■■■■ ほしいものはひとつだけ
5
「セリ――、」
「ねぇ、冗談というのなら、もうやめて。本気だと言うのなら……、ちゃんと見て…っ」
先程までの弱々しさが嘘のように、痛い程彼女に掴まれた腕は突然強い力で引き寄せられた。
思わぬ行動によろめくと、そのまま彼女の方へとのめる形となって。
その勢いのまま、間近に迫った口許に何かが触れた。
なにか、が。
…セリスの口唇、が。
「―――…!」
一体何が起こったのか。
考える間もなく、触れ合っただけのそれは仕掛けられた時とは裏腹に、触れていた余韻だけを残してゆっくりと離れていく。
お互いの顔が認識できる距離まで離れると、セリスは訴えるように言い放った。
「私を…見てよ…っ」
今にも零れ落ちそうな瞳に映し出された、その表情。
それを見て。
―――思い出した。
同じだ、あの時と。
セリスがオペラ座でマリアに成り代わり、舞台の直前に袖で会話した時に投げ掛けられた言葉、
『私は…あの人の代わりなの…?』
…あの時の表情と、同じだった。
すべてのパズルのピースが合致して、俺はようやく理解した。
自分に対するこれまでのセリスの言動、態度、表情の意味。
そのすべてが、あの日、あの時に、はぐらかしてしまった自分のせいだったのだと。
何やってんだ、俺。
ずっと曖昧だった、セリスとの関係。
いや、"曖昧だった"んじゃない。
"曖昧にしていた"んだ、俺が。
あの時も。
セリスの問いには答えずはぐらかして。
そして今も。
あの時の問いに答えも出さないまま、言わなきゃいけない大事な言葉さえも削ぎ落として。
レイチェルに心を残していた事で、いい加減な態度を取って関係を曖昧にしていた。
それはすべて、俺のせいだったんだ。
それなのに、自分の身勝手な嫉妬心を振りかざして強引にセリスを追い込んで……セリスを傷つけているなんて思いもしないで。
何ひとつ伝えられていないのに。
何ひとつ答えられていないのに。
「…代わりなんかじゃない」
言わなければ、と思った。
セリスが今も、あの時の沈黙が無言の肯定だと勘違いしているのなら。
「そんな風に思ったことなんて、一度もない」
今更…なのかもしれない。
けれど、言わなければ何も始まらない。
過去に縛られたままじゃ前には進めない事を、俺は誰よりも知っているから。
「…嘘」
けれど、返されるのは頑なな否定の言葉。
「嘘じゃない」
「…嘘よ」
尚も聞き入れようとしないセリスに、苛立ちが募る。
…いや、違う。
苛立っているのは、信じさせてやれない自分に、だ。
「―――信じないなら、それでも構わない」
意図せず低くなった声に、思わず振り仰いだセリスが小さく息を飲む。
理不尽だとは判っている。
けれど、その苛立つ気持ちをぶつけるように、今度は俺がその細い手首を強引に引き、勢いのまま口唇を重ねた。