CALL

私には、好きな人がいる。

出会って数ヶ月…ペアとして一緒にデビューを目指して、共に頑張ってきたクラスメイトの真斗。


「みょうじ」


私と真斗は同じAクラス所属で、入学した時から卒業オーディションを目指すペアを組んできた。ついでに言うと、教室の座席も隣だ。

一緒にいる時間が長いから、自然と仲良くなった。
調子良いって思われるかもしれないけど、彼には心を開いてもらっていると自負していた。


「ね、真斗」
「ん?」
「そろそろさ、私の事も下の名前で呼んで欲しいなー…なんて」


優しくて紳士的な彼に私が惹かれるのは必然で。
恋愛禁止の校則なんて関係ないくらい、気付いたらどうしようもなく好きになっていた。



「…照れ臭いだろう」
「もう、またそう言う」
「その内に、な」

真面目で礼儀正しく、だけどどこか他人行儀な真斗は、ずっと私の事も名字で呼んでいる。私だけじゃなくて、音也の事も、なっちゃんの事も。

だから、きっと癖というか、それが彼なりのポリシーなのかなって思ってた。それでも私は真斗に名前で呼んで欲しくて。だって女の子なら誰だって、好きな人には自分の名前を呼んで欲しいと思うでしょう?


一回目に名前で呼んでってお願いした時は、顔を真っ赤に染めて、
「女子を名で呼ぶなど…!」
と反抗した。

二回目は
「親しき仲にも礼儀ありと言うだろう」
ときっぱり言われ、

三回目は少し照れたように
「考えておこう」
と言ってくれた。


少しずつ縮まっていった、私と彼の距離。

卒業までに名前で呼んでもらう…それが、私の密かな目標だったんだ。


だけれど、
恋っていうのは思わぬタイミングであっさり散るもので。






─────


「急に行ったら怒られちゃうかな」


出来上がったばかりの楽譜を持って、私は軽い足取りで練習室に向かっていた。


明日はアイドルコースの実技テストがあるらしく、今日は放課後一人でピアノの練習に集中したいと、予め真斗から言われていた。

だけどどうしても出来上がった曲を真斗に見てもらいたかった私は、足を弾ませて練習室に向かってしまった。

それが、いけなかったんだ。



廊下から練習室が見えて、覗き込むといつもの青い髪が目に入った。ちょっぴり驚かせてあげようと思って、ノックもせずにドアに手をかけた。






「まさ──」
「ハル」


時間が、止まったようだった。

ドアノブに手をかけて半分開いた途端に、聞こえた声。
聞き間違えるはずなんかない、私が大好きな人の声。


廊下からは見えなかったけど、真斗の奥には春歌ちゃんが座っていた。


ひとつのピアノ椅子に、寄り添って座る二人の姿。

その光景は、私の胸を引き裂くには十分過ぎた。



二人は私が来た事には気付いていない。
そのまま音を立てないよう、そっと扉を閉めた。

ズルズルと、その場に座り込む。
何度も何度も頭でリピートされる真斗の声。


『ハル』


真斗は確かに、彼女をそう呼んだ。
そんな呼び方、親しくて…特別な間柄でなければ、ありえない。真面目で、他人行儀な彼なら尚更。


「なんだ…そういう、こと」


目の前が真っ暗になる。真斗が春歌ちゃんを呼ぶ声が何度も頭の中に響いて、頭が割れそうに痛くなる。


辛うじて立ち上がり、ドアのガラス窓から部屋の中を覗いた。二人で一緒にピアノを弾いている。

すごく楽しそうに笑う春歌ちゃん。しかも弾いているその曲は、私が真斗のために作曲したものではない、全く違う曲。
多分、いや絶対…彼女が作ったものなのだろう。



「嘘つき」


一人で練習するからって言ったじゃん。
どうして春歌ちゃんの曲を弾いてるの?
真斗のペアは私なんだよ?

ばかばか、大嫌い。
真斗なんて、嫌いだ。


いや、馬鹿なのは私の方だ。真斗の気持ちに気付かないで、ずっと片想いして。間抜け、そのものじゃない。

だって、あんなに春歌ちゃんを愛おしそうに見つめてる。
あんな優しい顔、私には見せてくれたことないのに。



「どうして、あの子なの」

どうして、私じゃないんだろう。
私が、ずっと一番近くにいたと、思っていたのに。
私が、一番好きなはずなのに。


ピアノを弾いている二人の手がそっと触れて、春歌ちゃんが顔を赤く染める。それにまた真斗は微笑んで、そっと手を重ねた。

ずっと触れたかった、彼の手。
それが重なっているのは、私じゃない。


「もう、だめだ」


それが見ていられなくて、私はそっとその場を離れた。二人の邪魔を、しないように。








「何も退学しなくても…」
「ううん、ごめんね林檎先生。でももう決めたことだから。これ以上、ここに居るのは辛いんだ」
「勿体ないわ、才能もあるのに」
「ありがとう。先生にそう言ってもらえるだけで十分」
「まぁくんには?」
「学校を辞めたとだけ伝えてください」


そこからの行動は早かった。

とにかく急いで部屋に戻って、思い切り泣いた。同室の友ちゃんが必死に慰めてくれたけど、私の心はもうボロボロだった。その後夜中寮を抜け出して、学校の練習室で曲を作った。真斗に持っていこうとした楽譜は、もうビリビリに破いてしまった。だから新しく作るしかなかった。




「じゃ、マサ!なまえ!また明日ね〜」
「うん!ばいばーい!」

退学することは林檎先生と学園長、同室の友ちゃん以外には伝えてない。だから普通に笑って、皆にはまた明日と言って手を振った。


「ねぇ真斗」

真斗との最後の練習を終え、すっかり暗くなった夜の道を歩く。まぁ彼は最後だなんてこれっぽっちも気付いてないだろうけど。


「どうした?」

(最後に、)

「私の下の名前、呼んでくれないかな」


また同じお願いをした。その声で、私の名前を呼んで欲しかったから。たった一度でいい、そう強く願いながら。


真斗は少し困ったように

「そういう事は軽々しく言うんじゃない」
と笑った。


最後の願いすら、叶えてもらえなかった私。
いつも隣に寄り添って、名前を呼んでもらえる春歌ちゃん。

分かってはいたけど、こんなにも違うだなんて。


「分かった。ごめんね、困らせて」

暗がりの中、私は真斗にバレないようにそっと涙を流した。





【真斗へ

途中で逃げ出したりしてごめんなさい。
真面目なあなたはきっと怒ると思う。だけどどうか許して下さい。そして私の分まで夢を叶えて下さい】


土曜日の朝、誰もいない教室。

荷物がカラになった私の席の横…真斗がいつも座る机の上に、手紙と楽譜を置いた。
それは卒業オーディション用に私が真斗のために作った曲…歌ってくれるかどうかなんて、分からないけれど。想いを込めて、作った。これが私の真斗への気持ちだ。


【今までありがとう。大好きでした。

なまえより】


あえて下の名前だけ手紙に書いた。
これはせめてもの、私の最後の抵抗。


「さようなら」


大好きなあなたが心の中だけでも、私の名前を呼んでくれるのなら。
きっと私はそれだけでも十分嬉しいんだ。



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