「岸本さん、朔夜さん、ヒメ」

私の顔、彼の顔、彼の腕の中、視線をめぐらせて佐伯さんが呟く。つまりこの艶女風男性が、サクヤさん。なんかますます女性っぽい。きれいな名前だ。
名前を呼ばれた途端に、ゴロゴロ喉を鳴らしていた猫は身をよじって道路に降り立つ。佐伯さんの足元で8の字を描き、愛らしくミャアミャア鳴く。さっきまで別の男に抱かれていたのにこの変わり身の早さ。こちらもまさに名は体を表す、たいしたお姫様である。


「お、遅くなってすみませんでしたっ」


勢いこんで言い直角に体を折ったが、佐伯さんはジャケットに毛がつくのも構わず、猫を抱き上げてこころもちやにさがった顔をしていた。この人将来貢がされたりするんじゃないかなぁ、こんなにあからさまな媚びを見抜けないようでは、と勝手な心配をしていると意外なところから反応が返ってきた。


「え、キミ支部員だったの?」

「はい、先週から」


なんだてっきり依頼人だと、サクヤさんが言うのももっともである。誰が通勤途中に迷子になっている人をちゃんとした社会人だと思うだろう。情けなさに首が縮む。


「岸本愛です」


迷った末、一応名乗った。佐伯さんから支部員として紹介されなかったから彼は支部員じゃないんだろうけど、一応ここに関係ある人ぽいし。来慣れてたし。


「あー丁寧にドーモ。久賀原朔夜です。俺は日本支部員じゃないけど、ちょいちょい顔出すから……ま、ヨロシク」


やっぱりこの人が、俺、なんて言うのにはものすんごく違和感があるが、いずれ慣れるのだろう。多分。ふうん女の子か、華があっていんじゃない、などと私の何倍も華やかな容姿で言われ言葉を失っているところに、


「なんで一緒に?」


ひととおり、猫、ヒメちゃんと睦み終えた佐伯さんが尋ねる。


「えと、ちょっと迷っちゃって、絡まれて、助けてもらったんです」


ことごとく主語の欠落した台詞だなぁ、と思ったが佐伯さんには伝わったらしく、絡まれた? と眉を寄せる。そういえばこの人、さっき、支部の前でずっと携帯触ってたよね。つまりアレは、いつもより遅い私を心配して、私の携帯(家にある……)にずっとかけ続けていてくれたのでは。申し訳なさすぎる。


「すすすみません、携帯も忘れちゃって、連絡できなくて」

「いや、イレギュラーな事態ですから。そうですね、普段は、いつもより大幅に遅れるようならメールだけ頂けると助かります……送り迎え、誰かつけましょうか」

「お、送り迎えですか? 職場にですか?」

「物騒ですから。むしろ今まで気が回らなくて、申し訳ありませんでした」


毎日職場に送迎される平社員がどこに!
さすがにそれは落ち着かないとかいう次元じゃない、無理、遠慮じゃなくてマジに。マジ勘弁。背中に冷や汗をタラタラ流し、連絡を入れず心配をかけた件を平に謝り、短縮ダイアルに佐伯さんの番号を入れた携帯を絶対、ぜっったいに持ち歩くこと、辺りが暗くなったときは素直に家まで送ってもらうこと……あたりでとりあえず手を打ってもらった。楽しそうに見ていた久賀原さんが、ちょっとバカにしたように、過保護だよなぁ、と呟いた。

「で、」

ギロリ、という音を伴いそうな眼力で視線が移動する。


「絡まれたのを退けたということは、一般人に手を出したんですかね」


久賀原さんは一応私を助けてくれたわけで、そのために彼が責められるようなら私がなんとか抗弁しなければ、と思っていたのだが、佐伯さんは気遣い屋な性格とは裏腹に結構目つきが鋭く、正面から見つめられるとちょっと恐かったり。して。しかし久賀原さんはへらへら笑ってその視線を受け流す。


「能力は使ってないし、あんくらい正当防衛の域だって」


ねぇ? と顔をのぞきこまれ、正直微妙なラインだと思いながらも頷いておく。助けられた身なのだ。あいまいな笑顔を作りながらも、本当はもっと別のところが引っ掛かっていた。「能力は使ってないし」。つまりこの人も。超能力者なのか。


「大体一般人も超能力者もねえっつの、あんなときに。有害か無害かしかねーの」

「どうしてそう挑発するような行為をとりたがるんですか? バカですか? チンピラの類でしょう? あの手の人間には力がないが暇がある。妙な仲間意識もある。次は倍の人数で来ますよ」

