冬の風情、温泉旅

「さむっ…!」


ただでさえ極寒の中、北風が吹いて全身を突き刺すように寒さが走る。自販機で購入した二つの缶コーヒーを手袋をした手に抱えて、小走りで現場へと急ぐ。当然、120円のコーヒー二本計240円は経費では落ちない。こればかりは贅沢は言ってられない、私よりももっと頑張っている人がいるのだから。



「お疲れ様です!10分休憩後撮影再開しまーす!」

ディレクターの声で、ようやく休憩時間に入れたのだと分かった。あぁ、本当に寒い。マネージャーの仕事を始めてだいぶ経つけれど、真冬のロケには未だ慣れない。温かい都会でぬくぬく育ってきた私には、相当厳しい環境だ。


なんて、言っている場合じゃなかった。カメラの横で待機する二人の元へ駆け寄る。




「聖川さん一ノ瀬さん、どうぞ」


年始早々に、聖川さんと一ノ瀬さんに泊まりがけのロケ仕事が入った。温泉街を二人旅して旅館に泊まり、その様子を撮影するというロケで、今日明日と箱根で泊まりがけ。マネージャーである私も同行している。



「ありがとう」
「ありがとうございます」

コーヒーを受け取り暖を取る二人は疲れた素振りを見せず、そのおかげで撮影も順調に進んでいる。浴衣を着て、長時間外を歩いて(浴衣姿はかっこいいけど)…さぞかし寒いだろうにカメラの前では笑顔を絶やさない。さすが、プロ意識高いコンビだ…なんて感心してしまう。



「次のお土産屋さんでの撮影が終われば旅館に入れますので…あと少し頑張りましょう!」


ガッツポーズをしてそう言うと、顔を見合せた二人は吹き出すように笑う。そんな仕草も絵になる二人だ…じゃなくて、私何か変なこと言ったかな?


「いや、みょうじはいつでも元気が良いと思ってな」
「私達は大丈夫ですよ。まだ余裕があります」


コレもありますし、と缶コーヒーを掲げる一ノ瀬さんに頭をポンポンと叩かれる。思わず照れてしまい、多分赤くなっているであろう顔で咄嗟に見上げる。微笑む一ノ瀬さんの顔に激しく動揺していると、反対側に立っていた聖川さんからも頭を撫でられた。


「…よし、次は土産物屋のレポートだな」
「そうですね。ではみょうじさん、行ってまいります」
「は、はい…」


寒空の下、颯爽と現場へ向かう二人の背中を見送る。


「(し、心臓に悪い…)」


いくらアイドルとマネージャーという仕事上の間柄とはいえ、あの顔面偏差値天井の二人に至近距離であんなことをされると照れてまうのが普通だと思う。


再開した撮影を見守りながらスケジュールの確認っと…。その瞬間にまた風か強く吹きつける。うぅっ、本当に寒い!早く旅館に入って休憩して温泉に浸かりたい!

寒さに凍えること数分、ようやく外の撮影終了の挨拶が聞こえ、ほっと息を吐いた。










────


「…よし、こんなもんかな」


旅館の客室でのインタビューと撮影も終え、今日の二人の仕事がようやく終了した。

…とはいえ、マネージャーの仕事はその後も色々と残されていて…アンケートの回収と中身のチェックや、明日のスケジュールの確認と打ち合わせなど多岐に渡る。地味に思えて、大変な仕事なんだよ本当に。



「(だからといって、誰かに褒められる訳じゃないしね…っと!)」


公式スタッフブログの更新を終え、スマホを握ったまま仰向けに畳へと倒れ込んだ。視界を埋めるのは木の天井。その姿勢のままスマホの画面を点けると、時刻はすでに夜10時過ぎ。かなり熱中してしまっていたようだ。


女子マネージャーだからという理由で、客室は個室を用意してもらえて助かった。やっぱり畳はいいなぁ、と思いながらゴロゴロと寝返りを打つ。聖川さんと一ノ瀬さんは隣の部屋で恐らくもう休んでいる頃だろう。


ふと、自分がまだ温泉に入れていないことに気付いた。この時間なら大浴場も空いているかも…!

