6月-5

「(この子、あの時の…)」

白いハチマキを首から下げて、リボン結びにしている可愛らしい女の子。始めは気付かなかったけど、よく見るとその後ろには友人と思われる女子生徒が2人。

真ん中に立つこの彼女は…2組の子だ。話したことは、今日の一度きりだけ。二人三脚リレーの時……来栖君と走っていたあの子だ。


「……なに?」

意識していないのに、思っていたより低い声が出てしまった。外からは逆光が差していて彼女達の表情は良く見えない。けどきっと、あまり好意的な表情はしていない予感がした。


「こんな所で、一ノ瀬君と二人きりでイチャイチャ?」
「別にそんなんじゃ…ただ片付けしていただけだよ」
「ふーん。ほんっと感じ悪い。さっきだって良い子ぶっちゃってさ」

さっき、というのは二人三脚のことだと思う。それしか私と彼女には接点がない。
『良い子ぶる』かぁ…そう思われてるのは心外だ。私なりに、あの場を収めようと判断しただけなのに。


「(いやいや、落ち着こう)」
言い返しそうになる口を結んで、ぐっと堪えた。反抗したら負けだ、負けよ紬。そう自分に言い聞かせながら。

それなのに、

「もっと大怪我すれば良かったのに」

当の彼女の発言がこれだ。思いやりの欠片もない言葉と先程からの態度に、自分の中でぷつんと何かが切れた音がした。


「(この子、私がさっき庇ってあげたことを忘れてるのかな)」

自分で転んだなんて、嘘だ。本当は…追い抜かされるかどうかの瀬戸際で、確かに彼女に腕を引っ張られた。そのせいで転倒したんだ。

そう、四ノ宮君の言っていることが正しかったの。彼には本当に悪いことをしてしまった。


「…あのねぇ」
「何よ」
「私のことが嫌いならそれで構わない。だけど暴力を振るうのは違うんじゃないのかな」
「べ、別に暴力なんかじゃ…!」
「現に『大怪我すれば良い』って言ったじゃない。立派な言葉の暴力だよ」
「…ほんっとムカつくコイツ!!」
「…いたっ!」

なるべく落ち着いて話そうと、淡々と言葉を紡ぐ私が心底気に入らなかったのか、女の子のうちの一人が腕を伸ばして、私を突き飛ばした。後ろによろけて踏ん張れなかった私は、その場に尻餅を着く。下に授業用のマットが敷かれていたのが不幸中の幸いだ。
…って、実際暴力振るってるじゃん!!ムカつくのはこっちのセリフよ!


「…アンタなんて大嫌いよ!!」

あんなに可愛い顔を歪ませて、そう捨てゼリフを吐いた彼女達は体育倉庫の扉を閉めた。太陽の光が遮断されて、中が薄暗くなる。お尻の痛みに耐えながらゆっくり立ち上がって、ジャージのズボンに付いた砂を軽く払った。

決して良い気分にはならないけど、ひとまず行ってくれて良かった。もう今みたいな目には遭いたくないから、扉は開けておこう。作業を再開すべく体育倉庫の扉に手をかける。しかしそれは、私の力を少しも聞くことなく無常に閉まったままだ。重い、重すぎる。


「待って…嘘でしょっ…!?」

内側に付いている鍵は確かに開いている。それなのに開かないということは、外につっかえ棒か何かが引っかかっているのだろう。絶対、あの子たちの仕業…!


何度試みても、そのドアを開けることは出来ない。もう諦めよう。きっと一ノ瀬君が戻ってくれば外から開けてくれるはずだ。

外からの光が差さないせいで、暗いまま。まずった…ここの倉庫、中に電気付いてないんだよな…。暗闇に漂うホコリの匂い。さすがの私も心細い。


「どうして、こんな目に遭うのよー…」

ドアに背を預けて、ずるずるとそのまま地面に座り込んだ。体育座りをして膝に顔を埋める。足は怪我するし、嫌がらせはされるし…もう散々だ。せっかく最後の体育祭、自分なりに楽しめたらと思っていたのに。あ、まずい。泣きそうになってきた。


私には学校生活を楽しむ資格はきっと与えられてないんだな。きっとそう、だって昔から──

いや、止めておこう。感傷に浸ると余計惨めになる。とにかく今は時間が経つのを待っていよう。そう思った時だった。



ドンドン!と力強く外から誰かが体育倉庫の扉を叩いた。何か呼んでいるような気がする。何となく声は聞こえるけどその扉の厚さ故に、言葉までははっきり聞き取れない。


「…けて、助けて!!」

ここにいるよ、の意味を込めて私は立ち上がって内側からドアを叩いた。外からガサガサと音が聞こえる。きっと彼だ、戻ってきて…くれたんだ。


重い扉が音を立ててゆっくりと開く。外から差し込んだ夕日に、目が眩んだ。





「助けてっ…一ノ瀬く──」
「紬先輩!!大丈夫ですか!?」


慣れてきた視界に捉えたのは……焦った顔で息を切らした、瑛二君だった。私の両肩を強く掴んで、「怪我はありませんか!?」と勢い良く詰め寄った。あまりのその迫力に思わずコクコクと何度も頷く。


「良かった…!たまたま通りかかって、先輩の声が聞こえた気がしてっ…」
「う、うん…って、え!?」
「……」
「ちょちょちょ瑛二君…っ」

両肩を掴んでいた手は私の背中に回って…瑛二君はそのまま力強く私を抱き締めた。抵抗しようにも出来ないくらい、ぎゅっと強く。きっとすごく、本当に心配してくれたのだと思う。少し腕が震えている気がしてそれが何だか申し訳なくて、ぽんぽんと肩を叩くことしか出来ない。

それに、私ってば…


「(真っ先に、一ノ瀬君の顔を思い浮かべてしまった)」

助けてくれたのは瑛二君なのに、私は一ノ瀬君の名前を呼んだ、呼んでしまった。きっと瑛二君はその事には気付いていないと思う。だけど、瑛二君になんて失礼な事をしてしまったんだろう、と。

恥ずかしくて照れ臭くて、それに熱くって。一刻も早く離れて欲しいのに一方的な罪悪感も相まって、私はその腕を振りほどく事が出来なかった。




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