考えてみれば、悪い男たちに絡まれているところには、細腕のくせにやたら腕っぷしの強い王子様が助けに来る、というケースこそ漫画の王道である。秘められた能力覚醒パターンが先にきたのは、なにか毒されている証拠かもしれない――……そんなことを考えながら見つめた人は、そんな王道パターンとは1つ異なったことに。

女性だった。

彼女が足を踏み出せば、低い位置で結った栗色のポニーテールがなびく。まるで声など掛けなかったように、ゆったりマイペースな足取りで、こちら、若者たちの群れに近づく。彼女は状況を理解しているんだろうか。髪束からこぼれた後れ毛が撫でる頬は、余裕の、楽しげにさえ見える笑みを形作っているように見える。


「どー見ても合意には見えないよな。もっと健全にナンパでもしろよ青少年」


そんな、煽るようなことを。彼女は本当に、本当に状況がわかっているのか?


「いいとこに来たなぁ、あんた」


飛んで火に入る何とやらでしかない、自分の状況を。

第三者の闖入に、一瞬輪の中に走った緊張感はすでに掻き消えていた。若者らが互いを見かわし、にいやり歪ませる目には、新しいエモノへの期待がはっきり見てとれた。こんな状況だというのに、その女の人に声をかけた男が最後まで渋っていた眼鏡だというのに、腹が立った。体型こそスレンダーながら、彼女は遠目に見ても明らかに私より美しいのだ。口は悪いけど。
私はいいからあなただけでも逃げて、なんて言えなかった。なんで女の人がたった1人で声をかけてきたりしたの、声をかけるより警察呼んでほしかった、としか思えなかった。薄情かもしれないけど。状況を打開する望みが潰えたのだから。


「ちょうど1人で5人相手は無理があるってさぁ、思っ、て……?」


相変わらずゆったりした足取りで彼女に近づくにつれ、若者B(眼鏡)の声は細くなる。眼鏡の奥にある目が丸くなり、アレ? というように何度か細められる。もっともそれは私も壁役たちも同じだった。
ゆっくりこちらに歩いてくる彼女は、そちらに歩いていく、けして小柄ではない眼鏡より背が高い。ように見える。遠近法? いやいや。眼鏡は怪訝な様子で彼女の頭から足まで視線を往復させ、その呆けた視線を彼女はフンと鼻で笑った。眼鏡が立ち止まってしまったので彼女は1人で距離を詰める。黒い影がさっと視界を切り、次の瞬間には、


「何してんのって、訊いてんだろ」


眼鏡が道路に寝ていた。
彼女がゆっくりと長い脚を下す。コンコン、と爪先で打つ道路、に寝ている眼鏡は軽く白目を剥いている。
頭、もしくはそれに近い部分を蹴り抜いたのだ。一応そう理解し、しかしそれを飲み込むのに少し時間がかかった。彼女は容赦なく倒れた男のみぞおち付近を踏む。爪先でえぐっては、ぐっとかかとを押し込む。動作の度、男の首ががくがく反り、がっ、げっ、というような声にならない声とよだれをこぼすのを、目を細めて見る。猫がネズミをいたぶるみたいな目に、背筋がぞわっとした。美人のキレ顔は恐いと最近思ったが、美人の嗜虐的な表情は。次元の違う恐ろしさが。私の敵である若者たちの敵、だから、理論的には味方なんだけど。ひとしきりそうすると飽きたように足を離し、顔を上げ、フッと暗い笑みで、


「次は誰、に、しようか、な」


と言った。それで十分だった。弄んでいるときの目もさることながら、あぁ飽きたのだ、と傍からもわかるような目が恐かった。すっと温度の下がったような目。
壁役3人は脱兎のごとく逃げ去った。私の手を掴んでいた1人は蟹のような足取りで寝そべっている眼鏡に近づき、肩に担いでよろよろと歩いて行った。シャツの趣味は悪いが意外と仲間思いだった。彼女も感心したように頷き、手を出さず、ひらひらと手まで振って見送って、私の方を向く。にっこり笑って言う。


「大丈夫?」


正直、そこまでしなくても、みたいな、彼女を恐れる気持ちはあったのだけれど。助けてもらったのは事実だし、何より機嫌を損ねたらもっとどうなるかわからない。強張る頬で精一杯の笑みを作りぺこんと頭を下げた。


「はい、本当に、おかげさまで……ありがとうございました」

「いーえー。でも用もなく来ちゃダメだよねーこんなとこさぁ。迷子かね」


外まで連れてってあげよっか、と言われて少し考え、外、がこの廃ビル地帯の外だとわかる。あー、えっとー、と意味のない声を出しながらどう説明すべきか考え、結局何も思いつかなくてストレートに言う。


「迷っては、いるんですけど……目的地もこの中なんです。この辺で、ちゃんと使われてる建物を知りませんか」


CSC機関、とか言うのは気が引けたので。知らないだろうし。彼女は少し目を大きくして私を見た。私も1週間以上前に同じことを言われたら同じ顔をしただろうな、と思いながらきれいな二重の目を見つめていると、不意に物陰から転がり出てきた白いものに目を奪われる。それは彼女の足もとにまつわりつき、抱き上げてもらうのを待つ。


「あっ、その、猫……!」

「ん? 知りあい?」


ひょいと掬い上げるように抱き上げて彼女が言う。猫に知り合いというのも変だけど、私はこくこく頷いて、その猫を追いかけたせいで迷ったんです、と言う。勝手な言い草だったが、彼女は気にせず、はは、そう、と笑った。彼女の腕の中の猫も気にせず、というか相手にせず、ボトルブラシみたいなしっぽをさっ、さっ、と優雅に揺らす。野良猫とは思えないような、輝くような白い長毛。
私には触らせてもくれなかったのに、この差はなんだろう。猫に向ける恨みがましい視線を遮るように、さらっと栗色の髪束が流れた。猫を抱いたまま背を向けた彼女が、こちらを振り返り笑う。


「CSC機関、でしょー? この辺で使われてるのなんかそこだけだもんな。ちょうど行くとこだから、ついといでよ」





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