がいいわよ」

「うん。解決しに、来たんだもんね。犯人の方に同情してたらダメなんだよね」

「ううん、そういうことじゃないの、むしろ説得するなら犯人に同情できた方がいいんだけど……なんていうのかしら」


困ったような顔で彼女は腕を組む。ピアスの黒い石がキラリと朝の光を返す。シンプルなグレイのシャツにワークパンツ、というシンプルな服装が逆に女性らしさを引き立てる。やっぱり私が、と言いかける律を制した。
もう立て篭もり発生から、1時間半ばかり経っている。避難しているマンション住民の中には、疲れて座り込む人も多く出てきた。なんでおうち入ったらダメなの、とぐずりながら母親のエプロンにしがみつく子供がいる。ごめんね、ちょっとね、と彼女をなだめる母親の眉間には皺が寄り、目尻は恐怖にひくついている。でも彼らに恐怖と混乱を与えている犯人も、彼らと同じく、ここの幸せな住民になるはずだった。どちらの感情もうまく汲んで、決着させられるかは、私にかかっている。のかもしれないし。やれるなら、やりとげたい。


もし自分の友達が、恋人や婚約者を亡くしたら、どんな言葉をかけるだろう。容易な想像ではなかった。浮かんでくる言葉いちいち、なんだかドラマか映画で聞いたような、安っぽい月並みな言葉に思えて、でも、そんな言葉でも。言わないよりは。
ともすると弱気になる自分を叱咤して、かすれそうになる声を張った。長いこと構え続けるには結構キツい重さの拡声器を、何度も握り直した。りっちゃんも神崎さんは、険しいような、どこか冷めたような顔で、私と、犯人の立て篭もる最上階を見かわす。


「彼女も、こんなことは望んでいなかったはずで、――……」


制服警官ズの輪が少しざわめき、中から1人がこちらに駆けてくる。どうしよう。何かマズイことを言っただろうか。そもそも何のスキルも知識も持っていない18歳に説得とかやらせてる時点でだいぶマズい気がするのに!


「動きがありました!」


私たち3人、あからさまに20前後の、まるで大学生グループのような風貌に、警官は戸惑ったようにうろうろ視線をさまよわす。いいよ、話して。相変わらずしゃがんでベーグルサンドを食べている人に鷹揚に促され、彼は釈然としない様子のまま、あ、ハイ、と返事をする。


「犯人の潜伏フロアから伝令がありました。犯人、説得に多少心動かされた模様です。説得役の女性に部屋まで来てもらいたい、2人きりで話してみたいと」


「ほ、本当ですか……!」


力が抜けて、ふらっとその場にしゃがみ込みそうだった。自分でも、こんな自分でも、人の気持ちを、少し動かせた。やけっぱちで捨て鉢だった気持ちを、少し持ち直させることができた。


「聞いた!? やっぱり説得だって無駄なんかじゃないよ、まだあのフロアに行けるだけだけど、彼の……」


湧き上がる達成感のままに、どちらにともなく話しながら振り返る、私の声は、尻すぼみに小さくなっていった。
2人は全然喜んでも驚いてもいなかったから。え? と固まる私に、りっちゃんは一応曖昧な笑顔を見せてくれる。神崎さんは完全にノーリアクションで、パン屋の袋をぐしゃりと潰し、立ち上がって、立ちくらみでもしたのか電柱に手をつく。りっちゃんと並ぶとちょうど頭が同じくらいの高さだ。お似合いだ。いや、男女で同じ高さってお似合いじゃないか。15センチ差が黄金の身長差だっけ? 確かに彼氏が同じ身長ってのはちょっと……


「うるさい」


ぼそりと言われた。今までで一番低い声だった。地雷だったかもしれない。いや、でも、思っただけですし。


「やっとお許しが出たし。行こうか」


お疲れ、と何の感慨もなく言って、私の肩をポンと軽く叩く。叩かれた肩からふわっとブルーベリージャムの匂いがする。わ、私の肩で手を拭いたな。いやそれより。


「え、2人きりって、向こうが」

「それはさすがに行かせられないわ」

「でも、せっかく少し信頼してもらえてるのに、」

「君ね」


もうすでにマンションのエントランスに足を向けていた神崎さんが、振り返って私を見ている。サングラスの奥の赤い目が、私を見つめている。微かに眉を寄せたその視線は、何だろう、怒っているわけではなくて、強いて言うなら……憐れんでいるような?


「他人に期待なんて、しない方がいいよ」


「……どういう、いみ」


もう返事もせず、カツカツ靴音を立てて彼はエントランスへ向かう。避難民と警官の群れがすっと割れた。さ、行きましょ。りっちゃんに優しく背を押されて、私たちもエントランスの方へ向かう。もう、私だけで行かなきゃ、と反駁する気持ちはなくなっていた。それどころか、ちょっと心を開いてくれた、という喜びや達成感さえ、なくなっていた。

『他人に期待なんて、しない方がいいよ』

少年のような、高い冷たい声が耳の奥でこだまして、もうこの先、悪いことが待ってるような予感しか、しなかった。





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