voice of mind - by ルイランノキ


 心憂い眷恋7…『ハイマトス族』

 
洞窟を抜けた先に、エメラルドグリーンの湖があった。その向こうには森が広がり、一行が歩みを進める道の端にはオレンジ色の花が風に揺れている。
 
アールとヴァイスはルイが出したテーブルの椅子に座って湖を眺めていた。そこから20メートルほど離れたところでカイとシドが釣りをしており、その後ろでルイはアールたちの様子を伺っていた。
気を利かせてのことだった。
 
「…………」
 
二人きりにさせられたところで、何も話すことはない。アールは黙ったまま水面を眺めた。風に乗って落ちてきた葉が、水面を流れてゆく。
 
「美しい景色だな」
 と、最初に口を開いたのはヴァイスだった。
「うん……」
「まだ気にしているのか」
 ヴァイスはアールに視線を向けた。
「…………」
「気にするなと言っても、お前は気にするのだろうな」
「…………」
 
不意に血の臭いがした。それは記憶から呼び覚まされたものだろう。振るった剣の刃に、彼らの血がべったりとついていた。
 
「ハイマトス族って……人を食べなかったらどうなるの?」
 小さな声で訊く。ハイマトス族は人を喰らい、人の姿を手に入れる。
「あの姿では長くは生きられないだろうな。寿命の問題ではなく、魔物にも人間にも命を狙われる」
「…………」
 
アールはハイマトス族を殺めてしまったときのことを思い出しながら、息がつまる思いで質問を続けた。
 
「彼らの中には大人もいたの。私から子を守ろうとしてた。ヴァイスはいつ、人になったの? 彼はどうしてまだあの姿だったのかな……」
「人は美味いものではないからな。そして自分も人間の姿になる。なかなか踏み切れなかったのだろう。生きる為に喰らうのだ。喰えずに吐いてしまう者も多い。確実に体内に入れる為に限界まで腹を空かせて人を喰らいにいくのだ。まぁ、中には好んで喰う者もいるが」
 と、ヴァイスは立ち上がり、湖を眺めた。そして話しを続けた。
「私は5つのときに人を喰らった。人を喰らったハイマトスは1年もしないうちに人の姿に成長する。人間に牙を立て、皮膚を噛み切り、血も肉も骨も飲み込んだ。歯に髪が絡みついてなかなか取れなかったのも覚えている。食した人間の顔も吐くほど不快な味も、一生忘れることはない。人間と同じ姿になり、同じ生き方をし、人として生きながらかつて人を喰らったことを何度も思い出すのだ」
「ヴァイス……」
「生きるために人を食い殺し、人の姿になり、──人に想いを寄せる」
 
ハイマトス族。
魔物として生きるには残酷で、人間にもなりきれない不運な種族。
 
ヴァイスの紅い眼に、かつての記憶が甦る。
5才を迎えた夜、父親に起こされたのだ。「起きるんだ。ヴァイス」父は二本脚で立つ人間でありながら、ヴァイスは4本脚の獣だった。そこに疑問はなかった。ハイマトス族が住む村は皆、同じ道を歩むからである。

「こんな時間にどこに行くの……?」
 眠い目を擦りながら、体を起こした。
「村の集会所だ」
「…………?」
 
ヴァイスは父親に連れられ、外に出た。静かな闇に、集会所のほうから微かに話し声がする。
集会所の前にたどり着くとそこにはヴァイスと同じ年の女の子がいた。この子もまだ獣の姿で、人の姿をした母親に寄り添っている。
ヴァイスの父親はその女の子の母親に軽く頭を下げた。母親は神妙な面持ちで頭を下げ、ヴァイスを見下ろした。女の子の名前はホルンといった。
 
「さ、中に入るぞ」
 
ヴァイスの父、ディノが扉を開け、ヴァイスを招き入れた。その後ろから先に待っていた親子もついて来る。
集会所の広間、中央に、人間が眠っていた。
 
「だれ……?」
 と、ヴァイスは訊く。
「人間だ」
「それはわかるけど……」
「死んでいる」
「えっ……」
 
ディノは2体の遺体に歩み寄り、腰を下ろした。
 
「さ、来るんだ。君も」
 と、ヴァイスとホルンに声を掛けた。

ホルンは異様な空気を感じ、怯えたように母親の後ろに隠れた。
 
「何をするの……?」
 と、ヴァイスは恐る恐る近づきながら問う。
「食べるんだ」
「え……」
「父さんが今から遺体の服を脱がす。なるべく残さないように──」
「やだよ! なに言ってるの?!」
「聞くんだ」
 と、ディノはヴァイスの頭に優しく手を置いた。
「いいか? ハイマトス族は、人を喰らって初めて人の姿になれるんだ」
「……ウソだ」
「嘘じゃない。父さんも、お前と同じ年の頃に人を喰らった」
「ウソだ! 信じないよ!」
 
母親の後ろに隠れていたホルンは自分も同じ目に合わされるのだと察し、「いやだいやだ」と泣き喚いた。
 
「ヴァイス! 生きていく為には必要なんだ。皆、通らなければならない道だ」
「そんなのやだよ! 人間なんか食べたくない!!」
 と、ヴァイスは集会所を抜け出してしまった。
 
「ホルン」
 優しい声で、母親が彼女の前に膝をついた。
「いや……」
「そうね。いやよね……でも、いずれは必要なことなの」
「いや!」
「どうしても嫌だというなら、今日は……」
 と、母親は遺体に目をやった。
「仕方あるまい」
 と、ディノが歩み寄る。「早い方がいいが、無理強いはしない」
「でもディノさん……」
 母親は立ち上がり、申し訳なさそうにディノを見遣った。「辛かったでしょう」
「…………」
「人を殺めるのは……」
 

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©Kamikawa
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