もう一人の女の子
オフの日は大抵外に出て買い物したり、筋トレや走って身体を鍛えている事が多い。
だけど今日はそんな気にはなれなくて、気付いたらよく行く喫茶店とは別のカフェに足を運んでいた。いつもの場所でも良かったんだけど、何となく気分を変えたかった。それに今日は、ある人と話したいこともあった。
待ち人は、まだ来ない。
涼花との記事が出てから数日が経過した。
事務所の名前で、
「事実関係を確認中ですが、プライベートは本人に任せております」
とだけコメントを出して、俺自身はしばらくメディアへの露出を控えるように指示された。
オフという名の…謹慎のようなものだ。
事務所にもメンバーにも迷惑をかけてしまった。だけど皆、俺の事をすごく心配してくれて、大丈夫かと声をかけてくれた。特に嶺ちゃんは、あの記事が出た時にすぐに涼花だと気付いたみたいで、彼女の事も気にかけてくれていた。
そんな涼花とは、あれ以来一度も連絡すら取っていない。涼花の身に何かあったらと心配で仕方がないが、涼花にもう俺と会わないと言われた以上、どうしようもなかった。
「音也君」
スマホを弄っていると上から聞き慣れた声がしたから顔を上げた。
そこには今日約束をしていた、春歌の姿。
俺がスキャンダルの件でバタついていたせいか、こうして顔を合わせるのは、何だか久しぶりな気がした。
「ごめんなさい、待ちましたか?」
「ううん、全然」
春歌が椅子を引いて腰掛けると、店員が水を持って注文を聞きに来る。春歌が答えるより先にロイヤルミルクティーを、と注文した。彼女がよく好んで飲んでいるもの。長い付き合いだから何でも分かってしまう。春歌はありがとうございます、と小さく呟いた。
「今日、何で呼び出したか分かる?」
俺の問いに、春歌は何も答えない。顔は強張っていてずっと下を向いている。恐らく察しているんだろう、俺が今、何を言おうとしているか。
でも聞かない訳にはいかないんだ。
俺は鞄の中から例の週刊誌を取り出す。
一十木音也、俺の名前がでかでかと書かれた白黒のページを開いて、春歌の方へ向けた。
「どうしてこんなことしたの」
「……」
「この写真撮ったの、春歌だよね?」
俺がそう言った瞬間、彼女の肩がビクっと大きく動いて、それが真実であることがすぐに分かった。
「ど…して…」
どうして自分だと気付いたのか。
多分、春歌の問いの先はそうだと察した。
「写真の端に、ボヤけてるけど音符くんのストラップが写ってたんだ」
「ストラップ…が、」
「このデザイン、非売品なんだ。持ってるの、俺と春歌だけなんだよね」
初めは気が付かなかった。
だけどその事実に気付いてしまってからは、俺自身も悩んだ。
春歌が、彼女が、こんな事をするなんて…正直、信じたくなかったから。
「ねぇ、何か言ってよ」
「………」
「いくら春歌でも…怒るよ、俺」
しばらくすると、春歌はその大きな瞳からぽろぽろと涙を流した。
「ごめ、なさっ…!わたし…っ」
ついには手で顔を覆い泣きだす春歌。
店中の人からの視線を感じるけど、正直今はそんなことを気にしている暇はなかった。
「最低な事をしたって…分かって、いたんですっ…写真を売るだなんて…!」
涙を止めない春歌にそっと自分のハンカチを差し出す。春歌は首を振ってそれを拒否して、言葉を続けた。
「怖かったんです…!音也君がっ、賀喜さんの所に行ってしまうのが…!」
「春歌」
「音也君が私のそばから…っ、いつか離れるのが、怖かった…音也君が、賀喜さんを大切に想う気持ちに気付いてから、私…」
「うん」
「知ってたんです、音也君がっ…本当に好きな人が、誰なのかって…だから、」
泣き止まない春歌の所に、そっとロイヤルミルクティーが置かれた。何も言わず去っていく店員を見送ってから、春歌がカップに口をつけた。
「…申し訳ありませんでした」
しばらく経ってから少し落ち着いたのか、深呼吸をしてから春歌が俺に深々と頭を下げた。
そんな春歌に、俺は小さく首を横に振った。
「…謝るなら涼花に謝って欲しいな」
「……はい」
「でも今回は…俺も悪かった。春歌に何も言わないで涼花に会ったりして、それで避けたりなんかして」
「…いえ、音也君はっ、悪くありません…」
「ううん、全部俺が原因だよ。不安にさせて、辛い思いさせてごめんね」
ブンブンと大きく春歌は首を横に振った。
彼女はいつもそうだ。どんな時だって人を責めたりしない…昔から、そうだった。
『一十木君』
入学式で初めて話した時から、誰に対しても優しい彼女。俺は、そんな彼女に、確かに惹かれた。好きだった気持ちは、決して嘘なんかじゃない。
「だけど俺、自分の気持ちに正直になりたいんだ」
こんな優しい女の子を傷つけて、
「だから春歌とはもう付き合えない」
俺は、本当に最低な男だ。
「本当に、ごめん」
今度は俺が春歌に深く頭を下げた。
それからの事はよく覚えていない。
ずっとカフェのこの席に座って、いつの間にか外は夕日が差していて。
「分かりました」
春歌が一言そう呟いて、律儀にミルクティー代を置いて席を離れてから、
…俺、何時間ここにいたんだろう。
頼んでいたアイスティーの氷も、すでに溶けきっている。
大切にしてきた彼女に別れを告げて。
だからと言って、本当に好きな女の子の所へ向かう勇気はなくて。
「…ほんと、情けね」
誰にも聞こえない、独り言。
馬鹿だねって笑ってくれる人がいれば、どれだけ楽だったか。泣かせた二人の女の子の姿を思い浮かべてまた胸が痛くなる。
本当に辛いのは、あの二人だと言うのに。
自分の辛さを紛らわすようにひとつ深呼吸した俺は、すっかりぬるくなったアイスティーを飲み切って、伝票を持って席を立った。
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