「ただいま」

声の高い人だとまず思った。次にずいぶん色の白い人だと思った。身に着けた黒っぽい服がうなじや手首のびっくりするような白さを際立たせる。服がダブつくシルエットが、細身な体系を際立たせる。彼はポケットに手を突っ込み、そう高くはない背をさらに丸めて、やはり私に目を留めることなく応接コーナーの脇をすり抜けた。猫背のせいで伏せがちな目が私をとらえたかは、色の濃いサングラスにはばまれてわからなかった。

またも気づかれなかった(もしくは無視された)私は1人首をひねる。自慢じゃないが昔から私は、黙っててもそこにいたらわかる、とか愛は存在がすでにうるさい、とか言われてきた方なのだ。それなのにここに来てからの影の薄さはなんなのだろう。もうすでにいろいろな気配が濃く溶けこみ過ぎて、これ以上余地がないみたいな雰囲気が、このビル自体にあるからかもしれない。

彼は佐伯さんの机のへりにちょいと腰かけて、腕と爪先を組む。


「おかえりなさい。神崎さん」


という佐伯さんの声にちょっと棘があったのはこの無礼のせいだろうか、それとも「厳しく言っておく」の導入なんだろうか。彼、カンザキさんとやらにはお疲れさま、のねぎらいがなかったことからして、多分後の方なんだろう。


「中山さんが非常にご立腹でした」

「知ってるよ。さっきまで一緒にいたんだから。むしろ支部長より詳しいと思うよ」

「へえー。先に帰りたくなるほど怒らせた原因も知ってます?」

「そりゃ、まくしたてられたんだから知ってるよね。僕が仕事しない、って言うんでしょ」


カンザキさんはきれいな声をしていた。男の人にしてはかなり高く、甘い響きの芯に金属質の冷たさがある。甘えたような口調も、いやむしろ子供じみた口調こそ清潔に響かせる声。病弱で気難しい箱入りのお坊ちゃまみたいなイメージ。


「何のために2人で行かせたと思ってるんです? 分担して回ってもらうためであって、楽しくデートしてもらうためじゃないんですよ」

「デート気分だったわけじゃないし、そもそも一緒にいなかったよ。彼女は回るべき所を回って資料をもらってきた、僕は喫茶店で自分の仕事してた」

「はは。自分の仕事?」


聞くうちになんとなく事情はつかめてきたが、しかし佐伯さんの「厳しく言っておきます」はあまり功を奏しているとは言いがたい。カンザキさんは相変わらず上司の机に腰かけたまま、どうでもよさそうに、むしろかったるそうに首を回す。男の人にしては長い(ギリギリ結べるくらい?)、脱色しすぎたみたいな白っぽい金髪は、しかし傷んだ風でもなくやわらかに肩に落ちる。


「貴方が仕事を選ぶんですか。偉くなられたものです」

「支部長は本当にイヤミが下手だね。中途半端に善良なせいだよね」

「……悪かったな、中途半端で」


口喧嘩は先に感情を出した方が負けだというが、今回もとりあえずこの一言でやり取りが終ったらしい。カンザキさんは立ち上がって4つ固められた机の方に行き、1番汚い机に鞄を置いた。この汚い机が彼のものらしい。しゃべり方や振る舞いから神経質な人かなーと勝手に思っていただけに意外だった。
佐伯さんは怒っているよりもうんざりしているような口調で、そろそろ愛想つかされますよ、と言い、カンザキさんは山の中から1冊のバインダーを引き抜きつつそれはないよ、と返す。

しかしここの人たちはあまりにも上司を軽んじすぎているのではなかろうか。机を殴る、机に座る、嫌味にダメ出しをする、思い返せばコウガミ少年も佐伯さんを「佐伯」呼ばわりしていた気がする。自分の半分くらいしか生きていない少年に呼び捨てられてしまう佐伯さんを見て、有能な部下にはなれないまでもせめて従順な部下であろう、と思った。


