真斗くんと、




親に決められた結婚相手など…と初めの頃はそう反発した。しかしいずれは聖川財閥を継がなければならない自分の立場も理解している。これが自分にとっても周りにとっても最善なのだと…そう言い聞かせ今回の見合いを受けることを決めた。


「今日は疲れただろう、少し休むと良い旅子」
「お気遣いありがとうございます、真斗さん」


口角を上げ、花が咲くように明るく笑うその笑顔に釣られ、自然と頬が緩んだ。
父上に決められた結婚相手など…そう思っていたはずなのに、彼女──旅子はいとも簡単に俺の心に入り込んだ。

振り返れば、ほぼ一目惚れだったように思う。それから数回の逢瀬を重ね、流れるように結婚まで決まった。あの日の見合いで出会えたのが旅子で良かったと。今は心からそう思えている。


「先程藤川さんがお風呂の準備が出来たと教えて下さいました。真斗さん、お先にどうぞ」
「俺は後で良い。旅子が先に──」
「それはいけません!ここは真斗さんのお宅で私はお邪魔している身ですから」


今日結納を終え、数ヵ月後には婚礼の儀を執り行う手筈となっている。夜遅くなったため、旅子も今日は京都にある聖川家の本家に泊まる事になった。全ての儀式が終われば東京のマンションで二人で暮らすことになっている、が。旅子の両親があまりに彼女を心配するためこうして泊まりで一緒に過ごすのは意外に初めてだった。


「分かった。今日は甘えるとしよう」
「はい!ごゆっくり」

旅子の頭を撫でると、気持ち良さそうに目を細めた。少しの間でも離れるのが惜しい。だが今日は朝まで共に過ごせる訳だ、まだまだ時間はある。



入浴と食事を済ませ後は眠るだけ、というところで二人で寝室として使う和室へと向かった。俺の家の浴衣を着て、そろそろと歩く旅子の姿を見ると不思議と心が落ち着かなくなる。俺も変だな、これからは毎日のように一緒に居るというのに。



「はわっ!」
「……」

襖を開けた瞬間、素っ頓狂な声を出したのは旅子だった。それもそのはず…畳に敷かれた二つの布団は、少しの隙間も許さぬくらいにピッタリと横がくっついている。十中八九じいの仕業だろう。まったく…何年経っても世話好きなのも困ったものだな。


「あ…あ…」
「…立っていても仕方ないな。横になるか」
「は、はい…!」


狼狽える旅子の手を引いて、仲良く並んだ布団まで移動する。夜遅い時間なのに、変に目が冴えてしまった。それは旅子も同じらしく、敷布団の上で律儀に正座をしている。それに倣って俺も同じように正座をしたら、旅子は慌てて「そんな!足を崩して下さい」と言った。


「旅子も楽にしてくれ」

正座をしていた足を崩して片膝だけ立てた。旅子も俺の言葉に観念したのか、ようやく両足を崩してくれた。布団の上で向かい合う俺と旅子。部屋の電気は消えているが、月の光が差して十分に明るい。



「…旅子は、」
「どうしましたか?」
「あ、いや…。旅子はまだ俺よりも若いだろう。結婚を決めて後悔はないのだろうかと、思ってな」


ずっと胸につかえていた疑問を旅子に投げかけた。彼女は可憐で純粋でいて、優しい。他にもっと良い相手がいるのではないかと、心のどこかでいつもそう思っていた。


「私は、真斗さん以外に恋をした事がありません。こんな素敵な方の伴侶になれて…むしろこんなに幸せで良いのかなって思ってます」
「旅子…」
「真斗さんは私の…は、初恋ですから」


旅子の返答に、心から安心し嬉しくなった。「ありがとう」と返せば、恥ずかしくなったのか旅子は顔を赤くして俯いた。

前に垂れた旅子のサイドの髪に触れ、耳にかける。すると、上目でこちらを見上げる旅子が小さく口を開いた。


「真斗さんは、居なかったんですか…?」
「何がだ?」
「結婚したいな、と思ったことのある女性」

旅子からの質問に、俺は彼女に触れていた手をそっと下ろした。純新無垢なその瞳を見ると、どうも敵わない。視線を外して、今度は俺が小さく呟いた。


「…昔に、少しな」


こういう時に器用に嘘をつけない自分が憎い。しばらくしても旅子の反応が無いことが気になり慌てて顔を上げると、旅子は眉を下げて酷く落ち込んだ様子だった。


「そ…です、か」
「いや!気を悪くさせてすまない。もうとうの昔の話だ。とっくに踏ん切りがついている」


これは事実だ。過去はもう振り返らないし、後悔などしていない。好きなのも結婚したいと思うのも、生涯傍に居るのも。その相手は旅子しか考えられない。


「今、俺が好きなのは旅子だ。俺は自分の意思で旅子と添い遂げることを決めた」
「真斗さん…」
「確かに初めは父上の言われるがままだったかもしれない。だがこれが運命だったんだ。俺は旅子を心から愛している」

俺の告白に驚いた顔をする旅子だったが、その頬は赤く染まりそして嬉しそうに綻んだ。


俺の気持ちが伝わるように…と。旅子の肩に腕を回して、自分の方へと抱き寄せる。
腕に力を込めて抱き締め、温もりをしばらく堪能する。そして旅子の背中が布団に着くよう、自然に静かに押し倒した。

  
「あ、あの真斗さん!」

その体勢のままキスをしようと顔を近づけた時、旅子の両手が唇の前を遮った。


「こっ…子作りは、婚礼の儀が終わってからにしなさいと…!」
「……」
「お父様から、言われておりまして…」


視線を横に外し顔を真っ赤に染める旅子と対照的に俺は一瞬、ポカンと固まった。

予想外の旅子の言葉と反応があまりに可愛らしく、思わず吹き出してしまう。


「ははっ…そうだな。そういう約束だったな」
「す、すみません…何卒不慣れなもので」
「いや構わん。俺の方こそすまなかった。焦りすぎたな」


本当は行為イコール子作り、とはあまり思われたくはないのだが…それは今後じっくりと教えることとしよう。 


「(時間がかかりそうだな、これは)」


旅子の上を退き、手を引いて起き上がらせようとすると、旅子が安堵の表情を浮かべる。それが少しだけ悔しく、再び身体を押し倒した。



「せめて、口付けはさせてもらえないだろうか」

また布団に逆戻りした体勢に旅子は口をぱくぱくと動かすが、しばらくすると頬を赤く染めて小さく頷いた。


ぎゅっときつく目を瞑る旅子に、少しでも安心するようにと優しく唇を重ねた。少し迷った後、中途半端に開いた旅子の唇の間に、そっと舌を差し入れてみた。驚く旅子だが、意外にも抵抗することはなく、俺のキスを受け入れた。


「んっ…!は、」
「おやすみ」
「おやすみ、なさい…」


これ以上長くすると旅子がもたないだろう、そう判断し早めに唇を離す。本当はもう少し…とも思うが初めての夜だ、慌てずに二人のペースで進んで行けば良いだろう。


並べられた布団に、二人で仰向けになった。視線を横にやると俺を見つめていた旅子と目が合い、もう一度「おやすみ」と囁いた。





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