6月-4

「…よし!」

両手で軽く頬を叩いてから、呼吸を整える。バクバクと鳴る心臓、凄まじい歓声。プレッシャーに押し潰されそうになる。だけど、何とか頑張るしかない。

「白石!」

私は先頭でバトンを受け取り、走り出した。両腕を目一杯振って、膝を上げながら風を切る。走りながら、後ろから他の子が迫ってくるのも分かる。


「…!いたっ…!」

コーナーを曲がった時、右足に激しい痛みが走った。だけどもう転ぶのなんて絶対に嫌…!唇を噛んで痛みに耐え全力を出して走ると、何となく後ろと差が開いてきているのを感じた。

「一十木君!」
「ナイス白石!」

一十木君に先頭でバトンを渡して、その姿を見送った。大歓声の中、颯爽と走り抜ける一十木君の後ろ姿に向かって、必死に祈った。


「一十木君、お願いっ…!」

周りの歓声に掻き消されて、私の声なんて届かなかったと思う。だけど全力で走る一十木君は、見事な走りを見せて──



『ゴール!!先頭は赤組!3年1組です!!』

トラックの半周先に、トップでゴールテープを切った一十木君の姿が見えた。大喜びしながら、彼の元に群がる1組の面々。周りも割れんばかりの拍手が沸き起こっている。


「よか、った……」

私はその輪に混ざることはせず、ただ遠くから静かにその様子を見守った。ようやく自分の役目を果たすことが出来て、ほっとしたら全身の力が抜けて…


「お疲れ様でした」
「いちのせ、く…」


その場にへたりと座り込もうとしたところで、私の腕を誰かが掴んで支えた。いつの間にここにいたのか…それは一ノ瀬君だった。

周りが賑やかな声で溢れる中、一ノ瀬君は何も言わず私をじっとただ見つめた。やばい、無理して走ったこと…やっぱり怒っているのかもしれない。

「あの、一ノ瀬君…」
「しっかり掴まっていなさい」
「へっ…て、えぇっ!?」


次の瞬間、一ノ瀬が私の膝裏に腕を回した。地面に着こうとしていたお尻がふわっと宙に浮く。そして一気に上昇する視界。

「ちょっ、待っ…やだやだ下ろして!」
「…っ、あまり暴れるなら落としますよ!?」
「その方が良い!いいです!」

それは俗に言う、お姫様抱っこだった。恥ずかしすぎるその姿勢に、両足をバタバタ動かして抵抗する。一ノ瀬君は至って真剣な顔でふざけている様子は無い。

まずいまずいまずい!私絶対重いって!一ノ瀬君の腕が折れちゃうよ!何よりこんな所見られたら本当に一ノ瀬君のファンに刺されるってば…!


「誰も見ていませんよ」
「え?」
「全員、ゴールの方に夢中です。だから、ほら」

視線を周りに向けると、確かに生徒も先生も、誰も私のことを気にかける人間はいなかった。……いやいや、そういう問題じゃない。もちろんそれもあるけど、これは私自身が恥ずかしいからであって。

やっぱり下ろしてもらおうと今度はちゃんとお願いしようとしたら、予想外に一ノ瀬君は少し辛そうな顔で私の顔を見ていて……その表情にぽかんと口を開けるしかなかった。

こんなに盛り上がってるのに、私と一ノ瀬君だけ…やけに静かで、それが不思議で。


「あの…」
「次は閉会式ですね。始まる前に、行きましょう」

どうしてそんなに悲しそうな顔をしているのか、聞きたかったのに上手く言葉が出なかった。行き場のない両手を自分の胸の前で握って、恥ずかしさを隠すように俯く。そのままスタスタと歩く一ノ瀬君の足は、救護用テントへと向かった。




「うん、大したこと無さそうだね。念の為、病院行って診てもらって」
「ありがとう、藍ちゃん」
「全く…見てるこっちは気が気じゃなかったよ。ね、トキヤ」
「……はい」

