voice of mind - by ルイランノキ |
なんとしてでも間に合うように迎えに行かなくては。大急ぎで廊下を曲がろうとしたアールは誰かとぶつかり、尻餅をついた。
「わぁ?! ──いったぁ……」
「大丈夫か?」
「すみません急いでて……て、ワオンさん!」
アールがぶつかったのはタキシードに着替えているワオンだった。
両隣には介添人の男性が立っており、非常識にも廊下を走っていたアールを驚いた様子で見下ろしていた。アールは慌てて立ち上がり。ワオンを見上げる。
「アールか! わかんなかったぞ、なかなか似合ってるな。でもドレスじゃないのか」
「ドレスといえばワオンさん! 今からミシェルのところに?」
「あぁ」
「ミシェルめっっっっっちゃ綺麗でしたよ!」
と、バンバンとワオンを叩く。
「お、おう……」
「ミシェルのこと、幸せにしてあげてくださいね。ていうか、一緒に幸せになってください」
「そのつもりだよ」
と、優しく笑った。
「あ。急がなきゃいけないんだった! じゃあまたあとで!」
慌しく走って行くアールを見送ったワオンは、ミシェルが待っている控え室へ向かった。
互いに忙しくて着飾った姿を見る時間もなかったが、ドアをノックし、ようやくご対面の時を迎える。
「ワオンさん……」
ワオンはウエディングドレス姿のミシェルを前にして、用意していた言葉を飲み込んでしまった。綺麗だよと絶対言おうと決めていたのに、想像を超えた美しさに飲み込んでしまったのである。
「なにか言ってあげてください」
と、見兼ねたドレスコーディネーターがくすりと笑いながら言った。
「あ……す……」
「す?」
と、ミシェルは小首を傾げた。
「すっげー綺麗だ……」
ミシェルはコーディネーターの女性と目を合わせ、嬉しそうに笑った。
「ワオンさんも素敵です、とっても」
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島の船乗り場まで来たアールは、受付の男性に声を掛けた。
「すみません、ボート出してもらえますか? 実はまだひとり来てなくて道に迷ってるみたいで」
「大丈夫ですよ、今出します」
事情を理解してもらえたアールは島を離れてモーメルを迎えに行った。
15分ほどかけて港湾に着き、ほっと胸を撫で下ろした。モーメルが待っていたからだ。恐らく誰かに尋ねて船乗り場まで来ることができたのだろう。
「モーメルさん! 急いで急いで!」
アールに急かされながらボートに乗り込むモーメルも、今日ばかりはめかし込んでいる。藤色の足首まであるワンピースに、アイボリー色のボレロを羽織っている。
「モーメルさん可愛い」
「全く、この年でこんな洒落た格好をして洒落た場所に来るとはね」
「さっきまでミシェルと一緒にいたんですけど、綺麗でした。今頃ワオンさんメロメロかと!」
「それは楽しみだね」
口には出さないものの、モーメルにとってミシェルは娘のようだった。嫁ぐには早いような寂しさと、旅立つ安堵感もあった。
「あんたドレス着ないのかい」
「着ないですよぉ、用意してないし……」
ドレスは、機会があれば着てみたいとは思う。でも今の私にはどんなドレスも似合わない気がする。短くなった爪、武器を握り続けて硬くなった手の皮、痣だらけの腕、ばさばさで不ぞろいの髪、くすんだ肌……。長旅でこんな風に仕上がった私は、旅に必要のないドレスが似合うはずもなくて。
きらびやかなウエディングドレスを身にまとったミシェルを前にしたときなんて、自分がみすぼらしくも感じたりして。
「いい天気だねぇ」
と、モーメルは空を見上げた。
本当にいい天気だ。ふたりを祝福しているかのよう。
ヘルツ島に降り立つと、待っていた男性スタッフが困ったように言った。
「チャペルにて既に挙式が始まっています」
「うそ……間に合わなかったの? 途中から入ってくのってなし?」
「外からでも見えるならかまわんさ」
と、モーメル。
「邪魔しちゃ悪いもんね……」
「ガラス張りになっていますので、外からでも見ることはできますよ」
