好きになるくらいなら



「そっか、辞めちゃうんだ」
「ごめんなさい、今までお世話になりました」


お店に週刊誌の記者が来たあの日──私は店長にバイトを辞めると申し入れた。決まっていた分のシフトだけ働いて、月末で退職するつもり。これ以上、大好きなこのお店に迷惑をかけるのは耐えられなかったから。店長はいつでも戻っておいでって言ってくれるけど、多分二度と戻ることはないと思う。


この常連の皆さんとも、きっと会うことは二度とないだろう。

だから辞める前にせめて挨拶がしたくて、今日は特別に早めに上がらせてもらって一緒に飲ませてもらっている。


同じ事務所所属だ。
音にいの記事のことも、私のこともよく知っているこの人達は、すぐに撮られたのが私だって気付いたようだった。




寿さんは悲しそうに「寂しくなるね」って言ってくれた。美風さんと黒崎さんは何も言わないけど、きっと私のことを心配してくれてるんだと思う。決して深い付き合いではなかったけど優しい人だっていうことは十分、分かっていたから。(カミュさんだけは相変わらず酔いつぶれていて話を聞いていないみたいだけど)




「音やんとのこと、色々大変だったみたいだけど」
「キミは良いの?このままで」

ずっと口を閉じていた美風さんがそう言う。

寿さんは眉を下げて心配そうな顔をしている。黒崎さんも顔を上げて私の方をじっと見た。



「良い訳、ないじゃないですか…」
「賀喜ちゃん、」
「本当は今すぐにでも会いに行きたいです。…でも、そんなの許されない。私には、そんな資格がないから」



私の初恋は、音にいだった。
ずっとずっと忘れられなくて、いつか会えるようにって願っていた。


でもこんな思いをするくらいなら、そんな願い叶わなくて良かった。


綺麗な、初恋のままで、大切な思い出のままで終わることが出来ればよかったのに。





「こんなに好きになるくらいなら、再会なんてしなければ良かった…!」



言葉と一緒に、堪えていたものが一気に溢れ出た。涙がどんどん、とめどなく流れる。
膝の上で握った拳の上にぽたぽた、と雫が落ちた。

誰かが優しく背中を撫でてくれる感触…涙で見えないけどきっと寿さんだと思う。



そのまましばらくの間泣いていた。今日は絶対に泣かないと決めていたのに、甲斐性もなく子どものようにわんわん泣いた。いつの間にか時間は経過していて、そして知らぬ間に寿さんがお勘定を済ませていた。


「すみませんっ…!私ってばもう…」
「良いんだよ、僕達も楽しかったしね。賀喜ちゃんと飲めて嬉しかったよ」
「…はい、ありがとうございます」
「へへ、ねぇ賀喜ちゃん」


ふと真剣な眼差しになった寿さん。その視線にまた緊張する。寿さんはまた少し悲しそうな顔をして、ぽつりと言葉を零した。


「その、音やんには……」
「お店を辞めることは伝えてもらっても構わないです」
「……そう」
「まぁ!もう二度と会うこともないと思うので!ご心配おかけしてすみません」


これ以上寿さんに心配をかけたくなくて、必死に笑顔を取り繕う。きっと、この人にはバレてしまってるんだろなって思ったけれど、寿さんは何も言わないでいてくれた。



「まだしばらくはココで働くんでしょ?」
「はい、月末が最後の勤務になります」
「じゃあそれまでまた来ようかな」
「ふふ、ありがとうございます。お待ちしてますね」


にっこりと笑って、手を振ってくれた皆さんを見送る。仕方がないとはいえ、もうお会いすることもなくなるんだって思ったら、やっぱり寂しくてたまらなくなった。


音にいは、あれから一度もお店に来ない。

当然だ、もう私と関わらないよう事務所からも言われているはず。唯一の繋がりだったこのお店で働くことすら許されなくなってしまった。そんな悲しい運命を前にして、神様って意地悪だなぁなんて思ったんだ。




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