「アハハ。アレみたい。切ったら増えるやつ」

「プラナリアな。笑ってんじゃねぇよ」

「顔見られてんだから逃げよーがノメそーが一緒だって。たまにはウサバラシしたいじゃーん」

「へえ。憂さたまるんですね貴方。ためさせる専門なんだと思ってました」


なんだろう。確かに怒ってはいるんだと思うけど。ときどき敬語が崩れる佐伯さん、今までで見た中で一番イキイキして見えなくもないような。私のせいで久賀原さんが責められてる、なんとかしなきゃ、とアワアワしていたのだが、これがこの2人のスタンダードだと言われたらそうな気がしてきた。律と神崎さんがそうであるように。


「きっついよね縁。ツンツンだよね。久しぶりに会うのに」

「……ユカリ?」

「俺です。フルネームは佐伯縁と申します」

「えー名前も教えてなかったの。相変わらずシャイつーかなんつーか。打ち解けるのに時間のかかる子だけど、仲良くしてあげてねー」


もう久賀原さんの台詞は無視することに決めたらしく、猫を抱いたまま佐伯さんは背を向けた。かわいい名前ですね、とかなんとかフォローした方がいいかと思ったがフォローになっていないのでやめた。かわいくても嬉しかないよね。久賀原さんに曖昧に笑い返しつつ支部に入ると、彼も当然のように中に入る。


「お、遅くなりましたー」


小声で言いつつ入室すると視線が集まる。私に向けられた視線には、一様に安心したような色が含まれている(申し訳ない)のに比べ、久賀原さんへのそれはバラエティに富んでいた。刃心くんはソファで寝たまま片目だけ開け、視認して、また寝る=無関心。律は手を止め、ちょっとだけ困ったように眉を寄せ、目礼して仕事に戻る=苦手? 神崎さんはあからさまに嫌そうに眉をしかめ目も合わせない=嫌い?

……なんだろう、このよそよそしい感じ。佐伯さんとは結構、親しいがゆえの憎まれ口、みたいな感じだったのに。そういえば久賀原さんの正式な役職というか、立場とか全然聞いてないけど、彼は日本支部にとってどんな存在なんだろう。誰に聞けばいいものやら、と思っていると、再度夢の国へ戻ろうとした刃心くんが、薄く目を開けた。


「血臭がする」

「結集?」

「……膝か」


彼の視線が注がれる私の下半身を見て、思い出した。引きずられるのに対抗しようとして膝を擦りむいたのだ。見たら結構皮がずる剥けて痛々しいことになっていた、自覚したらじんじん痛い。


「あら、怪我してるの? 見せなさい」


デスクから立ち上がり、奥のロッカーから救急箱を出した律が私の肩を押し、ソファに座らせる。動作が速い。そして有無を言わせない。ガーゼにぽたぽた消毒液を垂らしながら、痛そうね、と眉をしかめる。


「足、痛くて遅れたの? 休んでもいいのよ」

「いやー膝擦りむいて休むのはね……多分小学生でも許されないよね……。それに怪我したのは結果っていうか、ちょっと来るとき絡まれちゃって、だから怪我は自分のせいっていうか、」


私本当に説明下手だなぁ、と思ったが彼女の関心はそこにはなかった。


「絡まれた?」


デスクワーク中の律は髪を後ろでくちばしピンでまとめている。切り揃えた前髪と鬢の毛にトリミングされた顔の中で、眉がきれいにつり上がる。これはまずい。自分で言うのもなんだけど、支部への女子社員加入がよほど嬉しかったのか、律は私のことを結構かわいがってくれている。甘やかしてくれている、と言ってもいい。過保護なのはこの人だってそうだ。


「いや、結局は手をつかまれただけなんだよ。何もなかったから、大丈夫。大丈夫」

「でもいつもそれですむなんて限らないじゃない。何かあってからじゃ遅いのよ。護身術とか、軽いものだけでも教えましょうか」

「いいよいいよ、そんな大げ……」

「うん、じゃあ教えるわね」

「アレ? ここだけ日本語が通じていないぞ?」


じゃあ、さすがに今から男の人に勝つのは無理だから、いかに逃げるかに重点を置いたバージョンね! と話しだす。目はきらきら、よりらんらん、という感じにきらめいている。恐い。ダメだこれ話聞いてくれないやつだ。ていうか何バージョンあるのだ。まぁ、彼女が満足するまで終わらないなら聞くしかないよね、とソファに並んで座る。


「メモをとったりはしないのね? いえ、いいのよ? 強制じゃないのよ?」

「とらせていただきます。謹んでとらせていただきます」


据わった目で言われて慌てて机からペンケースとメモ帳とを取り出す。まぁ、うん。今日偶然助かっただけなのは、事実だし。またあんなことないって言いきれるわけじゃないし。そうなった場合、私のダメージはもちろん、佐伯さんとか律とかがすごく気に病むと思う。自惚れでなく。その程度には仲間になってると思う。自分以外の人のためにも自分の身を大切にするって、なんかちょっとくすぐったいな……と首をすくめた私に、