思い立ったらすぐに行動だ。部屋にある浴衣を手提げ袋に入れて、トランクからシャンプーや化粧品を取り出す。髪をゆるくお団子にまとめて、私は客室を出た。



ここの旅館の温泉って有名なんだよね。過去にもテレビで何度か特集されていて、美容にも効果があるとかなんとか…!うん、楽しみ!冷えて疲れた身体を癒しに行こうと、鼻歌を歌いながら女湯を訪れると、入口に何か看板が立てかけてあるのが見えた。そこには、





【落し物捜索中のため、臨時清掃中】


「さ、最悪…」

るんるん気分で振り回していた手提げ袋がぼとっと音を立てて落ちた。


な、なんで!?私が入ろうとタイミングでこんなのって…嘘でしょ…?よほど日頃の行いが悪いのだろうか。新年早々、本当にツイてない。


とにかく今夜は諦めた方が良さそうだ。仕方がないから明日の朝にでも入ろうか、なんて思っていると、




「…みょうじさん?」


聞き覚えのある声で背後から名前を呼ばれ、半泣きの状態で振り返る。ぱっと見て誰か一瞬分からなかったけど…



「えっ、一ノ瀬さん!?」

声の主は、浴衣姿の一ノ瀬さんだった。日中衣装として身にまとっていた物ではなく、この旅館の備え付けの浴衣。
髪の毛がしっとりと濡れていて、いつもと髪型が違うせいで一瞬誰だか分からなかった。様子を見るにお風呂上がりなのだろう。いつもにも増した色気にドキドキとしてしまった。



「一ノ瀬!売店に良い物が…、みょうじ?どうしたんだ?」

次に現れたのは、同じく浴衣を着て少しはしゃいだ様子の聖川さんだ。両手にフルーツ牛乳を持っていて、驚いた顔と目が合う。その様子から二人で一緒に温泉に入って上がったところなのだと推測出来た。



「実は温泉に入りたいと思ってたんですが、これが…」


私の言葉に、聖川さんと一ノ瀬さんが同時に看板に視線を移した。「お気の毒に」と私に同情する一ノ瀬さんの横で、聖川さんは顎に手を当てて何か考え込んでいる。けれどすぐに一ノ瀬さんに何かを耳打ちした。それに反応した一ノ瀬さんが小さく頷いて、何故か私の右手を引いた。


「みょうじさん、少し付き合って頂けますか」
「え?」
「よし、行こう」
「えっ?えっ?」


何が何だか分からないまま、左手は聖川さんに繋がれている。付き合うって何処に…ていうか手、手!あなた達のファンは普段お金を払って握手会に来くれているのに、私がこんなに簡単に触れたらダメだよ!


「ちょ、待っ…!」


私が何か言うより先に、どんどん先に進んでいく二人。湯上りのせいか、繋がれた二人の手はほんのり温かい。私の手、冷たくないだろうか。










「えっ…これって…」


旅館の外まで連れ出され、しばらく歩いた先で辿り着いたのは、檜で出来た小さな小屋のような場所──ほんのりとする硫黄の香りは、私がまさに求めていたもので、



「ロケの途中で見つけたんです」


柔らかい灯りで照らされているのは【足湯】の文字。こんな場所があったなんて、知らなかった。


二人に促されるまま、段差を越えて足をちゃぷんとお湯に入れる。足先から熱が伝わって、身体がだんだん温まって、心までぽかぽかになる。


私に続いて聖川さんと一ノ瀬さんも足湯に浸かる。二人に挟まれ、のんびりと穏やかな時間が流れる。

あぁ、あったかいなぁ。





「今日は一日疲れただろう」
「え?」


聖川さんから意外な言葉が降ってくる。疲れた…?私、疲れてるのかな?けど実際今回のロケは、今回に限らず私は大したことはしていなくて、いつもサポートをするだけで。


「お二人の方がずっと疲れてるでしょう?私は全然、いつも大して動いてないですし…」
「何を言う。みょうじがいつも人一倍気を回して働いてくれていることを、俺達は知っている」


優しい声で聖川さんにかけられた言葉に、きょとんと固まる。そんな風に、見ていてくれたなんて正直驚いた。別に見返りが欲しくてしていた訳じゃない、ただみんなの役に立ちたいと思っていただけなのに。だけどこう認めてもらえるのが…こんなにも嬉しくて。


「いつも感謝していますよ。ST☆RISHのメンバー全員、そう思っています」


一ノ瀬さんの言葉に、また心がほっこりとして。ふと、夜空を見上げると真っ暗な闇に星が美しく輝いていた。冬の季節、空気が澄んでいて空もよく見える。



「私、頑張れてるのかなぁ」


ぽつりと呟く私に、隣に座る二人は揃って優しく微笑んだ。その顔が肯定だと分かって、また嬉しくなる。それに少し、きゅんとしてしまったのは内緒だ。




「さて、フルーツ牛乳でも飲むか?」
「えっ!この寒さの中ですか!?」
「夜遅いためコーヒー牛乳ではなくフルーツ牛乳を選ぶ聖川さん…その気遣い、さすがですね」
「いや、そういう問題じゃ…!」


寒さも忘れてしまうくらい温かい時間。

これから先、挫けそうなこともたくさんあるだろう。だけど二人の励ましに、マネージャーという仕事に改めて誇りを持てた気がする。そして明日からもまた、頑張ろうと思えた。



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