夏目パロ前日譚(進撃/エレリ?)
2013/08/07 23:42
膝下程の丈のスカートがたなびく。胸元のスカーフが歩くリズムで揺れていた。風が緩く体を撫でていき、今日という暑い日をやり過ごすことを少しは簡単にしてくれそうだ。
「暑いなあ」
教材と少しの筆記具を詰めた鞄が、いつもより重くなったような錯覚。ああ、とため息をつき、我慢出来なくなって、少女は寄り道をする事に決めた。
家と程近い場所にある川原は、水場ということもあってか、砂利道などよりよほど涼しく感じる。もっと涼しいのは、その上流にある森の直前にある林の中だ。風が吹く度に木々が枝を揺らし葉が擦れ、さらさらと耳障りの良い音が気分を良くしてくれる。誰にも教えたことのない、少女が落ち着ける隠れ家のようなものだ。
それを頭に思い浮かべるだけで、うきうきと気分が上がり足も軽くなった。
草の深い川の畔を歩いていると、ふと少女は足を止めた。自分の背丈よりもさらに高い草の中、きょろきょろと辺りを見回す。そこには草しかないはずなのに、何かの気配を感じていた。なんとなく覚えのある感じ。
「おおい、そこの」
低い男の声が少女を呼び止める。ようやく合点がいった少女は、今まで草を掻き分け歩いてきた後ろの方を、もう一度掻き分けてその声の主を改める。
「やあ、ミケじゃないか。珍しいこともあるもんだ、こんなところは好かないんじゃなかったかい」
「ああ好かない、その通りだ。けれど今日はお前がいるだろう、ハンジ」
「本当に珍しい!もしかして会いに来てくれたの?」
「少し違うな。お前に教えておいてやろうと思って」
少女にしては背が高いハンジよりも高く伸びた草より更に大きな体のその人物は、一見するとただの男性に見えたが実はそうではない。その証拠と言えば、一目でわかる人間にはあり得ない特徴があるからだ。
男の背後にふるふると揺れている、ふさふさと獣の毛を蓄えた長いものは、間違いなく尾であった。
「ミケの尻尾が相変わらず可愛くて生きるのが辛くなくなってきた」
「何だと、今日は上手く隠せたと思ったのに……違う、そんな話をしに来たんじゃない」
本人の意思を表すように毛並みの見事な尾が左右に揺れている。垂れながらゆらゆらと落ち着きがないその様に、ハンジは訝しげにミケを見つめた。
「今日も林に行くつもりだったんだろう、やめておけ」
「え?何で」
「谷の里から来たあやかしが、昨日の夜からあそこで寝ている。何でも気性が荒くて短気で粗暴で、しかも腕っぷしも立つから始末に終えないんだそうだ」
谷の里と言うのは以前ハンジがミケから聞き出した、あやかし達が群れで暮らす村のようなものらしい。人間を嫌いか好きでないかのどちらかのあやかししか居らず、それ故に見付からないように山奥の更に谷底に村を作って静かに生きているというのだ。
「里って前に聞いたあれのことだろう。あそこから来たくせに、そんなに危険な奴なのかい?」
里のあやかし達は人間は好かないが、争いごとはもっと嫌う。そんなに荒々しいあやかしが、里を追い出されたにしても何故里に暮らせて居たのだろうか。
「いや、どうも元々何処かから逃げてきたらしい。住処を追われて里に行き着いたが、いさかいばかり起こして煙たがられていたと」
「なるほど、それで里も追われちゃったのか」
元々荒っぽい性格にしても、住処を追い出され更に荒んでしまったのだろう。流れ着いた場所にも馴染めず、きっと傷ついてばかりだったのだ。何だか可哀想になってきたものの、力も強いというそのあやかしが居るのなら、林に行くのは止めておいた方が良さそうだ。
普通の者ならそう思うところだのに、このハンジはそんなことは全くもって考えない少女であった。
「でも今日は暑くて溶けてしまいそうなんだ。それにそんなに強いあやかしなんて、一目でも見てみたいじゃないか」
こうなるとこのハンジはもう止められない。好奇心旺盛な幼少の頃なら話はともかく、十六歳にもなってこんなに無鉄砲な少女が居ても、良いことは少ないのに。しかしミケはこんなハンジの性格を多少なりとも理解していた。
「まあ、お前ならそう言うだろうな……忠告はしたぞ、ハンジ」
「うん。わざわざありがとう」
気を付けろ、とだけ言い残して、草の中にミケは消えていった。もう何処に居るかわからない友人に、ハンジは律儀に礼を言って前に向き直した。
*
木々が葉を風に任せて揺らし、さあっと空気が通りすぎる。暑くて仕方ない日だが、ここに居ると気分は少しだけ落ち着いた。
黒髪がさわさわと揺れる。座るのに手頃な岩の上で、伸ばし放題の髪に顔を隠したあやかしが身動ぎもせずに佇んでいた。身体中に細かい傷を付け、纏う着流しも薄汚れて、動くのも億劫なようである。ここは誰もいない、過ごしやすいし森が近い。一人で暮らすのにも慣れていたあやかしは、ぼんやりと静かなここを根城にしようかと思っていた。
それなのに少し考え込んでしまったのは、地面を踏む足音が聞こえたからだ。数は単数、しかし力は無いわけでもない。けれどもそれよりは自分の方が強い。うるさいようなら追い返す、そうと決めて顔を上げた。
「はー、涼しい……最高」
そこにいたのは人間で、しかも小娘と言って差し支えないような子供だった。大きく伸びをしながら歩く人間は、未だこちらに気付いていない。いや、気付かないはずなのだ。ただの人間にあやかしである自分が見える筈がない。しかし面倒なものが来てしまった、追い返すのに苦労しそうである。
そこまで考えて、ふとあやかしは視線を止めた。
人間に、見られている。
*
うわあ。
頭の中に思い浮かべた第一声はこれだ。一目でも見たいとは思ったが、まさか隠れもしていないとは思わなかった、おかげでばっちり目が合ってしまった。これはさすがに不味い。見えているのがわかられたら、どんな脅しを受けるか――脅しで済めばまだいいほうだ。下手をしたらこの場で殺される。ちらっと見れればそれでいいと思っていたが、これはちょっと誤算だ。
「おい」
「うわ、はいっ」
「……今日は見逃してやる。静かにしてるならな」
普通に話しかけられた上に、予想外に機嫌は悪くないようだ。こくこくと頷きながらハンジは、そのあやかしに目を持っていかれている気分だった。
文字通りに目が離せないのだ。何か特別なものがあるのかもしれないな、とハンジは思ったが、それが何かがわからない。結局無理矢理目を瞬かせて集中を切らせた。
___
力尽きた。
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