「へええ。超能力者じゃないんだ。あのコ」


パーテーションの奥から、声が、聴こえた。支部に入ってすぐ、奥の佐伯さんのデスクの辺りに2人で引っ込んだ、久賀原さんの声。
「あのコ」って、私だ。きっと。


「声がデカいんだよ。低めろ」


さっと反射的にメモ帳に目を落とした。一瞬遅れてパーテーションの向こうから、佐伯さんの視線を感じた。間違いない、話題に上がっているのは、私だ。低めろ、と言われた割に特にトーンの変わらない久賀原さんの声が続く。


「ここ何するとこかは知ってんの?」

「超能力対策機関だとは名乗りました……が」

「仕事の全貌を話したわけではない、ってね。まぁ言ってたらいねーわな。今頃」


超能力とか信じただけでも大したもんだわ、という久賀原さんの台詞を耳ではしっかり聞きながら、表面的には律の言葉とメモ帳以外この世に関心のあるものはないような熱心さで、

1、 虚を突いた攻撃をこころがける、

と律の台詞を書きとめる。そのうちに佐伯さんの視線は逸らされた気配があった。なんでだろう。間違いなく2人は私の話をしてる、でもそれに気づいてることを示してはいけない気がする。なんだか盗み聞きみたいで気は引けるけど。でも盗み聞きでもいいから、私がどう思われてるのか、私これからどうすべきなのか、知りたい。「言ってたらいねーわな」って、どういうことなんだろう。知ったら、ここにいたくなくなるようなひどい仕事? ひどいってどういう方向に?


「でもこのままずっとここのソージしててほしいわけじゃねんだろ。だったら超能力ウンタラ名乗る必要もねーもんな」

「まぁ、いずれは。ここでしていることすべて、見せられたらとは思いますよ」

「はは。無理な方に賭けるわ。そんなに一般人のオトモダチがほしいかね」

「……ああそうだよ。ほしいよ。アンタとは違うんだ。笑わば笑え」

「笑いやしねーけど。ならチンピラに絡まれたくらいじゃすまねー荒事に巻き込むじゃん。それお前的にはどうなん? っていうね」

「巻き込みません。絶対に守りますから」


2、最も弱そうな相手を見抜く、

とメモ帳に書き記しながらも、耳はダンボでパーテーション向こうの会話を拾っていた。ここでしている仕事は、知ったらやめたくなるくらいひどくて、チンピラに絡まれる程度ではすまない荒事。今拾った情報だけでは、そうなる。そうなっちゃう。


「立派なオコトバ。まぁ、幻滅するならするで、さっさとしてもらえばいーんでない。近々でなんかそういう仕事ねーの? ねーなら俺の何か譲ってあげちゃう」

「まぁ、荒っぽいといえば荒っぽい仕事は……超能力色ほとんどないですが」

「いーじゃん、連れてけよ。そこで試してみれば。お前の覚悟も、あの子の覚悟も」


不自然なほど下ばかり向いているせいで痛む首筋をなで、私は自分の初仕事(清掃を除く)が決まりつつあるのを聞いていた。
やっぱり曖昧にぼかした言葉ばかりで、全然イメージはわかないのもあってだけど。不思議と冷静だった。くるなら早くきた方がいい、そんな気持ちが私の中にも、あった。彼らが本当は何をしているのか、もういい加減ちゃんと知りたい気持ちがあった。

3、威力よりも意外性のある武器をとる、

メモをし、なかなか重要なキーワードであるらしい、意外性、にアンダーラインを引く。またパーテーションの向こうから佐伯さんの強い視線を感じた。盗み見というものができない人なんだな、と苦笑いする余裕もあった。

『絶対に守りますから』

この人の言葉を、私は疑えない。初めて会ったときから、なんだかもうそうなってしまっているのだ。私は近々、悪漢に絡まれるどころではない仕事に連れて行かれて、そこで何かの覚悟を試されるらしい。何のこっちゃ。情報が歯抜けすぎだ。でも、一体何から守ってもらえるのかさえわからなくても、私はやっぱり、信じているらしい。彼の言葉を。不思議に落ち着いた気持ちからすると。


「まあ意外性と威力を兼ねていたらそれが1番いいのだけど、そうね、こうこぶしを握って、指の間に鍵をこう、挟んで殴るとか。相手の顔面はイチコロね」

「……そ、それはもう私が犯罪者になりそうだよね?」





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