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ようこそ三日月堂へ!

あなたの大切な思い出を一冊の本にしませんか?新しいサービス、始まりました。

第3話

それは夕飯時のことだった。突然、深月さん夫婦が大切な話があるといって、珍しく真面目な表情で私に向かい合った。一体何事かと思い、私は手に持っていたお箸をおいて、両手を膝の上に揃えておいた。



「あのね、名前ちゃん。俺も妻ももういい歳だ。そろそろお店をね、休もうかと思っているんだよ。」

「え!?そ、それはお店を畳んでしまうということですか?!」



思わぬ言葉に思わず腰を上げて声を荒げてしまう。そんな私を諭すように隣に座っていたおばあさんがまあまあといって背中をぽんと叩いてくれた。私は戸惑いながらも、腰をおろし、今度は少し小さな声でどうしてそんなことをと漏らした。



「このお店はね、俺の趣味で立ち上げたもんだがとっても大切な場所だ。たくさんの人と繋がって、たくさんの本と出会った。一度たりともお店を休んだことないのはね、それだけ大好きだからだよ。」

「なら、!」

「だけど、若い頃から俺も妻も仕事ばかりで、ここかぶき町以外のことを知らないんだ。だけど、人は必ず死ぬだろ?だからそろそろって、欲が出ちゃってね。」

「欲、ですか?」

「うん、知らない土地でまだ知らない本に出会いたいな、って。」



おじさんはそういってお茶を一口呑むと、私をしっかりと見据えて、驚くことを口にした。



「名前ちゃんにこのお店を譲ろうと思うんだ。」

「えっ!?」

「俺たちはしっかりものでね、老後預金なんかをちゃんと貯えながら、いつか長旅をしたいなぁとずっと思っていたんだよ。でも、そうなるとお店は閉めなきゃならないだろ?仕方がないことだって思っていてもなかなかふんぎりがつかなくて、こうして今日までやってきたんだ。だけど名前ちゃんがね、この家にきてくれて、お店を手伝ってくれるようになって、今じゃもう一人で店番を任せられるようになった時にね、妻と今がタイミングかもね、って話をしたんだよ。」

「そ、んな!わたしなんか、わたしなんかに譲るだなんて、こんな素敵な…みんなに愛されるお店を…っ!」

「名前ちゃん。」



私の名を呼び、言葉を遮ったおばさんは、少し怒ったような、哀しい顔をしていた。



「名前ちゃんが最初にきたときにも言ったけど、なんかって、私なんかって言っちゃだめなの。名前ちゃんはね、もう私たちにとって我が子も同然なの。愛しているし、信頼しているの。だからね、私たちの大好きな場所を、あなたにもらって欲しいの。あなたも私たち同様、このお店を愛してくれてるってわかってるから。」

「おばさん…。」

「現実的なこと言うとね、経営は結構ギリギリだよ。だけど、培ってきた確かなものがある。それは信頼だ。この町の信頼さえ失わければ、絶対にこのお店は潰れないって思っている。思い上がりだって、他人には思われるかもしれないけどね。だけど、本当にそう思うんだよ。」

「おじさん…。」

「これからは名前ちゃんの思うやり方で、このお店を愛してやってくれないかな。それでね、これはものすごく勝手だとは思うんだけども、俺たちも長旅を終えて必ずここに帰ってくるから。そう、帰る場所をね、用意しててくれないかな。」



そういって真っ直ぐ私を見つめ、ね?といって笑うおじさんの頼みごとを、どうして私が断れるだろうか。



「…わ、かりました。でも、でもそれなら、譲るじゃないです…。おじさん、おばさん。わたしは今までどおりこのお店の店番をしています。きちんとお二人がお留守の間、このお店を護りますから…。だから安心して、長旅楽しんできてください…っ、それで、帰ってきたら、たくさんのっ…お話を…っ」



伝えたいことがたくさんあるのに。言葉に詰まってしまってうまく言えないでいる私に、2人は寄り添ってそっと背中をなでてくれた。この世界にきてから、何度も何度も救われたこの温かい手。2人にとって何よりも大切なお店を私に託してくれたこと、我が子同然に愛しているといってくれたこと、そして長旅に出るということは、しばらく離れるということ。いろいろなものが急に込み上げてきて、私は一年前と同様、声をだしてたくさん泣いた。その間、2人の優しい手が私の背中をずっと撫でていた。





「そうか。」

「あの、お二人から土方さんにこれを渡すようにって。」

「手紙か?」

「常連さんひとりひとりに挨拶をしたいけど、きっと泣いてしまうからっておばさんが。おじさんは照れくさいから嫌だっていって、こうして手紙を書き留めたみたいです。」

「律儀な夫婦だな。」

「本当に、温かいご夫婦です。」



あれから数週間後、話はどんどん進み、あっという間に深月さん夫婦は旅に出てしまった。この世界にも電話やスマホがあるため、何かあればすぐ連絡がとれるとはいえ、やっぱり寂しい。とくに、この家に一人というのは結構堪えるものがある。なにせ私はこの世界にきて一人になったことは、一度たりともなかった。それに一年経ってこの町のこともずいぶんとわかってきたとはいえ、この世界のことはまだあらゆることが未知だ。そんな私が一人でやっていけるのかどうか、不安でしかなかった。



「…しけた面すんな、それが接客する態度かよ。」

「す、すいません…。」

「何かあれば屯所はすぐ近くだ、駆け込めばいい。」

「…はい。」

「それに、常連客だってこうして毎日きてんだ。寂しいとか思う暇もねぇだろ。それでも寂しい時は寂しいっていやぁいいし、…不安なときはとりあえず話くれぇは聞いてやるよ。とにかく無茶だけはすんな。…わかったな。」

「…!はい、ありがとうございます、土方さん。」



土方さんの不器用ながらも優しい励ましがうれしくて、私はついつい泣きそうになってしまった。そんな私を見かねて、土方さんは「あー」と間延びした声を出しながら、不自然な切り出しで急に、「あの新サービスはなんなんだ?」と、外に立てかけてあるボードの文字を指差した。



「あ、あれは深月さん夫婦が好きなようにお店をしていいっていってくれたので、始めてみたんです。自分にできることって何だろうと思った時に、わたし手先が少し器用なので、それをどうせなら活かしてみようかなって。まあ、素人のクオリティですから、最初は無料サービスで始めてみようかと思っているんです。」

「思い出を一冊に本っていうと…あれか?アルバムみてぇなもんか?」

「そうですね、写真アルバムでもいいですし、自作本でもいいですし、わたしができそうなことだったらどんなものでも、やってみようかなって。」

「…いいんじゃねぇのか。」

「あ!土方さんも何かあったら依頼してくださいね!」

「…気が向いたらな。じゃあそろそろ戻るわ。」

「あ、はい!今日は長く足止めしてしまってごめんなさい、気をつけて見回りいってきてくださいね。」

「ああ。」

いつものように背を向け手を振る土方さんを見送ったあと、私は作業中断になっていた手元の書類に目を通した。深月さん夫婦が私のために作ってくれた、このお店のあらゆるノウハウについて書かれている大切なもの。毎日何度も何度もこうして読み返して、内容を頭に叩き込むことが、ここ最近の日課になっていた。



「(今ごろ深月さん夫婦はどこにいるのかな…、楽しんでるかなあ。)」



そろそろ夕暮れ時。入口から見える茜空に思いを馳せて、私は配達の用意を始めた。


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