私が体を預けるようにしてやっと押し開けたガラスのドアを、片手でバァン! と開けたのは女性であった。本能的に体がビクゥっとすくんだ。佐伯さん私仲良くできそうにないです!

仕立てのいいクロコのハイヒールが、かつかつと床を打つ。同じ靴を履いても私ではたてられないような、床を傷つけているんじゃないかと思うような、攻撃的な音。ヒイイ。怖い。グレーのジャケット姿がマフィアの女ボスみたいに見える。
彼女は黒い髪をなびかせ、ソファの上で身をちぢこめる私には一瞥もくれず、奥に入った。ごん、と鈍い音が響いたのはその直後のことだ。ヒイイ。


「おかえりなさい、中山さん」


思わずソファから身を乗り出し、体をよじって奥をうかがう。事務机に向かう佐伯さん、の向かいに、黒髪マフィア女ボスことナカヤマさん。拳を握り、甲の方を机の面にぴたりと当てた状態で佇んでいらっしゃる、ということは、さっきの音は、つまり、鉄拳で、机を? スチール製の事務机を?
殴られた机の持ち主はしかし穏やかな微笑みで、お疲れ様でした、などとと言う。佐伯さんの落ち着きに救われた気がしたが、よく考えるとこれはこの程度のことは日常茶飯事であるがゆえの落ち着きだろうか。それならそれでいやだ。毎日机を殴られては適わない。どれだけバイオレンスな職場なのだ。


「ただいま。佐伯君」


呪力みたいなものが満ちていそうな声でナカヤマさんは言い、靴と同じ高級そうな型押しのバッグから、ぽいぽいと白い紙束を机に放り投げる。山の高さが増すにつれ佐伯さんは同情的な目つきになり、本当にお疲れ様でした、と繰り返す。                   

「私、もう彼とは組みたくないわ」


ナカヤマさんの声には、恨みがましさもさることながら疲労の色が濃くあった。艶やかな鞄やオニキスのピアスよりなお黒い髪をさっと揺らし、ため息をつく。


「その気持ちはよく、もう非常によくわかるんですがね」

「そうよね。2人行動が原則なのよね。この人数じゃパートナーを選べないのよね。わかってるの本当は」


わかってるんだけど、と爪を噛むみたいな仕草をしながら苛立たしげに言う。短めの前髪のために眉も目もそろってつりあがっているのがわかる。アーモンド型の黒目が大きい瞳、こういうのを柳眉というのか、というようなすっとした眉。こういうくっきりした美人のキレ顔は、凡人のそれよりもかなり恐ろしい。
彼には厳しく言っておきますから、と佐伯さんにとりなすように言われ、彼女の機嫌は少し持ち直したようだった。彼、というのがまだ見ぬ4人目ということになろうか。


「シャワー、使うわね」

「はい。ごゆっくり」


ナカヤマさんは最後まで私の方を見ることなくフロア奥の階段に消え、そして彼女の出現前よりさらに悪くなったような空気だけが、ここに残った。怒りに我を忘れて気づかなかったのか、気づいてたけど新人になんか構っていられない腹立ちだったのか。せめて前者がいい。


「シャワー、あるんですねぇ」

「湯の出は悪いですがね」


ぽつぽつと言葉を交わすうちに、普段はもっと落ち着いた方なんです、とか、たまに周りが見えなくなるところがおありになって、とかの言い訳めいたものが混ざりだす。女の子同士仲良くできるかもしれません、などと気軽に言ってしまった手前気まずいのだろうか。部下1人1人の対応やら精神状態まで彼が責任を感じることはないのに、なかなか生真面目な方である。目を細めて、机のへこみ具合を確かめるように指を滑らす彼に漂うこの哀愁。

首を伸ばした姿勢でいるついでに、まだ1度もじっくり見ていない、パーテーションの奥を眺めてみる。しかしじっくり見るまでもないのがすぐにわかった。4つ固めて置かれたスチール製の事務机、そこからちょっと離れて同じタイプの佐伯さんの机、安っぽいテレビ台に置かれた分厚いテレビ、ロッカー2つくらい。それだけ。

固められた4つの机はぱっと見同じ種類に見えるが、よく見ると高さも面積もちぐはぐである。微妙にいびつな長方形に、できるだけ似た型のものを集めた努力がうかがえる。長方形を構成する4つのうち2つは使っている形跡がなく、1つには生活感と整然とした雰囲気が適度に混じりあい、最後の1つは救いがたく散らかっていた。
さっきのクロコの鞄が置いてあるのをみると、適度に使っている感じのする机がナカヤマさんのものなのだろう。さらに帯刀少年コウガミくんは、なんとなくあの1番散らかった机を使っている気がする。

ならもうすぐ帰ってくる人、ナカヤマさんが「もう彼と組みたくない」と言うところの「彼」が、あの何もなさすぎる机のどちらか。そして残りの1台がもしかして私のものに。そう考えると、照れとかむずがゆさよりも強烈な非現実感を先に感じた。ここで働ける、という事実がまだ意識に追いついていなかった。他の誰かが私の体で見ている夢みたいだった。夢の中でドアが開くのを見る。今度はゆっくり、穏やかに開くのを。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -