真夜中の地下駐車場に拍手が響く。
八千代が振り返るとそこにはジェイソンがいた。
目が合うとジェイソンは拍手をやめ

「Good evening!」

と明るく挨拶をした。

「…こんばんは」
「こんな時間にこんな所で会うなんて奇遇デスネ!今から何処かへお出掛けですカ?不良デスネー」
「ジェイソン先生すみません。俺、今急いでるんです」

人懐っこく八千代に話しかけるジェイソンの言葉を遮るように早口で言いながらドアハンドルに手を伸ばす。
ヨシノを迎えに行かなければならない。
一分一秒でも早くこの場を発ちたかった。

「ヨシノちゃんを迎えに行くんでショ?」

八千代の動きが止まる。

「どうして」

それを。
知っている筈がない事を口にされ、この時になってやっと八千代はジェイソンに違和感を覚えた。
真夜中の地下駐車場で、偶然鉢合わせする事があるのだろうか。
時刻はとうに日を跨ぎ、ジェイソンは実習校で顔を合わせた時と同じ装いをしている。
もしかしたらジェイソンはこんな時間帯まで出歩いている事がよくあるのかもしれない。
たまたまこの時間帯、この場所に居合わせただけなのかもしれない。
しかしジェイソンは通勤に車を利用していない。だからこの地下駐車場に足を向ける理由がない。
八千代がジェイソンを警戒するように、身体を引く。
そんな八千代にジェイソンはにこりと笑いかける。

「そんな怖い顔しないでくだサイ。お話しまショー!」

次の瞬間短く乾いた破裂音が地下駐車場内に響いた。
耳を劈く音に驚いたと同時に八千代は脇腹に痛みを感じた。
刺されたかのような、焼かれているかのような、経験した事のない鋭い痛みが脇腹から全身を駆け巡る。

「…ッ」

脇腹に手を当てると掌が生温く濡れた。
赤黒い液体が衣服を染め上げ、指の間を伝って地面に零れ落ちる。
撃たれたと気付いたのは、顔を上げると自分に向けられた銃口が目に入ってからだった。
発砲したのはジェイソンだった。銃口を八千代に向けたまま、一歩一歩近づく。
八千代は突然の出来事に目の前の状況を咄嗟に理解する事が出来ない。
知っているジェイソンの姿と繋がらない。
痛みのあまり片膝をつくと、こめかみに銃口が押し付けられた。

「ぼくの事を、覚えていますか?」



ジェイソンは結婚式を執り行う為の最後の手続きを終え、婚約者と共にホテルから出た。
打ち合わせが長引いてしまい日は暮れていた。
彼女の手を引くと、彼女がふわりと微笑み手を握り返すので、ジェイソンもつられて微笑んだ。
彼女が側にいるだけで目に映るものすべてがきらきらと輝いた。
彼女が笑ってくれるのならばどんな事だってしてあげたかった。
自分が彼女を笑顔に出来る事が誇らしかった。
自分がこれまでに培った経験を用いて彼女のために惜しみなく全力を捧げられる事が嬉しかった。
一緒に笑い合える事が幸せだった。
心から愛していたし、心から愛し合っていた。
彼女とは随分前に婚約を交わしていたが、日本での生活に慣れないジェイソンがやっぱりまだ待ってほしいと言い出し、結婚は先送りになっていた。
生活に慣れず不安を抱えたまま彼女を妻として迎えたくないというジェイソンの我儘に、彼女は呆れながらも付き合ってくれていた。
急がなくて良い。これから先もずっと二人一緒なのだから、と。
教師としての仕事にも慣れ生活も安定し、ジェイソンがようやく自立を自覚する事が出来た日に改めてプロポーズの言葉を送ると彼女ははにかんだ。
幸せだった。
夕食にはレストランへ向かう予定だった。そんな最中ジェイソンの意識は途切れる。突然電源を落とされたかのように。
真っ暗だった意識が徐々に戻り始めたジェイソンの瞼が薄らと開く。
輪郭がはっきりしないぼやけた景色が夜の暗さと重なって、ジェイソンは自分が目を開けているのか閉じているのか暫く分からなかった。
まだはっきりと覚醒しない意識の中、自分は今、意識が途切れる前に歩いていた歩道とは別の場所に横たわっている事を感じていた。
国道に沿った歩道を歩いていた筈なのに雑踏が遠くに聞こえる。瞼越しに人工の光の眩しさも感じられない。
ゆっくりと体の感覚が戻ってくる。
同時に後頭部から激しい痛みを感じた。
倒れた時に頭を打ったのだろうか。では意識を失う前にいた場所とは違う場所に移動しているのはどういう事だろう。
一体どれだけの時間意識を失っていたのだろうか。
彼女の手を握っていた手は冷たい。
自分の身に何が起こったのか分からない今、傍にいた彼女を近くに感じられずジェイソンは胸が不安でいっぱいになる。
自分がこんな状態で、彼女を不安にさせているかもしれない。
こんな所で寝ていられない。
起きなければ。
ゆっくりと不鮮明だった視界が鮮明になっていく。
すると、暗がりの中、目の前に彼女がいる事に気が付いた。
ジェイソンの視線の先に彼女の顔がある。彼女も横たわっているようだった。
目を見開いて。
首を真一文字に切り裂かれた彼女の死体がそこにあった。
ぱっくりと裂けた傷口から溢れた見た事のない色が彼女を染め上げていた。瞳からは一筋涙を流した跡が見える。
彼女は繋いでいた左手をジェイソンの方に伸ばしていて、薬指にはめた婚約指輪が月明かりに照らされていた。
眼を逸らしたかった。
眼が逸らせなかった。
ジェイソンの鼓動が早くなる。
目頭が、喉が、頭が、内側の臓器が、焼けるようだった。
駆け寄りたいのに身体は動かない。
指先をぴくりと動かすだけで精一杯だった。手を伸ばす事ができない。
彼女が隣にいるのに抱き締める事も出来ない。
自然と溢れた涙が零れる。
目の前の現実を受け入れたくない。
けれど目の前にある現実は変わらない。
彼女と過ごせる時間はもうない。
今日までずっと語り合った未来はこない。

「ん?」

呑気な声がジェイソンの頭上から声が降ってきた。
頭の角度を変え視線を上へと向けると、一人の少年がジェイソンを見下ろしていた。
右手には鋭利な刃物を携えている。
夜、街中で、子供が刃物を携えているという非現実的な状況にジェイソンは戸惑う。
少年はジェイソンの肩を乱暴に蹴って仰向けにさせた。

「まだ生きてた」

覗きこんでくる顔ははじめて見る顔だった。
この子供は、今、自分が陥っている状況と何か関係があるのだろうか。
まさか、こんな子供に襲われたというのだろうか。
そんな推測を思い浮かべてしまう程、瞳に映り込む刃物を携えた子供の姿は不気味だった。
目の前の子供が、自分達の人生を奪ったというのだろうか。
答えはすぐに出た。
子供は身を翻しこの場から立ち去ったかと思うと、レンガを一つ手に持ち戻って来た。
何処かに設置してあったレンガを拝借してきたのだろう。
そして、ジェイソンの頭部の傍らに膝をついた子供はそのまま滑らかな動作でジェイソンの顔面に向かって躊躇なくレンガの角を振り下ろした。
肉が潰れて骨が砕けるような音が鼓膜を震わせたと同時に身を割かれたような激痛がジェイソンを襲った。喉が裂けんばかりの悲鳴が木霊する。子供がその反応を見て満足そうに笑う。
再び子供が腕を振り上げる。
先程まで動かなかった両腕が反射的に顔面を庇うように動いたが、子供は気に留めずそのまま振り下ろす。
顔を庇いレンガが直撃した腕は歪に裂けて血が溢れ出る。
まるで腕が千切れたかのような熱い痛みが脳を貫いたが、子供は間を開けず三度・四度とレンガを振り下ろすので、でジェイソンはもう叫び声すらあげられなかった。打突される衝撃の度に喉から掠れた呻き声が漏れるだけ。
顔を背けたところで直撃する顔の面が変わるだけだと分かっているのに反射的にジェイソンの身体が身を守ろうと動いてしまう。
鈍い打突音は響き続ける。
顔の皮膚が裂けて血管を破り肉を抉っても止まらない。
ジェイソンはもう顔面を庇っていない。腕に力が入らない。指先すらも自分の意思で動かせない。
子供が自分の息の根を止めるつもりなのは明白だった。
『まだ生きてた』
子供は確かにそう呟いていた。
それはつまり、自分は死んでいた筈だったという事だ。
殺されていた筈だった。
遠のいていく意識の中でジェイソンは気付く。
生き残ってしまったのだという事に。
ならば手に持っていた刃物で心臓を一突きにしてくれたら良いのにと思うが、しかし子供は楽しそうに笑っていて、まるで甚振る行為そのものを遊んでいるかのように見えた。
もう視界はぼやけて霞んで見えないが、満月を背景に笑う顔が脳裏に焼き付いている。
目の前の子供が彼女の命を奪った。
自分から人生を奪った。
未来を奪った。
怒りよりも喪失感と虚脱感に苛まれ、ジェイソンは早く殺してくれたら良いのにとすら思った。
もう何も考えたくなかった。
先の事なんて見えない。
彼女がいない世界を生きていくなんて考えられない。
顔面や腕よりも、心が痛んだ。
悲しかった。
愛していたから。
意識が落ちていく。

次にジェイソンが目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。
また生き残ってしまったのだ。



「一体、なんの話をしているんですか」

声を発するだけで傷口に響く。
険しい表情を向ける八千代とは対照的にジェイソンは微笑みを絶やさない。
八千代の額を汗がつたう。
銃口を突きつけられていても未だに現実味がない。
しかし傷口の痛みが絶え間なく夢なんかではないと訴えてくる。
覚えているかと問われた。
しかし八千代にはジェイソンと過去に顔を合わせた記憶はない。
ジェイソンとは教育実習に取り組む前、職員室で挨拶を交わした日が初対面だった。
恐らくそれ以前の事を指しているのだろうが、銃を向けられるような心当たりなど思い当たらない。

「ああ、この顔では少し分からないかもしれませんネ。整形したんデスヨ、あなたに潰されましたから
ネ。元の状態には戻せなくって」

ジェイソンが左手の人差し指を自分の頬に当て、輪郭をなぞる。
その口元は笑っていたが瞳は冷ややかなものだった。

「殺した相手の事なんかいちいち覚えてませんか?」
「俺はそんな事…っ!」

思わず声を荒げると脇腹が疼き八千代の言葉が途切れる。

「過去、貴方が何に巻き込まれどんな目に遭ったのか、俺には想像出来ません…っ。けど、俺は貴方の顔を潰すような事は絶対に、していません…!」

くぐもった声を喉の奥から絞り出す。
しかしジェイソンは銃口を降ろさない。絶望感が八千代を襲う。

「信じられないって顔してますヨ、八千代センセー。でもネ、それでいいんデス。信じられなくって。あなた、こんな状況でもぼくに銃をつきつけられてるなんて嘘だと思いたいデショ?信頼していた人間に銃を突きつけられるなんて、信じられないデショ?信じてくれて、Thank you!あなたの信頼に足る人間になれて良かったデス。あなたのその顔が見たかった。おかげでぼくは、今とても満足しています!」

悪戯が成功した子供のように語る姿は紛れもなく見知ったジェイソンのものなのに、記憶に在る彼と目の前にいる彼が重ならない。
強烈な痛みと非現実的な出来事を前に八千代の意識が揺れる。

「はじめてあなたがぼく達の前に教育実習生として挨拶に来た日、それはもう驚きましたヨ。まさかぼくの人生を台無しにした張本人が再び目の前に現れるなんて夢にも思いませんでしたからネ。しかも実習生としてだなんて。腸が煮えくり返るかと思いましたヨ」

八千代が教育実習生として職場に姿を現してから今日までの日を振り返りながら、ジェイソンは淡々と胸の内を語る。

「けどネ、ぼくもはじめは人違いかと思ったんですヨ。あの時は意識が朦朧としていたので記憶に自信がありませんデシタ。あなたは真面目で、真面目過ぎて常に余裕がなくて、それでも何事にも一生懸命打ち込んで、打ち込み過ぎて目を回してしまうような人だった。空回って危なっかしい、自分の事で精一杯なのに周りの空気に敏感で、学ぶための努力を怠らない。弟に甘い人だった。人を殺しながらあんな顔をする人じゃない、人を甚振って楽しむような人じゃないと感じましタ。他人の空似なんてよくありますし、ネ」

ジェイソンがくすりと笑い、続ける。

「だから驚いたんです。さつきチャンから、教育実習に来ている大学生に母親を殺されたと相談された時は」

冷水を突然浴びせられたような衝撃が八千代を襲った。血の気が引く。
立花さつき。
母親の死に心を病んで自殺した生徒。
その子がジェイソンに,教育実習生に母親を殺された事を相談していた?
さつきが在籍していた高校であり、現在八千代が実習に通っている実習校。そこに教育実習生として受け入れて貰っているのは八千代一人だけ。
つまり教育実習に来ている大学生とは八千代を指している。
混乱する。
ジェイソンの言葉を呑み込む事が出来ない。
頭の奥で耳鳴りがする。

「なにかの、間違いです。俺は、立花さんの母親を、殺してなんか、いません」

否定する言葉が震える。
けれど八千代の言葉はジェイソンに聞き入れて貰えない。

「さつきチャンが左目を怪我したと聞いて、お見舞いに行ったのですヨ」

八千代の肩がぴくりと反応する。
ヨシノと外食へ行った帰り道、立花さつきに襲われた夜の出来事を思い出す。

「一生徒が怪我をしたからといって担任でもないぼくがお見舞いに行くってのも変な話なのですが、さつきチャンのお父さんから直々に指名がありましてネ。なんでも、さつきチャンがぼくに相談したい事があるとの事で。あの子は普段から事ある毎にぼくに相談しに足を運んでくれていましたから。母親が亡くなってすぐの事でもありましたし、吐き出したい事もたくさんあるんじゃないかと思っテ」

ジェイソンは生徒職員からの信頼が厚く、よく相談を持ち掛けられるとハンナが言っていた。
そんな人達のようにさつきにとってもジェイソンは、悩んでいる時、迷った時、不安が過ぎった時、言葉を掛けてほしい先生だったのだろう。
八千代も背中を押された事がある。それはとても心強かった。
けれど今では掛けられた言葉の数々が霞む。

