voice of mind - by ルイランノキ


 心憂い眷恋20…『人の命』

 
窓から外を見上げた。日が暮れ始める。
雨雲が空を覆っていて、降りそうで降らない。
 
「ジャーック」
 と、クラウンが背後から歩み寄る。
「なんだよ……」
「そろそろ約束の時間じゃないかーい?」
「まだだ、あと2時間はある」
「暇なら時間速めればいいじゃないかー」
「あいつらにも予定があるんだ。変に急かせば怪しまれる」
「ふーん。まぁいい。よろしく頼むよ、ジャーック」
「…………」
 
ジャックは去っていくクラウンの後姿を見ながら、小さく舌打ちをした。
 
━━━━━━━━━━━
 
路地裏に入ると、そこは少しログ街に似ていた。荒くれ者はいないが、残飯を漁っているホームレスと出くわす。
アールはどこか落ち着ける場所はないかと探し歩いた。騒がしい街でもないが、これからワオンに電話をする予定だ。少しでも静かな場所で話したい。
 
余計なお世話なんだろうと思う。二人の問題に首を突っ込むのは。でも二人の仲を取り持ったのは自分だ。少なからず責任を感じていた。
 
アールが腰を下ろしたのは狭い公園だった。近くに大きな公園もあり、子供達は遊具が置かれた大きな公園のほうに集まっている為、ここには人がいなかった。
ベンチがひとつと、花壇が置かれただけの公園。花壇には花のつぼみがなっている。
 
「…………」
 大きく深呼吸をして、ワオンに電話をかけた。
 
仕事中なら出ないかもしれない。呼び出し音を聞きながら、花壇に目をやった。どんな花が咲くのだろう。
 
『アールか、なんの用だ?』
 と、ワオンが電話に出た。
「あ、お久しぶりです。今大丈夫ですか?」
『少しならな。──かかってくると思っていたしな』
 
ワオンもわかっていた。アールが電話をしてきたのはミシェルのことだろう。
 
「話が早くて助かります。ふたりのことずっと応援してたので、首を突っ込みますけど……ミシェルさん、ダメでした? お似合いだと思ってたのに」
『いや、彼女は何も悪くない。ダメでもない』
「ならどうして……」
『…………』
 
沈黙が流れる。言いにくいことだろうか。言いにくい理由ってなんだろう、と、アールは頭を悩ませた。
 
「もしかしてワオンさん……」
『…………』
「そういう経験がない……とか?」
 要するに童貞か、という質問である。
『はぁ? なんでそうなる!』
 と、拍子抜けだ。
「ご、ごめんなさい……」
 変な質問をしてしまったと、恥ずかしくなった。
 
でもこれで、互いにどこまで知っているのかがわかった。ワオンにとってはアールがミシェルからどこまで話を聞いているのかがわからなかったのだ。
 
『ミシェルのことは大事にしたいと思ってた』
「…………」
『触れたいとも思っていたよ』
「じゃあなんで……」
『震えるんだ。触れようとすると』
「……ミシェルが?」
 まだ、元カレとのトラウマがあるのだろうか。
『いや、俺がだ……』
「へ? なんで……」
『彼女に触れようとすれば手が震え始めて、その手が血で染まっているように見えてくる』
「…………」
『テリーの血で染まっているように』
 
テリー・バスラー
ログ街の情報新聞記者。アール達を指名手配にした男。正当防衛で、ワオンが彼を殺してしまった。
 
「あれは正当防衛で……」
『わかってる。仕方がなかったことだ』
「…………」
『俺な、一度だけあいつと飲んだことがあるんだ』
「え……初めて聞きました」
『数年前に一度だけだ。あいつは覚えてない。俺を含めた街の住人は情報記者である奴のことを知っている輩が殆どで、あいつと飲んだことがある奴は多い。だから俺もその中のひとりだっただけで、親しかったわけじゃない。数年前にVRCで乱闘騒ぎがあって、そのことについて取材に来たんだ。その日はみんな忙しくて俺が対応することになった。それで話をしていたら意気投合して、酒を飲みにいった。けどそれっきりだ』
「そうだったんですか……」
 一度でも飲みに行った相手とそうでない人とでは知り合い止まりではあるとはいえ、大きく違うように思える。
『ログ街で殺しは頻繁にある。ただ、俺はまだ……なかった。死体を見ることはあっても、実際に人の命を自分の手で奪ったのはあれが最初だった』
 
アールは黙って聞いていた。その場に居合わせたわけではないけれど、ことの発端は自分だ。自分がテリーとの交渉をうまくやっていたら……そもそもあの街に寄らなければ。もっと言うなれば、自分がこの世界に存在していなければ。
そんな思いが胸を締め付ける。
 
『正当防衛だ。仕方なかった。奴をしとめたおかげでお前達は無事でいられたとさえ思うようにしているが、引き金に指が触れた感触も、銃弾が飛び出したときの反動も威力も、その銃弾があいつの胸を貫いて飛び散った血も、倒れ込んだときの声も、なにもかも鮮明に覚えてる。仕事に集中しているときはなんともない。思い出すこともない。なのに……』
「どうしてそのことをミシェルに話さないの? ミシェルは自分が好かれてないんだって勘違いしてます……」
『話せるわけないだろう。かっこわりい……』
 
──そんな理由で? と、アールは思った。
かっこわるいから。そんな理由で? と。けれど男の気持ちなどわかるわけがない。彼女にさえ弱さを見せられないプライドだろうか。きっと話せばミシェルなら親身になって支えてくれる。それが重いのだろうか。抱えている荷物を、彼女にまで持たせたくないという思いだろうか。
なんにせよ、誤解が生まれ、互いに傷つけ合ってしまっている。好きなのに。
 
恋愛は難しい。所詮、他人同士。家族でさえ心の中までは見ることが出来ず、全てを分かり合うことなんて出来ないのに、血の繋がりもなく、たった数ヶ月一緒に過ごしたくらいで分かり合えるわけがない。
でも、だから互いに歩み寄らなくちゃいけない。
 
「凄く偉そうに、自分のことを棚に上げて訊きますけど、ワオンさんは自分が大事なんですか? それともミシェルが大事なの? 本当の理由を言わないで別れようなんて、勝手すぎます。自分はいいのかもしれないけど」
『…………』
「ミシェルの人生、考えてあげてください。今の彼女を笑顔に出来るのはワオンさんだけです。ワオンさんはワオンさんで苦しいことあるのかもしれないけど、それはミシェルも同じで……」
 そう言いながら、言葉につまる。自分が何を言いたいのかまとまらない。
 
単純に、別れて欲しくなかった。二人共好きだし、お似合いだと思っていたから。
 
『アール』
「はい」
『お前のその言葉は、俺の立場を考えて言ってくれてるのか?』
「え?」
『お前は』
 
   “もう人を殺したか?”
 
ワオンはアールにそう訊いた。
人を殺したことなどない彼女に。
 
正当防衛でもなんでもいい、人を殺したか? 殺したことはあるのか? ワオンは何度もそう訊いた。
アールは答えなかった。
 

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