ようこそ三日月堂へ! |
お酒はほどほどに 第67話 スナックお登勢には、すでに何人か常連さんが一杯引っ掛けていて、談笑の明るい声が暖簾を潜る前から聞こえていた。カウンターにいるお登勢さんキャサリンさん、それからフロアにいるたまさんに軽く挨拶をし、銀さんと一緒にいつものカウンターの席に座った。 「とりあえず生。」 「あ、お登勢さん…すいません、注文する前にあの、」 今日は早いじゃないのといって、おしぼりを出してくれるお登勢さんに早速生ビールを注文する銀さんを一瞥し、私はまず最初に、今お金がないことを正直に話した。ただ、今日の銀さんの分も含め明日には必ずきっちり支払うこと、付けがあるならそれもまとめて支払うといえば、お登勢さんはタバコを一口吸って、馬鹿だねぇといった。 「今日はいいよ。なんでも好きなもん食べて呑みな。」 「え?い、いえ!いつものように支払、」 「銀時ィ!あんたの分はきっちり付けに回しとくからね!!」 「んでだよババァ!!」 「何があったかなんて野暮なことは聞かないからさ、とりあえず呑んで、隣いるこのバカの間抜け面見て笑っときな。」 「…お登勢さん…。」 その言葉はおそらく、この泣き腫らした顔を見て、何かあったのだろうと悟ったお登勢さんの心遣いなのだろう。何があったかは聞かない。それは野暮だというお登勢さんの優しさに涙腺が緩む。そんな私にお登勢さんは苦笑しながら、その目はちゃんと冷やしたのかい?といって、冷たいおしぼりをもうひとつ渡してくれた。あぁ、もう。 「優しくって…温かくて…わたし、本当にここが…だいすきです…。」 「…そりゃよかった。」 そこからはお登勢さんの好意に甘えて、好きなだけ呑んで食べて、銀さんのくだらない話や、他の常連さんとの他愛もない話で盛り上がり、口角とお腹が痛くなるほど、ずっと笑い続けた。 しばらくすると、悪酔いをしてきた常連さんたちが、常備されているカラオケのセットを指差し、そうだ何か歌えー!若い子の歌声が聞きたいー!とかなんとかいって、私に無理やりマイクを持たしてきた。なんとか必死に断ろうとマイクを突っぱねるが、酔っ払いの力は凄まじく、背中を押されてあっという間にカラオケ台の前に立たされてしまった。 「(いや、待って、こっちの世界の流行りの曲なんて知らない…!銀さん助けて!)」 唯一、事情を知る銀さんに救いの視線をやると、銀さんはにやりと笑って口パクで頑張れやといった。そんな銀さんの態度に、私は顔を引きつらせながら、この状況をどう逃げ切ろうかと考えていると、ガラガラと入口の引き戸の開く音と、聞き覚えのある声がした。 「邪魔する……って、なにやってんだ、お前。」 「ひ、土方さん!!それに総悟も!」 そこにはタバコを咥えた土方さんと、総悟が立っていた。このふたりがスナックお登勢にくるなんて意外で驚いたが、今がチャンスとばかりに、私は知り合いがきたので!といって、近くにいた常連さんにマイクを渡して、立ち台から降りた。 「おやおや、珍しいこともあるもんだねぇ。なんだい、うちはなんも不正なんざしてないよ。」 「いや、仕事できたわけじゃねぇ。一杯、ひっかけにきただけだ。」 「とか抜かしてやがるが、実はババァ、何かやっちまったんじゃねーの?」 「やっちまってんのはあんただろーが。無銭飲食に家賃滞納、あたしゃいつでも被害届けを出してやってもいいんだけどね。」 そんなやりとりをしながら、土方さんはカウンターに座っている銀さんの隣に座り、総悟も私の隣に座った。銀さんはなんでお前が隣に座んだよ!と気味悪がっていたが、珍しく土方さんは銀さんの挑発にはのらず、静かにお登勢さんにお酒を注文した。 「はいよ。で、そっちは?」 「あ、俺ァ酒はいいです。それよりもなんか飯を食わしてくだせェ。」 二人の注文が通ったところで、私はなんで二人してここスナックお登勢に来たのかと尋ねてみた。ここに来ることもそうだが、土方さんと総悟が二人で呑みに来たということにも、ひどく違和感があった。上司と部下とはいえ、仕事終わりに呑みに行くような中には、到底思えないからだ。 「なんでィ。こいつを持ってきてやったってーのに、ずいぶんな言いようじゃねーか。」 「あ!わたしのリュック!