「そこであなたに母親を殺されたと聞いたのデス。しかもなんと既に復讐しようと行動したと言うのデス。直情的で行動力のある子だと思っていましたがまさかここまでとは思っていなかったので驚きでしたヨ。左目の怪我は傍らにいたヨシノチャンの返り討ちにあったとも聞きました。ヨシノチャンはほんと何しでかすか分からない子デスネ」

あの夜。
ヨシノがいなければ自分は刺し殺されていたかもしれない。
それ程、さつきは本気だった。
本気で八千代を殺そうとしていた。
人殺しを犯す事により負うリスクと天秤にかけて、殺意が勝つ程に。
さつきはそれ程家族の事を、母親の事を愛していたのだろうと思った。
自分もヨシノを、家族を奪われたら同じ事をするかもしれない。
だから八千代にとって立花の気持ちは理解し難いものではなかった。
家族を奪われる経験など、もう二度としたくない。

「だからそのガッツを讃えて、教えてあげました。あなたが毎日放課後板書の練習をしているって事をネ」

放課後の教室で板書写しの練習をしていた時、立花さつきに刃物を向けられ襲われた。
目の前の男が手引きした事を知り八千代の表情が歪む。

「どうして、そんな事を」
「どうして…でしょうネ。もしかしたら、さつきチャンが八千代センセーを誰の助けも来ない状況下で襲う事によって、八千代センセーの本性を引き出してくれるかもと期待したのかもしれません」

放課後になれば、部活動などで校内に生徒はいても教室から生徒の姿はなくなる。
八千代はその事を知っていてその時間帯を選び教室を利用していた。
あの日は職員会議があり、職員達が出歩いている事もなく、ジェイソンの言う通り誰の助けも来ない空間だった。

「そんな、事の…ために」
「ぼくも、あなたがあの時の子供だと確証を得るためだけにさつきチャンを利用できる自分に驚きましたヨ」
「人違いだと、言っているでしょう…っ」

語気を荒げると傷口が鋭い痛みを発する。血液が溢れ出る。

「八千代先生が放課後板書写しの練習に使ってるクラス…あなたが実習する場として割り当てられたハンナセンセーのクラスはネ、廊下側の窓が開いていたら隣の棟から教室の中が角度によってはちょっと見えるんですヨ。というのも、ハンナセンセーのクラスにいるくるチャン。あの子は癇癪をよく起こす子で…それはご存じでしたネ。なにかあった時、外から少しでも早く気付けるようにとあの場所にあのクラスは配置されているんデス」

それは、教職員ならば全員共有していて、数週間前にやってきた教育実習生である八千代は知らない知識だった。
くるは幼い頃から癇癪を起こす事が目立っていた。
それらはくるが在籍していた中学から進学先の高校へと話は伝わっている。
対応策の一つとしてクラス配置にも配慮がなされていた。

「職員会議をちょっと抜け出して隣の棟から覗いて見ると八千代センセーとさつきチャンが乱闘してて驚きましたヨ」

あの日、自分に向けられた明確な殺意を覚えている。
殺されるかと思った。
立花さつきと対面して、そして。
そして…?

「そして、あなたはさつきちゃんを殺した」

途絶えた記憶の続きをジェイソンが綴る。
八千代は力なく首を横に振り否定する。

「殺してなんか、いません」
「あなたが殺す瞬間をこの目で見ました」
「人殺しなんて、俺には出来ません…っ」
「口ではなんとでも言えますヨ」

ジェイソンの中で八千代小夜は人殺しで確定してしまっている。
いくら言葉で否定しようとも、ジェイソンの考えを変える事は出来ないと八千代は薄々感じていた。
物事は主観でしか捉えられない。だから、思い込みを否定する事は難しい。
自分を証明する事が出来ない。
ジェイソンが左手で白衣のポケットから携帯を取り出した。
片手の親指で器用に操作して、八千代の目の前に画面を向けて差し出す。
そこには先程八千代の元に届き、紫呉から見せられた動画が映し出されていた。
ジェイソンの元にも届いていたのだろうか。
それを今取り出す理由は分からなかったが八千代は咄嗟に不快感を隠さず目を逸らした。
映っている人殺しが自分だと紫呉に疑われた事を思い出し、眉間に深く皺が寄る。
人間が人間を殺している動画。その非常識な光景には吐き気がする。
作り物であれそんな動画を面白半分で出回らせるなんて、悪戯という言葉では済まない悪趣味だと八千代は内心憤慨していた。

「よく撮れてるデショ」

ジェイソンの言葉に八千代の眉間に寄っていた皺が消え呆けた表情に変わる。
視線を戻すとジェイソンが悪戯っぽく笑っていた。

「あなたが、撮ったんですか…?」
「Yes,Iam.」

迷いなく返された返事は肯定だった。

「あなたが人殺しをしている現場ですヨ」

矢継ぎ早に淡々と放たれた言葉を八千代はすぐに理解する事が出来ない。
ジェイソンがなんのためにこんな動画を制作したのか見当がつかない。

「僕がこの時間にこの場所を通ったのはたまたまなんですけどネ。目の前で交通事故が起こって辺りが騒然としていた時、視界の端に撫子チャンの腕を引いて連れて行くあなたを見えたんデス。足早に脇道へと入って行くから、とても、とても嫌な予感がしました。だから確かめる必要があると思って、お二人の後をこっそり付けたのデス」