「お待たせ」



勝手に同情して勝手に決めているうちに、カンザキさんがごく自然に向かいの2人掛けソファに座ったのでものすごく驚いた。彼は私の存在に気づいていないのだと思っていた。


「横通って気づかないわけないでしょ。先にお小言を片づけようと思っただけ」


変な顔、と呟いて笑う。いや、そりゃよっぽど間の抜けた顔してるんだろうけど、初対面の女の子の顔見て笑うってあなた。思わずむっとした顔をしてしまったが、彼は気にした様子もなく、サングラスの向こうから妙にしみじみと私の顔を眺める。


「そう。君が、ねえ……」

「わ、私が何でしょう……」

「昨日、君が電話かけてきたの、聞いてたよ。支部長が何度も何度も道説明するの聞いて、どんな呑み込みの悪いヌケサクが来るのかと思って。憂鬱だった」


憂鬱とか言う割に口元が笑ってますけどね。ヌケサクって。ヌケサクって。初対面なのに何なのだこの人は。いやいや、私がその言葉に抱いている印象と彼が抱いている印象が違うだけで他意はないんだよきっと。ね。そう言い聞かせて気を取り直す。


「ほ、方向音痴なんですよー、本当に困っちゃいます……本日からこちらでお世話になります、岸本愛です! よろしくお願いします」

「僕は神崎怜依。よろしく」


別によろしくしてくれなくていいけど角が立つからとりあえず言っとくね。

という心情がありありと出た口調で言い、それきり彼の関心は手にしたバインダーに移った。無理に作った笑顔のまま顔が引きつる。てっきり方向音痴なんだー、とか、何歳? とかどこの高校? みたいな会話が続くと思っていたのに(だって普通そうだろう)マル無視って。
なんで話すこともないのにここに座ったんだろう、この人。居心地悪い。目のやり場がなくて、恐る恐る神崎さんの顔をうかがうと、彼はバインダーを開いて初めて気づいたようにサングラスを外すところだった。光に慣らすようにぎゅっと固く閉じ、数回しぱしぱ瞬きをする。ようやくあらわになった彼の素顔に目が釘付けになる。


「珍しい? 赤い目は」


彼は意外と幼げな顔をしていた。私とそんなに年が変わらないようにさえ思えた。しかしそれよりも目を引いたのは、赤い目。充血してるとかじゃなくて、虹彩の部分がくっきりと赤い、瞳。白髪に青目の人の次は金髪に赤目の人。ここは外国人のサロンなのか。


「僕は日本人だよ。父親も母親もモンゴロイド。支部長は見ての通りの白人だけど」


あとあの人白髪って言うと落ち込むからね、どんどん言うといいよ。
と、なんだか聞き捨てならないことを言いながら神崎さんはページをぱらぱら繰る。紙の隅の方をつまむみたいなめくり方はやっぱり神経質そうに見えた。節くれだったところもさかむけたところもなくすっと伸びた白い指は、ピアニストのものみたいにきれいだった。日本人ならカラコンでも入れているんだろうか……と思うやいなや、


「いや、これは地目……地目とは言わないのかな。とにかく何もしてないよ。色素欠損なんだ」


と返されてやっと、おかしい、と思った。

確かに私は彼が私に気づいてくれてないと思っていたし、佐伯さんを白髪だと思っていたし、神崎さんを外国人だと思っていた。しかしそれはもちろんすべて、頭の中でのことなのである。神崎さんは、私が口に出していないことに受け答えしている。表情から読み取った、ではすませられないほど微細に、私の考えを読んでいる?


「……こんなに気づくのが遅い人、初めて見た」


最初は何を言われているのかもわからなかった。低くなった声と深くなった笑みに、私が気づいたことに気づいたのだ、と理解した。ヌケサクだね。楽しそうに神崎さんは言い、この人底意地の悪そうな笑い方が似合うなぁ、と現実逃避気味に思った。





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