よかったー!これでお金払える…っ!」 「あ゛?こいつの奢りで呑んでんじゃねーのかよ。」 土方さんが眉間にしわを寄せ、銀さんを睨みながらそういうので、銀さんに奢ってもらうのは夢のまた夢ですと冗談をいうと、隣の銀さんからすばやくチョップの手が頭に飛んできた。 「一度だけ奢ってやっただろーが。」 「いや、その一度だけでそんな偉そうにいわれても困るわ。」 「旦那ァ、ますますクズですねィ。」 「おい、ますますってどういうことだゴラァ。」 「あ、つっこむところそこなんだ。」 お酒が入って酔っているせいか、それとも妙にスッキリしているせいか、私はくだらない話にもクスクスと笑いながら、また一口お酒を飲んだ。 「で?ここにきたのはそれだけじゃねーだろ。こいつもいんだからよ。」 そういって銀さんは顎で土方さんをさすと、土方さんは面倒くさそうに、しかしいたって真面目な顔で、てめぇに話があんだよ。といった。 「あ゛?俺ェ?」 「…仕事じゃねぇ、たまたま呑み屋でてめぇと一緒になって、酔った勢いで口を滑らした、いや、独り言だと思え。いいか、仕事じゃねーからな。」 「なんなのそのなげぇ前振り。」 私は一体何事かと、隣にいる総悟に視線を投げかけたが、総悟はお登勢さんのつくった特性親子丼をがっついていて、こちらに見向きもしない。どうやら総悟は土方さんが言おうとしていることを知っている様子で、口を挟むつもりもないらしい。ますます何事かと、私は銀さんの背中越しから、土方さんをみた。 「高杉がまた江戸に来てる。」 土方さんの小さい静かな一言に、銀さんの背中がぴくりと動いた。そして、わずかに纏う雰囲気が変わったような気がして、私は思わず銀さん?と声をかけた。 「…てめぇのことはグレーだ。白になることはねぇ、それを分かってて暗黙してんだ。ちょっとでも怪しい動きをしてみろ、すぐにしょっぴく。」 「…怖いねー、おまわりさん。」 「それからてめぇがどうなろうと知ったこっちゃねーが、こいつは別だ。こいつのことには気をつけろ。それをわざわざ言いにきてやったんだ。組織としてじゃねぇ、深月のおやっさんにこいつを頼まれた同士としてだ。」 「…へいへい。」 怠そうに返事をした銀さんの顔を横目で見ながら、私はこいつと指すのが自分自身であることだけは理解した。それからスナック内の騒がしさに溶け込むように、お酒を飲みながら、でも真面目な鋭い目つきで、決して周りに聞こえないよう小声で話す姿は、内容の重さを物語っているようで、私はむやみに何の話ですか?とは聞けなかった。 「総悟、それ食ったら帰えんぞ。」 そういって土方さんはもう一杯だけ酒をくれといって、お登勢さんに空いたジョッキを渡した。ちょうど総悟も食べ終えたらしく、空になった丼をカウンターにあげ、代わりに出された温かいお茶の入った湯呑を受け取った。 「名前、これから身の回りで不審なことがあったら、どんな些細なことでもすぐに連絡してきなせェ。そのためにもケータイは絶対に身から離すんじゃねーぞ。」 「…うん、分かった。」 「俺からの電話には3コール以内にとりやがれ。」 「無茶すぎるわ。」 そういって茶化してみたが、いつもの総悟の冗談なのか、それとも本気なのか、こちらと目も合わせずお茶を呑む総悟の表情からは伺えず、私は小さく、まぁなるべくは…とだけ、付け加えた。 「ごちそうさん。うまかったでさァ。」 「代金はここに置いておく。…で、お前はまだ呑んでくのか?」 「え?」 「屯所に帰るついでに家に送っていってやれるが?」 確かに銀さんの家はこの二階で、わざわざこのあと家に送っていってもらうのはさすがに気が引ける。けど、この二人が帰る屯所は自分の家の近くで通り道だ。送ってもらうなら、一緒に帰るこのタイミングがいいのだろうが、私は悩む間もなく、もう少しだけ呑んでいきますといった。 「帰りはタクシーひろいます。」 「…絶対だぞ、酔ったこいつに送ってもらうのも、ひとりで帰るのもなしだからな。」 「はい。」 そういって土方さんは最後にもうひと押しだけ、約束は守れよといって、総悟と一緒にスナックお登勢を出て行った。 隣の銀さんは何も言わず、ただ無言でお酒を飲んでいた。 top | prev | next |