ジェイソンが眼を伏せる。

「あなたがナイフを取り出した事に気付いた時には遅かった。僕のいた位置から二人までの距離は遠くて、どれだけ急いだ所で撫子チャンを助けられない事が分かりマシタ。嫌な予感を感じながら距離を取り過ぎていて間に合わないなんて間抜けにも程がありマス。だからせめて、あなたが人殺しを行った現場を、言い逃れの出来ない唯一無二の証拠として見せつけるために撮影したんですヨ。生徒が殺される瞬間を見ていマシタ。彼女が絶命する瞬間を見ていマシタ。生徒を見殺しにしたんデス。とんでもない教師がいたものデスヨ」

先程生徒を利用できる程冷酷になれたと言い放った口から零れるジェイソンの声は僅かに震えていた。
復讐心に駆られて生徒を二度も利用してしまった罪悪感に押し潰されそうになるのを耐えるように。
気持ちを切り替えるように一呼吸置いてジェイソンが顔を上げる。八千代を捉える瞳は冷たい。

「どうして撫子チャンを?あなたを慕って好意的に接してた良い子だったのに。無差別なんデスカ?」

八千代は小さく首を振る。
混乱と困惑が混沌としていて、暗い海の底へ沈んでいく感覚に支配されていく。
気持ちを言葉にしなければ何も伝わらないというのに、思考が回らない。
どう言葉にすれば自分の無実が伝わるのかが分からない。

「これを観てもまだ言い逃れしようとするなんて、往生際が悪いですネ」
「…だっ、て、それは、作り物…でしょう」
「No.僕は八千代センセーが人を殺す瞬間をこの目で見ましタ。あなたは動画をハナから悪戯だと決めつけていましたネ。何の検討もせずにその判断は賢くありませんヨ」
「だっ…て、俺が…相楽さんを殺す、なんて…」
「あなたのお父さんの方が疑いを持って動画を観てくれてましたネ」

まるで自宅でのやりとりを見ていたかのような口ぶりに八千代の背筋を悪寒が走った。
ジェイソンは左手の人差し指を立て唇に当てながら、悪戯を打ち明ける子供のように笑う。

「酒盛りをしに八千代センセーのお宅にお邪魔した際に、盗聴器をネ、仕掛けておいたんですヨ。だから今日ヨシノチャンが自宅に帰ってない事も、そのせいであなたが取り乱しまくって外へ飛び出した事も、お父さんと不仲だという事も知ってマス」

自宅で起こった今夜の出来事を並べられ、盗聴器が自宅に仕掛けられているという事実が八千代を打ちつける。

「あなたがいくら人殺しを否定しようとも僕はあなたの蛮行を証明する事が出来ます。なのに、あなたはまだ言い逃れ出来ない状況にも関わらず自分は人殺しではないと主張を変えない。口先ではなんとでも言えるんですヨ。もはや今のあなたの姿は滑稽デスネ」

くすくすと笑うジェイソンの声が鼓膜を振るわせると、身体の内側を虫が這いずりまわっているかのような不快感に襲われた。
目の前にいる人物は誰だろう。
未熟な自分の悩みに対して真摯に耳を傾けてまっすぐに答えてくれた。
胸を張れと言ってくれた。
今日、成長しましたねと拍手を送ってくれた。
前向きにと姿勢を正すきっかけをくれた一人。
その人物が今自分に銃口を向けながら笑顔を浮かべている。

「やっと、僕の人生を壊したあなたに仕返しができる機会が巡ってきました。だから、僕に、オメデトウ」

親しみやすく、人好きのする人懐っこいジェイソンの笑顔は実習期間中何度も目にした。
しかし今自分に向けられる笑みの悍ましさに八千代は震える。

「俺を、殺すんですか」

頬を汗が伝い落ちる。
脇腹の痛みにより声が震える。
ジェイソンがどんな気持ちでこれまで自分と対面していたのかを知った。
本音を突きつけられ、これまで信じて頼って心の支えにすらなっていたジェイソンから貰った言葉が全て胸に突き刺り痛む。

「とんでもない!それじゃぼくが人殺しになってしまうじゃありませんか。そんなの御免デス」

八千代の問いを聞いたジェイソンは目を丸くして、心外だと言いたげに首を横に振る。

「彼女は、僕が自分のために人を殺したら悲しみます。それは僕が一番よく分かっています。ぼくはあなたに人生を壊されされました。一度はネ、悲しんでばかりいてはいけない。ぼくが過去に囚われて俯いて生きるなんて彼女は望まない。新しい人生をはじめようと思ったんデス。はじめられたと思ったんデス。でも、あなたが現れた」

八千代のこめかみに銃口を強く押し付けられる。
息を呑む。

「だから、あなたが殺すんです」
「?」

言葉の真意が分からない。
絶望するでもなく恐怖する訳でもなくただただ戸惑っている八千代の表情を見て、ジェイソンは溜息をついた。

「あなたの弟の、ヨシノちゃん」

突然飛び出した弟の名前に八千代の肩が跳ねた。

「ふふ、ヨシノチャンの事がほんとに大好きなんですネ。大事な家族だって何度も繰り返してましたもんネ。ヨシノちゃんがいなくなったら、あなたどうなっちゃうんでしょう。ぼくみたいに」

次の瞬間唐突に八千代が動いた。
自分の額に押し付けられている銃口を鷲掴みにして、力任せに捻り上げジェイソンの手から剥ぎ取る。
誤射の可能性を恐れない突然の行動にジェイソンの反応は間に合わず、銃を八千代の手に渡してしまう。
決して緩くグリップを握っていた訳ではない。でたらめな力量で引き剥がされた出来事に顔を歪めジェイソンが舌打ちをする。
次いで発砲音。
銃弾がジェイソンの左膝を貫いた。衝撃で身体が後方へと逸れる。
更に八千代はジェイソンの胸を蹴り抜く。
肋骨が折れる衝撃にジェイソンは後方へと倒れ込んだ。

「紫乃に、俺の家族に手を出すな」

駐車場に響いた低く呻るような怒鳴り声は、一瞬誰が発したのだとジェイソンに疑問が浮かぶ程、普段の八千代からは想像出来ない声色だった。
八千代が怒りと殺意を露わにして、睨みつけながら銃口をジェイソンへと向ける。

「やっと、本当のあなたに会えた気がします」

左腕を支えにして上半身を起こすと胸から全身にかけて鋭い痛みが走ったが、歯を食いしばって漏れそうになる呻きを堪える。膝からは血液が溢れ出て、どくどくと脈打つ度に激しく痛む。
全身を支配する熱い痛みに耐えながらジェイソンは不敵に笑って見せた。

「ヨシノチャンを使えばあなたの本音を引き摺り出せると思ってました。反撃されたのは想定外でしたケド」

八千代が不快そうに表情を歪ませる。

「あなたのような人を、一度見た事があります」
「あ?」
「一度話した事がありましたネ、突然いなくなってしまった大学生の話」
「覚えがねえな」
「八千代センセーあの時滅入ってましたからネ。いえ、本当に記憶にないのかもしれません。あの子みたいに」

ジェイソンが新任だった頃に起こった、教育実習期間中に教育実習生がいなくなってしまった出来事。

「あの子は、とても悩んでいました。記憶が抜け落ちている時間がある事。その事によって日常生活に支障が起きている事。人間関係が壊れていく事。起きていても現実味がない事。それでも教師になる夢を諦めたくなくて。でもそれによって、周りに迷惑をかけてしまうかもしれないという不安でいっぱいいっぱいだという事。たくさんお話をしてくれましタ。ぼくはただ聞く事しか出来なかったけど」

ジェイソンは過去に一度だけ解離性障害を患う人間に出会った事がある。
当時勤めていた職場に、教育実習生としてやってきたのだ。教育実習生として受け入れる際学校側から病症の説明を受けた。聞き慣れない単語だった事もありジェイソンの記憶に病名は定着しなかったが、目の前にいる人間が突然まるで別人のように感じる経験を身近で感じた事はある。
日頃の八千代を見ていて、かつての経験と重なり、思い出していた。
現在の八千代の状態に比べると症状は軽いものだったが、第三者が違和感を覚えるには十分なものだった。

「周りにサポートしてもらいながら、治療も頑張っていたんですけどネ。いなくなっちゃいました」

自殺だった。
現れた人格は自傷行為を繰り返していた。
だから本人の意思なのか交代人格によるものなのかすら、誰にも分からない死だった。

「それのどこが俺のようだって?」

気怠そうに八千代が口を開く。

「なんだかんだ言って、八千代センセーもあの子と同じかもしれないって思うと色々納得出来るんですヨ。別人格が殺人を犯してるなんて、まるで漫画のような話ですケド」
「……殺人」
「ええ」
「お前は、何を知ってる?」

八千代が目を細め問いかける。
散々繰り返された否定の言葉はなく、相手の反応を静かに窺うその様子に、ジェイソンは唇の端を吊り上げて笑う。

「ふふ、八千代センセーったらおかしい。今更なにを知ってる、なんて言っちゃって!」
「あ?」
「いいんですヨ、何度だって言ってあげます。ぼくはあなたが人殺しだという事を知ってます!」

両手を広げて、高らかに歌い上げるようにジェイソンが告げる。

「そうか」

眉ひとつ動かさず、驚く事なく、動揺する事なく、取り乱す事もしない。
先程まで目の前にいた人物とは別の人間と会話しているような錯覚をジェイソンは感じていた。
だからこそ確信する。今目の前にいる人物が、自分の人生を壊した張本人だと。

