ようこそ三日月堂へ! |
やっと、少しだけ前に。 第28話 足を止めてゆっくり銀さんの方に視線を上げると、銀さんは私をまっすぐ見ていた。 「…銀さんは、深月さんたちに私のこと、どんな風に聞いているんですか。」 私がそう問えば銀さんは、記憶喪失の娘と、簡潔に答えた。それから、驚くことを口にした。 「じーさんに頼まれてお前のこと調べたことがあんだよ。」 調べた?それも深月のおじさんに頼まれて?私が動揺したのが分かったのか、銀さんは勘違いするなよといった。 「疑ってるとかそんなんじゃねーよ。じーさんたち心配してたんだよ。お前が何も思いださねぇから、なにかヒントになることがねぇか探してた。けど、なんも見つかんねーからよぉ、それを報告したらなんていったと思う?」 なんて言ったんだろう。考えれば考えるほど、マイナスなことしか思い浮かばない。深月さんたちの人の良さを知っているはずなのに。 「…構わねぇってよ。」 「え…」 「記憶がないならないでいーって。けどよ、お前のことかぐや姫なんかに例えてよ、月に帰んのは嫌だとかいってたぜ。」 "帰る"というキーワードに思わず反応してしまった私は、カバンを落としてしまった。それに気づいた銀さんが、何してんだよといって拾ってくれたが、私は受け取れずに、口元を手で押さえた。 「…お前、」 その手が震えていることに気付いていたが、止めることはできず、慌ててもう片方の手で押さえた。なにか、何か話さなきゃと思うのに、声が出ない。 「…何かあんならよ、何でも言ってこいよ。助けてやれることなら助けてやる。万事屋銀さんがな。」 そういって銀さんは笑って、私の震える手にその大きな手を重ねて、また頭をポンポンと叩いた。そして、私が話すのを待たず、その手を引いて歩き出した。 「…あー、泣くなよ?泣いてる女連れてると、変な目で見られっから。」 私は銀さんの手の力でようやく歩き出した。言われた通り泣かないように必死に唇を噛み締めながら、目の前の銀さんの背中を見つめた。 「(この人になら、言える気がする…言って、いい気がする…そろそろ、ちゃんと…)」 いつまでも今のままでいれるなんて、そんな都合のいい話なんてない。いつかは、覚悟しないといけない。 「…銀さん。」 「んー?」 「話したいこと、あるんです。聞いて欲しいこと…けど、少しまだ…時間を下さい。その時が来たら…わたしの話を…聞いて、くれますか…っ?」 泣くまいと力を入れていたのに、結局私は我慢できず、涙をこぼしながらそういうと、銀さんは、もちろんだバカヤローといった。バカヤローとはなんだ、バカヤローとは。でも、その通りだと思った。私は、弱虫のバカヤローなんだろう。 「送ってくれてありがとうございました。」 「こっちこそ依頼の件、悪かったな。またこの手の依頼があったら、頼むわ。」 「…はい、わたしでよければ。」 「頼りにしてんぞ、三日月堂店主。」 そういって銀さんは手を振って、来た道を戻っていった。 この世界にきてもう一年が経つ。それなのに、私は本当に思い出せないのだ。"どうしてこの世界にきたのか"を。家族の顔も友人顔も、元いた世界のことも、ちゃんと覚えているのに、どうして自分が今ここにいるのかは思い出せない。 だから、時々変なことを考えた。私は、本当はこの世界の人間じゃないかと。戸籍がある以上、そう考えたほうが自然だ。元の世界といっているのは、空想、妄想の世界で、私の頭がおかしいんだと。警察がいっていたように、何か私の身に起きて本当に記憶を失っているだけだと。その後遺症で、元の世界とかわけのわからないことを私は言っているんだと。 そうやって記憶をすり替えて、この世界で生きていくつもりでいたのだ。だって、元の世界の私を捨てて、この世界の私で生きていこうとしている私を、哀しむひとなんていない。誰もいないから。 「本当のこと言ったら、どうなるのかな。」 人に本当のことを言うことで、私がこの現実を受けとめたことになったとして、何か変わったらどうしよう。それこそ、突然、私がこの世界から消えて元の世界に戻ったりしたら…?そう考えると、私はとてもじゃないけど、本当のことを言う気にはなれなかった。 「だけど、ずっとこのまま自分の存在をごまかして生きていく覚悟も、ないなんて、笑えるよね。」 誰かに、たった一人でいいから、こんな私を受け入れてほしいと思うのは、エゴだろうか。結局私はその日、一睡もできないまま、朝を迎えた。 top | prev | next |