voice of mind - by ルイランノキ


 心憂い眷恋21…『トーマス』 ◆

 
想像で話をしていた。想像に過ぎないから言える言葉が沢山あった。
ワオンはテリーを殺してしまった。そのときにワオンが感じたものは、人を殺したことがないものには想像でしかわかりっこない。ドクッと脈を打った心臓から全身へと小さな小さな虫が湧いて出るような気持ち悪さと震えを全身で感じるなどわかるはずもない。
今さっきまで話をしていた人が、自分の手によって言葉を発しなくなるどころか息もしなくなる。ピクリとも動かなくなる。捨てられた人形のように転がって、そこにあるのは空っぽの身体だけ。
放置していれば忽ち腐って異臭を放ってゆく死体がそこにあるだけ。
 
殺すつもりなんかなかったのに。
 
「あ……」
 
心臓がドクドクと暴れ始め、嫌な汗が滲んだ。いつの間にか“慣れ”になり、“過去”のものになっていた沈静の泉で経験したことを思い出す。あの泉で見たものはどれも自ら望んで殺めた人の記憶ばかりだった。けれどその経験を疑似体験させられた自分にとっては殺すつもりなく殺したも同然で、感情が生まれる場所から自分の手で人を死へと突き飛ばしたときのおぞましさが、全身へと広がっていった。
 
電話を終えていたアールは、パラパラと何かを弾く音に我に返った。見上げると傘が頭上にあり、カイが心配そうに笑っていた。
 
「カイ……」
 自分の服がぬれていることに気づく。いつから雨が降っていたんだろう。
「風邪ひくよ?」
 カイは傘をアールのほうへと傾けていたせいで、自分も濡れてしまっていた。
 

 
アールはベンチから立ち上がり、傘をカイのほうへと戻して隣に移動した。
 
「ありがと。迎えに来てくれたの?」
「うん、暇だったから。雨降ってたし、傘買ったんだ。だってルイってば本ばっか読んで全然相手してくんないんだもーん」
「あはは、そっか」
 アールが歩き出すと、カイもついて歩いた。
 
アールとの相合傘に喜んでいられないのは、彼女に元気がないからだ。雨が降る中で、呆然とベンチに座り込んでいたアール。
 
「なんかあったの?」
 と、一応訊いてみる。
「え? んーちょっと……」
 予想通り、言葉を濁すアールに、カイは口を尖らせた。
「ヴァイスだったら良かった?」
「え?」
「迎えに来たの。ヴァイスにだったら話せるでしょ? 俺頼りないからさぁ……」
「あ、違うの。カイが頼りないから話さないんじゃないの。ちょっと……重い話だから」
 と、立ち止まる。
「俺だって聞くよ? 女の子とおもちゃの話しかしないわけじゃないしさー」
「ふふ、そうだね。でも……」
「やっぱ俺じゃダメなんじゃーん」
 と頬を膨らますカイ。
 
アールは、訊くことを躊躇していたことを、口にした。
 
「カイは、人を殺したこと、ある?」
「…………」
 
初めてみる表情だった。訊いたことを後悔する。カイとは暗い話をすべきじゃない。カイから笑顔が消えると、苦しくなるから。
 
「タケルは……」
 と、カイの口から出た名前に動揺した。「俺のせいだから」
「カイ……」
「俺が殺したようなもんだと思うんだ」
 
今にも泣いてしまいそうな顔。アールは傘を持っているカイの手を掴んだ。
 
「ごめんね。私が持つよ」
「…………」
 カイは傘をアールに渡した。
「タケルのことは誰が悪いとかそういうの、私はわからない。カイが自分のせいだというなら、私のせいでもある。私の代わりをさせられていたんだから」
「こじつけじゃなーい……?」
「それを言うならカイだって」
「俺は……」
 
二人は宿への道を歩き出した。雨脚は強くなる一方だ。
 
「タケルはどう思っているんだろうね。それを知るすべがあったらいいのに」
 
恨まれてるかも、とカイは言った。
 
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「元気ねーな」
 と、ワオンに声を掛けたのはトーマスだった。
 
誰もいない治療室のベッドに座っていたワオン。トーマスは壁に寄りかかり、腕を組んだ。
 
「女のことか?」
「…………」
「図星かよ!」
 と、思わず噴き出す。冗談で言ったからだ。
「……彼女に触れられないんっすよ。この手が血に染まっているようで」
 ワオンはそう言って両手を見遣った。
 
テリーの赤い血が両手にベッタリとついている。あのときの光景が蘇り、震えだした手を下ろした。
 
「なるほどな。俺の知り合いもそうだった。家族がいる奴で、酒場でトラブルに巻き込まれて住人を一人殺した。その日からしばらく、嫁さんにも娘にも触れられなかったってよ」
「…………」
「人を殺しても平気で愛する人に触れられるのは何度も殺しをやってきた輩ばっかだろうよ」
「そうでしょうね……」
「人を殺そうと思えば簡単に殺せる。銃さえあれば子供でも大男を殺せる。そう考えると急に周りの人間が酷く脆い生き物に思えてくる。こいつも簡単に殺せるんだと思うと触れることが怖くなる」
「トーマスさん……?」
 
トーマスは組んでいた腕を解き、ワオンに背を向けた。
 
「俺は過去に3回、人を殺した。お前にもし自分の子供がいたら、俺に抱かせたいと思うか? この街にはもっと人を殺してきた人間が山ほどいる。彼女と一緒になるつもりがあるなら、この街から出て行け。自分の子供に人の死体を見慣れさせたいなら、止めはしないけどな」
 
トーマスは治療室を出て行った。ワオンは閉ざされた扉を暫く眺めていた。
 

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©Kamikawa
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