「ええ、現場だってこの目で見ました。」
「現場?」
「昨夜、撫子チャンを殺したでしょう」
「撫子………ああ、紫乃のクラスの」
「どうして撫子チャンを?」
「どうして?そりゃ、俺に都合の悪い事知られたみたいだったから」

同じ質問を投げかけてみると、単純な答えがあっさりと返ってきた。
衝動的に、殺意を持って、葛城叶を車道へ突き飛ばした。
周りは八千代が背中を押した事に気付いていないようだったが、八千代の姿を見つけて声を掛けようとしていた撫子は違った。

「口封じ…って事ですカ。そんな事で、人を殺せるんですネ」
「リスクのある生活なんて御免だろ?俺は紫乃としがらみのない生活を送りたい。紫乃との生活が脅かされる可能性は放っておけない。」
「どうせ自分で撒いた種デショ」
「だから自分で潰してるんだろうが」
「随分素直に答えてくれるんですネ」
「どうせお前殺すし」

まるで談笑しているかのような気軽さで断言する。
殺す。
重みを感じさせないその物言いに、その言葉が指し示す行為が八千代にとって身近にあるのだと実感する。

「殺人なんて、捕まったらそれこそ一生ヨシノチャンと離れて暮らさなければならなくなるのに。平和な生活を望みながら、どうしてあなたは殺すのですか」

数年前己の身に起こった殺傷事件とこれまでの八千代の行動を照らし合わせれば、自ずと答えは見えていた。
目の前の男は、ただの殺人鬼なのだと。

「あんたはさ、疲れたら何する?」
「?」
「睡眠?食事?入浴?趣味に没頭するのもいいかもしれない。どれにしてもさ、気分転換が必要じゃん。身体の内側に溜まった毒素は吐き出したいだろ?空気の入れ替えだよ。それが俺にとっては人を殺す事だっただけ」

八千代が澄んだ笑顔を見せる。

「……それだけ」
「ああ。それだけ」
「それだけのために、あなた自身の悦楽のためだけに、彼女を殺したのですか。人を殺すのですか。それが、どれだけ罪深い事か、そのせいで、どれだけの人間の人生を狂わせる事になるのか、台無しにする事になるのか、分からないんですか!」

ジェイソンが声を荒げる。
怒りに満ちた形相を向けられても八千代は涼しい顔で受け流す。

「何熱くなってんの」
「これまで私利私欲のためにどれだけの人を殺したんですか」
「いちいち覚えてねえよ」

八千代が吐き捨てた言葉が耳に届いた次の瞬間、ジェイソンは懐から折りたたみナイフを取り出していた。
左膝は砕かれて動かない。無傷で残った右足で力任せに踏み込み八千代に向かって刃先を突き出した。
破裂音。
弾丸が至近距離でジェイソンの右手に直撃した。掌が弾け、握っていたナイフは後方へと吹き飛ぶ。

「くっだらね」

ジェイソンが撃たれた衝撃で再び倒れ込む。身を縮めて丸くなり、掌の肉が円状に剥き出しになり血に塗れる右手を左手で押さえつけながら呻き声をあげている。
その姿を見下しながら八千代が笑い声をあげる。

「無様だな、お似合いだよ」

苦悶の表情を浮かべ歯を食いしばりながらジェイソンが八千代を睨みつける。

「お前さ、やけに突っ掛って来るけどもしかして、俺に身内でも殺された?」
「だったら、どうしますか」
「復讐なんて、人生の無駄遣いしたな。お疲れ様」

軽く笑いながら八千代は再びジェイソンに向けて発砲した。
弾丸は腹部に着弾して臓器を貫き破り貫通する。白衣が赤く染まる。
痛みに声にならない悲鳴をあげるジェイソンを見て愉快そうに八千代が笑う。

