猫を抱いたまま、私の返事も待たず歩き出した彼女の足取りはやはりどこまでもマイペースだった。ぶらぶら、という擬態が似合いそうながら歩調ながら、しかしはっきりした確信があるように迷いなく彼女は角を曲がる。タイルの目地を通って、水が排水溝に流れるみたいに。行き慣れてるの? こんなスーパーモデル風美女が、超能力対策機関に? じゃあどんな容姿の人なら来てても納得なのかって言われたら、いないけどそんな人。
直角に交わる十字路の繰り返しでできている、と思っていた道にも意外とそうじゃないところ、例えばY型とか5叉とかがある。こういうのを目印にすればいいんだなぁ。職場への道で迷子になるなんて情けないことにならないために。


「わかりにくいとこで困るよねぇ。グーグルマップとかに載ってないし」


きょろきょろ辺りを見回す私に、言葉ほど困った様子もなく彼女が言う。


「なんか所有権が複雑で、再開発進まないんだってよ。まーあんまり有用な土地だとも思えないけど」


ずっとこのままにされてもねー、倒壊しそーだしさっきみたいなの湧くし。結論なくだらだらと、間延びした、人を食ったような口調で続く話は、しかし部分部分では論理的で、頭よさそうにも悪そうにも聞こえる。そりゃ会って10分くらいでつかめるもつかめないもないけど、つかみどころのなさそうな人だなぁ、と思った。妙に懐っこく見せてははぐらかされ、みたいな人、のような気がする。一生かかっても本心には近づけないような。勝手な想像をしながら、横目で隣の彼女をさりげなく観察する。

まず目を引くのは身長だ。律を見たときだって大概背高いと思ったけど、彼女はそれを上回る。目算というものはことごとく苦手なのだが、180……はないかな。でもそれに近いと思う。しかも足元に目をやれば、男物みたいな無骨な編み上げ靴を履いているだけで、つまりヒールなしでこの身長。それでもすらっと長い手足とかスレンダーな体つきとかそういうもののおかげで、ものすごく突飛な印象はなく、全体的にメンズライクな服装も違和感なく似合っている。


「背、高いですね」


と言ってから、実はコンプレックスだったりするかもしれない、と思い当ってひやりとしたが、


「そっかな? あんまり言われないけどね」


気にしないふうに答えてくれてほっとする。でも、言われないの? 本当にモデルさんとか、外国住まいとか、高身長女子が珍しくない環境にいるの? 彼女は声も女性にしては低いが、響きになんとなく艶がある。若者Bへの圧倒的な強さを見せつけられた後では、そこにアンバランスな色気みたいなものを感じる。律とは違うタイプの美人さんだ。
それにしても。


「……すうっごく、懐いてますね」


じとりと睨むと、腕の中の猫はこれ見よがしに彼女の腕に顔を擦り付けた。銀杏型のなんだか挑戦的な目で見てくる。小憎らしい。あはは、と笑う彼女に指で喉をくすぐられると、勝ち誇ったようにぐるぐると喉を鳴らす。


「もともと、なんつーか気位の高い猫でさ。しかも女の子には特に懐かないんだよねぇ。引っかかれたりしないだけ良かったと思うべきだよ」


しかしどーやって性別見分けてんだろうね、体臭とかフェロモンとか、人にはわからないのがあるのかなぁやっぱり。
無邪気に言い、自分の手首に鼻を寄せたりする彼女を見ながら、考えた。

『懐いてますね』
『女の子には特に懐かないんだよねぇ』

台詞の意味をかみ砕き、冷静に結論を導かんとした。深く深く考え、神妙な口調で切り出した。


「……失礼なことを、言ってもいいですか」

「ふふん、うすうすわかる気もするけどねぇ。いーよ。聞こうか」


どーぞ、と嫌がる猫の前足をつかみ、びしっとこちらに向ける。鼻がピンクだから肉球もきっとピンクなのだろうと思っていたが、前足には黒いぷにぷにがきれいに並んでいた。唾を飲む。この猫は女の人に懐かない→彼女にはとても懐いている→ビコーズ?


「お、男の人なんですか」

「そうだよん。男の人だよ」


だ、だって、でも、と続く言葉も見つからないまま繰り返す私を、彼女――ではないのだ、彼女いわく彼――は面白そうに見ている。面白い子だなぁ、と実際に言いもする。


「あ、なんなら脱ごうか?」


なんだか妖艶な笑みを浮かべ、襟ぐりに親指をかける彼を焦って止めたら笑われた。からかわれたのだとわかり、むすっとした顔を作りながらも、冷静に視線を胸元に滑らせる。今よく見れば確かに胸は貧乳とかいう次元じゃなくまっ平らだし。声を出す度動く喉の隆起もあるけど。しかしそんな身体的特徴よりも、


「でも、一緒に襲われそうになったじゃないですか」

「そりゃーアレらも女だと思ってたんでしょ。あるあるだよもう。キミがいなかったら連れ込まれるのも悪くなかったね、脱がしたときのツラ見たかったよ」


特別強がったり何かを誇示したりしている様子もない口調で、あぁ、男の人だな、と思った。例えばそこらの男より強いと自負している女性でも、きっとこんな言葉は言えない。と思う。弱者だという意識とか男性への畏怖とか、遺伝子にすりこまれた何かが言わせない。
腰近くまである柔らかそうな茶髪、ピアスとイヤーカフが並んだ形のいい耳、ポケットにつっこんだ骨の形のきれいな手。でもこの人は男なのだ、思うとなんとなく自信をなくす。女らしさって何だろうね、とちょっと虚しくなりながら、大股で歩く彼を追うと、不意に景色が開けた。開けた、といっても普通の人には変わらず灰色の風景が続いているだけなのだが、なんというか精神的に開けた。その建物の前では、難しい顔をした銀髪の青年――先週からの私の上司――がいじっていた携帯電話から顔を上げて目を見開く。
つまりまぁ、日本支部にたどり着いたのだった。





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