ル イ ラ ン ノ キ


 23…「静波神社」



 りん…… りん……

遠くの方で、誰かが私を呼ぶ声がする。
その声はゆっくりと近づいてきた。

「りん……」

目を開けると、扇風機が風を送っていた。畳のざらざらとした手触りに、和室の匂い、風に揺れて音を鳴らす風鈴。

「りん、大丈夫かい?」

その声に漸く振り返ると、縁側からお婆ちゃんが心配そうに見ていた。

「りん、スイカ食べんかえ?」
「うそ……戻ってる?! なんでよっ!」

私は慌てて居間に向かうと、足の爪を切っているお爺ちゃんに訊いた。

「じいちゃん! お母さんから電話あった?! 手紙来てた?!」
「なんだい……なんの話かね?」
 お爺ちゃんは爪を切る手を止めた。
「お母さんから電話が来て手紙がどうこう言ってなかった?!」
「電話なんかきとらんよ」
「……ほんとに?」

私はへなへなと座り込んだ。これで終わったの? 私はお狐さまの要求に全て応えて、解放されたの? なんとも呆気なくて、実感がない。

お婆ちゃんがテーブルの上に切り分けていたスイカを勧めてきた。
そして台所から塩を持ってきて、言った。

「おやおや、それ着てくれたんだね」

私は自分が着ている服を見遣った。お婆ちゃんが買ってきてくれたスイカTシャツだ。お腹を摩り、痛みがないことに気づいた。折れていたはずの右腕も、いつの間にか治っている。

「うん、気に入ったの」
 そう言ってお婆ちゃんに笑いかけた。

正直スイカはもう食べ飽きていた。でもせっかくお婆ちゃんが用意してくれたんだ。塩の量を調節して、少し味を変えて食べた。

スイカを食べ終えたあと、私は固定電話の前に立っていた。やっぱり落ち着かない。本当に手紙の存在は消えたのだろうか。確かめるために、自宅に電話をかけた。
コールが4回鳴って、母が出た。

『はい。もしもし谷村です』
「あ、もしもしお母さん? いきなりで悪いんだけど……私宛てに手紙来てない?」
『りん? あんたそんなことより宿題やったの? もう高校生なんだから、しっかりしなさい』
「やってるよ!それより手紙は?」
『嘘ばっかし。どうせ夏休みの終わり頃になったら「宿題おわんなーい」って歎くのはあんたなんだからね?』
「わかってるってば! ねぇ手紙は? 来てたんじゃないの?」
『手紙なんか来てないわよ』
「……ほんとに? ほんとにほんと?」
『来てないわよ。嘘ついてどーすんの』

手紙は本当に来ていないようだった。ホッと胸を撫で下ろし、受話器を置いた。
だけど、まだ気になることがあった。お狐さまの浴衣に書かれていた名前だ。

結局私は翌日、また電車に揺られて実家に帰ることにした。

      

帰宅して真っ先にリビングのテーブルに目をやったが、あの水色の封筒は見当たらなかった。
やっとループから解放されたというのに、まだ疑っている自分がいるし、なんだか少し物悲しいような気もする。
2階の自分の部屋へ行き、ノートパソコンを開いて起動させた。椅子に座り、引き出しを開けた。手紙があったりして……と思ったが、どこにもない。
私は検索バーに名前を打ち込んだ。

  ≪保坂 尚人≫

検索ボタンを押すと、ある記事がヒットし、私は身を乗り出してパソコン画面を食い入るように見遣った。

それは今から10年前……。

高峅町で自営業を営む保坂湧二郎さんの長男・尚人くん(当時6歳)が8月10日に行われた静波神社のお祭で行方不明になった。
事件から10年以上経った今も発見につながる情報はない。
──事件当時の状況について──
保坂尚人くん(当時6歳)は、8月10日の午後7時30分頃、母親に連れられて静波神社のお祭りへ遊びに来ていた。母親は尚人くんと手を繋ぎ、一通り出店を見てまわってから、尚人くんがかき氷をねだったので買ってあげたあと、石段に座って尚人くんがかき氷を食べ終わるまで待っていた。
かき氷を食べ終えたあと、お面がほしいという尚人くんを連れて再び人が行き交う中へ入って行き、お面を売っているお店を探したが、7時50分頃、知り合いに声をかけられ母親は話しに夢中になってしまった。
その間、母親と手を繋いでいた尚人くんだったが、お面を買いに行きたいとねだって、母親からお金を受け取ると、一人でお面を買いに行った。
お面を売っていた田島 孝志さん(当時36歳)は、一人でお面を買いにきた尚人くんにキツネのお面を渡した。尚人くんはすぐにお面を身につけてから、本殿の方へと走り出したという。
田島孝志さんが尚人くんの後ろ姿を見てから5分もたたないうちに母親は尚人くんが戻らないことを心配し、田島孝志さんから本殿へ走って行ったことを聞かされ直ぐに捜しにいったが、尚人くんの姿は見つからなかった。
その騒動を知った地元市民も協力し、手分けして捜したが尚人くんの姿はどこにもなかった。
8時30分頃、警察が到着し、大規模な捜索が行われたが消息不明。最後に尚人くんらしき姿を見たと証言したのは本殿の階段に座っていた女子高校生だった。彼女たちの証言によると、狐のお面を被った浴衣姿の男の子が本殿の裏へと走って行くのを見たという。しかしお面で顔が隠れていたため、尚人くん本人であったかどうかは明確にはされていない。

「静波神社……?」

私は改めてネットで検索してみると、隣の町にあることがわかった。
行ってどうなるわけでもないけれど、気になるのだから行くしかない。

お婆ちゃんの家から4時間かけて電車を乗り継いで帰ってきたばかりだけれど、明日まで待てそうになく、早速出かける準備をした。
家を出る際には母親に例のプリントを渡して夏休みの宿題をひとつ終わらせたと見せ掛けてから外に出た。
今回はお狐さまに会いに行くわけじゃない。だから重たいおもちゃは置いてきた。財布とケータイをショルダーバッグに入れて、最寄りのバス停まで自転車を走らせた。
前もって調べておいた時刻から2分ほど遅れて到着したバスに乗り込み、空いている席に座った。ショルダーバッグのポケットから、静波神社への道のりを調べてメモしておいた紙を取り出し、見遣る。──だいたい1時間くらいで着くだろう。

私は窓から外を眺めた。通り過ぎていく景色を見ながら、最後に見たお狐さまの表情を思い出す。心痛な面持ちで、自分のお腹を刺した私の身体を支えてくれていた。
お狐さまは、きっと不器用で、さみしがり屋なんだ。結局は一緒に遊ぶ仲間がほしかっただけ。

でも、お狐さまと、“保坂尚人”という少年と、どういう繋がりがあるのだろう。
私はひとつの憶測にたどり着いた。
もしかしたら、保坂尚人という少年は、神隠しに合ったのではないかと。
あのお狐さまの手によって。

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©Kamikawa
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