「悪いな、これ以上お前に付き合ってる時間はないんだよ。俺は紫乃を迎えに行かなくちゃいけないんだ」

八千代は人格が切り替わった今も、自分が地下駐車場にいる理由を覚えていた。

「そんな恰好で、愛しのヨシノチャンに顔向け出来るんですか」
「は?」

嘲笑うかのように唐突に容姿を指摘され、八千代は傍らに駐車されている車のドアガラスに目を向けた。
そこには赤黒い返り血に塗れた自信の姿が映っていた。
顔面は赤い液体を直接撒けられたのではないかと思う程飛沫で濡れていて、ぽたぽたと滴り落ちている。
白いシャツに付着した赤い染みは地下駐車場の薄暗い蛍光灯の下でもよく映えて見えた。
ゆっくりと眼を見開いて直視する。
汚い。
八千代の意識が揺れる。
咽返る鉄のにおいが自身の身体に付着している赤い液体が血液なのだと目を逸らさせない。
ならば誰の血だというのだろうか。
どうして自分は返り血なんかに塗れているのだろうか。
こんなに汚れた身体でヨシノに、家族に触れていたというのだろうか。
恐ろしさに視界が揺れる。
意識が遠のく感覚に襲われ身体がバランスを崩して揺れた。片足の位置を調整して転倒を防ぐ。
実際八千代は紫呉やジェイソンの返り血を浴びていたが、八千代が視認している血濡れた自分の姿は現実とは異なりひどく醜く血で汚れていた。
八千代が患っている障害は重く、頻繁に幻覚や幻聴の症状を引き起こしていた。
見る事が出来る。聞く事が出来る。触れる事が出来る。感じる事が出来る。
実際のせかいとどれだけずれが生じていても、八千代は違和感を感じない。区別はつかない。
日常に溶け込んでいる妄想に八千代は気付けない。
頭痛がする。
頭に手を当てようと左手を持ち上げると、左掌も赤い液体に浸したように染まっている事に気付く。
右掌を確認しようと右腕に視線を向けると、右手には銃が握られていた。

「…?」

ずしりと右手に乗る重量感は偽物ではないと主張している。
どうして自分がこんな物を手にしているのかが分からない。
記憶が繋がらない。
思い出そうとすればする程、考える事を拒むかのように脳が鈍い痛みを訴える。
朦朧とした意識を手繰り寄せる。
確か自分は誰かと言葉を交わしていたのだ。
どんな内容だっただろうか。とても、恐ろしかった気がする。
ドアガラスから視線を逸らした先、そこにはジェイソンがいた。
衣服に血が滲んでいる。よく見ると身体をあちらこちら負傷している事に気付き息を呑む。

「………ジェイソン先生、貴方、ひどい怪我を……大丈夫、ですか」
「へ?」

ジェイソンは呆けた声を出す。

「八千代センセー、あなた、今…」

八千代の身に纏っている気配が変わった事にジェイソンは気付いた。
人格が分離していると知ったジェイソンには、表に出ている人格を区別する事は容易い。

「どうやら運はぼくに味方してくれたようデス」

ジェイソンの独り言は、現状が把握出来ず混乱し、未だ意識が霞がかったように朦朧としている八千代には聞こえない。

「あの、一体、何が…俺、一体、何を…」
「いいんですヨ、分からなくて」
「…は……?」
「分からないまま苦しんでくだサイ」

ジェイソンにとって、八千代の人格が切り替わったのは予定外だった。
どれだけ事実を突きつけても人殺しを否定するので、人格が分離している可能性を確かめてみようと思い立ち、八千代の精神面を揺さぶれそうな言葉を選んだ。
すると想定していたよりもあっさりと切り替わり、反撃され、深手を負う結果となった。
このまま殺されてしまってはそれこそ人生の無駄遣いになるところだった。
望んだ結末に辿りつける事に安著する。

「何がきっかけで人生が変わるかなんて、分かりませんネ。ホント」

ジェイソンにとって、八千代小夜は自分の人生を奪った殺人鬼でしかない。
八千代の人格が分離していて、穏やかな人格があったところでその認識が覆る事はない。
人格が分離していたところでその人間がその人間でなくなる訳ではない。
記憶がなくとも、本人が犯した罪はなくならない。

「あなたが自ら犯した罪を忘れて生きているなんて、許せません」

ジェイソンは力を振り絞り前に出る。左手で銃を構えている八千代の右手を捉えた。
そのまま自らの眉間に銃口を押し当てるように引き寄せて、トリガーにかかっている八千代の人差し指に親指重ね力を込める。八千代に引き金を引かせるように。

「Good bye forever!」

八千代の人生に焼き付けるようにジェイソンは笑った。
空気を切り裂くような発砲音が駐車場に木霊する。
弾丸がジェイソンの頭部を貫いた。
貫通した箇所から鮮血が飛び散り飛沫が床を汚す。

「…ぇ」

支える意思を失ったジェイソンの身体が倒れ込む。

「っ、あ」

身体が震えて指先から力が抜けて銃をその場に落とす。
頭がくらくらして目が回っているような錯覚に陥る。気持ち悪い。
喉の奥が熱くて呼吸が荒くなる。苦しい。
直視に耐えられず両手で顔面を覆う。
けれど、視界を両手で遮っても、瞼を閉じても、ジェイソンが絶命する瞬間が消えない。
励ましと、叱咤と、自分が成長するための糧になった言葉をくれたジェイソンの声が、頭の中に木霊する。

「ぁ、あ、ぁぁあああッ」

掻き消そうと声を絞り出しても頭の中に響く音が消えない。
音は雑音となって頭の中に不協和音を響かせる。
鉄のにおいが鼻孔を突いて、目の前の死を振り払う事を許さない。
殺した。
この手で。
どうして。
どうして。
どうしてこんな事に。
答えは出ない。
答えてくれる人間はいない。
もういない。
殺した。
自分が。
人間を殺した。
殺したのだ。
地下駐車場に絶叫が響く。



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