心配をかけてしまったことは分かっていた。「ごめんなさい」ともう一度頭を下げて謝ると、藍ちゃんは「お大事にね」と言って見送ってくれた。

一ノ瀬君と並んで歩いて、集合場所へと向かう。全ての競技も終わって、間もなく閉会式だ。


「あ、あっという間に終わっちゃったね!体育祭」
「……えぇ」
「た、楽しかった…よね?」
「……」
「ごめんなさい、やっぱり…怒ってる?」
「いえ。ではここで」

閉会式は組み分けされた色ごとに整列をしている。だから赤組の私と白組の一ノ瀬君は、ここでお別れだ。

…何となく気まずい空気になってしまったことに心が痛んだ。正直、閉会式の結果なんてどうでも良くなってしまうくらい。最終結果はどうやら赤組が優勝したみたいで周りは歓喜に包まれているのに。その歓声も、足の痛みすら気にならないくらい、一ノ瀬君の様子が気になった。






───


「(だから気まずいって言ってるのに…)」

体育祭も終わり、ようやく色々な意味で解放されると思ったのに、私は何故かまたもや二人きりで一ノ瀬君と体育倉庫に居た。体育祭の片付けでここに居るだけで、深い意味は無い。だけど「トキヤと白石は倉庫の中、片付けて!」と、知ってか知らずか私達を二人きりにした一十木君のことは少し恨ませて欲しい。

一ノ瀬君は何も言わない。ただ黙々と手を動かしているだけ。


「一ノ瀬君」
「……」
「ごめんね」
「何故あなたが謝るのですか」
「だって、まだ怒ってるのかなって…」

私の言葉を聞いて、一ノ瀬君は手を止めた。そして珍しく気が抜けたように、その場に片膝を立てて座り込む。少し迷った後、私もその横に移動して体育座りをしながら、彼の顔色を窺った。


「分かりません」
「え?」
「何故あなたがここまで頑張るのか…自分の傷を隠してでも走ったのか。私にはよく分かりません」

いつも落ち着いて自信に満ち溢れているようにすら感じる一ノ瀬君の声が、今は少し暗かった。やっぱり彼は、私にリレーに出て欲しくなかったんだろう。私は宙を見上げて、「うーん」と声を漏らす。


「私、こんな感じだからさ。多分クラスからも好かれてない…っていうかただの空気みたいな感じで。前まではそれで良かったんだけど…ううん、良かったはずなんだけど」
「……」
「それが、やっぱり寂しかったのかな。どうしてもクラスの皆に私の頑張りを認めて欲しくて。……って、承認欲求高すぎだね、私」

気持ちを言葉にするのは難しい。不器用な私の話にも、一ノ瀬君は相槌を打ちながら真剣に聞いてくれた。


「認めていますよ」
「え?」
「白石さんの頑張りを。少なくとも、私は、いつも」


その言葉に、今度は私が驚いてバッと一ノ瀬君の顔を見た。目が合うと一ノ瀬君はゆっくりと口元を上げて笑った。

ドキッとしてしまうくらい、綺麗な微笑みで。



「…っ!ま、まだ外に用具残ってるかな!?私、ちょっと見てくるね!」


照れを隠したくて、苦し紛れに話を逸らしながら勢い良く立ち上がった。扉に手をかけると、その取っ手に後ろから手が伸びる。私の手に重なる、一ノ瀬君の手。

背中越しに、体温を感じる。すごそこに、一ノ瀬君がいる。


「心配しました」
「いちのせ、く…」
「何事も無くて良かった。もう、無理はしないで」


囁くようなその声は、私の耳に直接届いた。吐息さえ感じてしまいそうな距離に、心臓がうるさいくらいに音を立てる。


「外、私が見てきますよ。白石さんはここにいて下さい」
「う、うん…」

何事も無かったかのように、一ノ瀬君はパッと私から離れた。颯爽と外へ向かう一ノ瀬君の姿が見えなくなったのを確認してから、ジャージの袖で口元を押さえる。

なにこれっ…今、めっちゃドキドキしてる。顔だって、熱い。


一ノ瀬君の言葉が嬉しかったから?ううん、それだけじゃない。だって、あんな距離で…!

誰にも見られなくて良かった。心からそう思っていると、再び体育倉庫の扉が開いた。

一ノ瀬君、もう戻ってきたのかな。やたら早い帰りに驚きながらも扉の方を振り返ると──



「白石さん」

見覚えのある顔が、私のことを睨みながらそこに立っていた。



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