「いやいやいやいや。無理無理無理、無理だから」
「大丈夫よ、愛。みんな最初はそう思うものよ」
「最初って! こんなん普通の人の人生には1回もないよ! わかった、2人ともイヤなのはわかった、だからあの、ジャンケン……とかには、ならないかな。そうしよう。恨みっこなしで」
「いいけど。僕が立て籠もり犯の説得に向いていると思う? 彼の神経を逆撫でしてマンション爆発炎上ダービーなら自信がある」
そうだね! あなたはそうでしょうね! ただ一緒に働いてるだけで燃やしてやろうかと思ったことが1週間で何回かあるものね!
「り、りっちゃん」
「割とまともな人だと思われてるみたいだけど、私も彼と大差ないわよ。さっきからイライラしてるくらいだもの。ああ愛にじゃないわもちろん、犯人によ。仕事だし、同情する演技をしろと言われたらするけれど……できるはずだけど。うん。できるはず」
自分に言い聞かせるような彼女に、なにかヒヤリと冷たいものを感じる。やっぱり、なんか、あの、生きてきた世界が。違う感じが。私だって現時点で立て篭もり犯に同情なんかできていない、一番大きい感情は「恐怖」だ、もちろん。でも、彼らには多分、恐怖もない。「一応相手も人間だし」とは言ったけど、人間とも、思ってないんじゃないのか。業務として排除すべき対象、としか。
「その想像は概ね当たってる」
やはり心を読んだらしい神崎さんが呟いた。
じゃあ、どうしよう。どうすればいいの。一応私は、相手を人間として認識してると思う。とりあえず相手の要求は知りたいし、できるだけそれに応えたら荒事なしで事件を終えられるかもしれないよね、と思ってる。説得能力にめちゃくちゃ欠けるであろう私と、言葉は巧みかもしれないけど、犯人を人とも思ってない2人と。どちらが何をするべき?
後ろに回して組んでいた手を、ほどいた。や、やろうとしてるのか。私。自分でもびっくりした。誰のためになんだろう。犯人のためなのか、マンション住民たちのためなのか、私のためなのか2人のためなのか。わからないけど、でも、私多分そのためにここに、連れてこられたんだし。拡声器を受け取るべく、手を差し出した。
「……やらせといてなんだけどさ。君も、なんというか、甘いよね。そんなに震えて引き受けられると罪悪感をまったく覚えないわけでもない」
「それでも『まったく覚えないわけでもない』レベルなんだね」
ごめんなさい本当に、と言いながら、りっちゃんが私の頭を撫でる。うーん。私には普通に優しいお姉さんなのに。その労わりの何十分の一でも、犯人には向けられないのだろうか。向けられないんだろうなぁ。
「や、やるけど、私そんなに頭良くないし気も利かないし説得のノウハウとか知らないし、犯人を怒らせちゃうかもしれないんだよ? それで爆発させちゃって、責任とか言われるのはさすがに、」
「さすがにそこまで鬼じゃないよ。犯人がキレかけたらもちろん替わるし、何かあったら責任は僕持ちだよ。繰り返すようだけど『説得した』という事実が欲しいだけだから、気楽にやってくれたらいい」
どうせ誰がやっても同じことだよ、妙に冷めた、クールダウンしすぎた口調で彼は言う。が。
「気楽にって……爆弾だよね? 爆発したらどのくらいの被害……?」
本当にないと思うんだけどな、と言いながら神崎さんがペラペラ資料をめくる。白い紙が朝の弱い日差しを反射する、それさえ眩しいようにサングラスの奥の目を細める。
「工学系卒でもないし、爆薬が手に入りそうな職種でもないし、マンション住まいでガーデニングが趣味だなんてこともないだろうし。もう今ネットで何でも売るバカがいるから断言はできないけど」
「ガーデニング?」
「腐葉土は爆薬になるんだよ。お手軽爆弾。何にせよ、素人がいくつか仕掛けた爆弾でこんな建物倒壊させようなんて爆破解体舐めるなって感じだし、単独犯で住民は全員避難してるし、部屋に灯油撒いたりくらいしてるかもしれないけど、」
もうそのときは、勝手に死んでくれたらいいよ。
特別冷酷にでも憎しみをこめたふうでもなく、ごく普通に発せられた言葉に、やはりこの人には任せられない――と、最後の覚悟を決めた。
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