スタッフに連れられて挙式が行われているチャペルへ向かった。
オーシャンブルーを眺められるように開放感のあるガラスは外からの光を取り込んでバージンロードを歩くミシェルを照らしていた。
「モーメルさんだけでも中に入れてもらったら? 訊いてみよっか?」
「いいさ、ここで十分」
と、モーメルはガラス越しに花嫁となったミシェルの後姿を眺めた。
「でも……」
「披露宴会場でゆっくり拝ませてもらうよ」
「そっか、そうだよね」
ミシェルとワオンが向かい合わせになり、ワオンの手からミシェルの指にリングが嵌められた。嬉しそうに指輪を眺めるミシェルのウエディングベールを上げ、誓いのキス──
一斉に拍手が湧き上がった。
アールとモーメルも、外から二人に拍手を送った。
「ミシェルきれい……」
そう呟いた瞬間に、泉で見た自分の結婚式の光景がフラッシュバックした。──最悪だ。せっかくミシェルの幸せを見届けられるというのに。
「顔色が悪いんじゃないかい?」
と、モーメルはアールの顔を覗きこんだ。
「あ……ううん。2度も船で往復したからだよ」
「それはすまないねぇ」
「そろそろ披露宴会場へ移動されますか?」
と、少し距離を置いて後ろに立っていたスタッフが声を掛けてきた。
「そうですね。モーメルさんも歩き疲れただろうし」
「年寄り扱いしないでほしいね」
「あはは、ごめんごめん」
一足先に会場へ向かっていると、ミシェルと新婦の待合室にいたドレスコーディネーターの女性スタッフが走ってきた。
「アールさま、遅くなって申し訳ありませんでした」
と、息を整える。
「え?」
「さ、ご用意ができていますのでどうぞこちらへ」
と、受付とは違う場所へ促される。
「え? えっと、なんでしょうか? 私モーメルさんと……」
「アタシのことはいいから、行ってきなさい」
そう言ったモーメルは全て見透かしているような言い方だった。
アールが案内されたのはミシェルがドレスに着替えた待合室だった。部屋に通され、モーメルを迎えに出たときまではなかったはずのトルソーマネキンが立っていた。それも二体。ドレスを身に纏っている。ひとつは薄いピンク色の、裾が広がっている可愛らしいドレス、もうひとつはプルーグリーンの大人っぽいドレスだ。小物も揃えられていた。
「これは……?」
「ミシェル様がアール様へご用意したものです。感謝の気持ちを込めて、とおっしゃられておりました。すぐにヘアメイク担当の者も来ますので」
「でも……いいのかな……」
「楽しみにしておられましたよ、ドレス姿を」
勿論嬉しかったけれど、申し訳なさのほうが増してしまうのは私の悪いところだった。
でもせっかくここまで用意してくれたんだ。着替えないわけがなかった。散々悩んで、ブルーグリーンのドレスにした。年齢的に大人っぽいほうがいいと思ったし、大人として、きちんとスピーチをしなくてはという気合入れもあった。
裾がアシンメトリーになっていて、長さはちょうど膝のところまで。薄手の黒いボレロを合わせるとますます大人っぽく、足元はバッグの色と合わせたシルバーのヒールでエレガントさもあった。
伸びた髪はふんわりとカールさせてから一部編みこみ、高い位置でまとめた。
ボレロの袖から伸びるアールの腕は、ファンデーションで消すには人苦労な痣があった。
「せっかくのドレスもこれじゃ台無しですね……」
と、落ち込むアールに、メイク担当の女性がスプレーを取り出して見せた。
「これがあれば大丈夫ですよ」
そのスプレーに見覚えがあった。シドの故郷、ツィーゲル町の店の前でぶつかった女性が持っていたものだ。買おうか迷ったからよく覚えていた。傷や火傷など綺麗にカバー出来て、数日間も持つのだ。
「確か、2,980ミルの……」
「ふふ、そうです。約3,000ミルの《ミラクル消し肌》です」
と、笑われる。
──そんな商品名だったっけ?
とにもかくにも、これで一安心だ。
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