voice of mind - by ルイランノキ


 臥薪嘗胆32…『繋がり』◆

 
霧雨が地面を濡らしてゆく。
服に染みていた血が雨に濡れて再び鉄のような匂いを放つ。染みは薄くなっても、雨の匂いと混ざって気分が悪くなった。
 
アールは少年の前で膝をつき、ごめんねと謝った。雨が降るからきっと鳥も屋根のある場所で雨宿りをしているかもしれないと捜してみたけれど、結局見つからなかった。
少年はそんなアールに、傘を傾けた。
 
「おねえちゃん。僕、もう大丈夫だよ」
「力になれなくてごめんね」
「ううん。僕、おねえちゃんと捜しながら思ったんだ。きっと自由を求めて旅立ったんじゃないかって。檻の中は狭いから。狭くて……息苦しいから」
「…………」
 
まだ幼い少年はそう言って笑ったけれど、その瞳の奥に隠された悲壮な思いに心が痛んだ。逃げ出した鳥はきっとこの少年の宝物だったに違いない。失いたくなかったに違いない。それなのにどうして傍にいてくれなかったの。
鳥は自分の自由を選んだ。鳥は人を必要としなかった。
アールは少年を抱き寄せて、力になれなかったことを何度も謝った。どうかこの少年が独りぼっちになりませんようにと願いながら。
 
「あ、私もう行かなきゃ……ごめんね」
「ううん……」
「ちゃんと帰るんだよ? じゃあね」
 
走り出したアールだったが、はたと足を止めた。そういえばと思い出したものがある。ポケットに手を突っ込み、あるものを取り出した。少年に駆け寄って、それを渡した。
 
虹色に輝く綺麗な包み紙に入った、チョコレートだ。
 
「もらいものなんだけど、あげる。じゃあね」
「あ……」
 
時間を気にしながら走る。早く戻らなきゃ。
みんな待ってる。
 
アールは手に入れたアーム玉を懐に、高台へ戻った。そして時計の針をここに訪れた時刻に戻し、ヘーメルからアールの姿が霧のように消えた。
 
━━━━━━━━━━━
 
「やっと帰ってきたかい」
 
アールが目を覚ました瞬間を見てそう言ったウペポだったが、アールが着ていた服が見る見るうちに汚れていく様子に驚いた。綺麗だった体も、切り傷が増えてゆく。そして湿っぽいにおいが鼻をついた。
 
「雨が降ったようだね」
「あ……ウペポさん……」
「さて、ルイを起こそうか」
 と、ウペポはルイの隣に移動した。
 
アールはゆっくりと体を起こした。すると大きなお腹の虫が鳴った。急に体に倦怠感を感じる。頭も朦朧とする。気分は最悪だ。
 
「ルイ、お疲れさん。アールが戻ったよ」
 ウペポの声に起きたルイはズキンと感じた頭痛に顔を歪め、こめかみを押さえた。
「ルイごめん、大丈夫?」
 隣から聞こえたアールの声に振り向き、眠る前とすっかり変わってしまったアールの姿に驚いた。
「アールさんこそ……」
「アーム玉、手に入れたよ」
 と、笑顔で懐から出して見せた。
「ご苦労様でした……。少し休まれてください」
「あんたもだよ、ルイ」
 と、ウペポは二人に飲み薬を出した。
 
午前6時前、ウペポは客間に下りてアールが無事に帰ってきたことをシドとヴァイスに伝えた。カイはまだ夢の中だ。
 
「やっとか。玉は?」
「持って帰ってるよ。珍しいもんを手に入れたもんだね」
「知ってんのか」
「私を誰だと思ってるんだい。大抵の魔術師は知っているさ。ただ、実際に存在すると思っている輩は少ないがね」
「すぐに出発できるのか?」
「少し休む必要がある。過去に移動している間はずっと魔法の力を浴びていたからね、身体への負担が大きい。それに……」
 ウペポはアールが戻ってきたときの姿を思い返した。「苦労したようだからね」
 
アールとルイは別室に移動していた。ベッドが二つある小さな客間。小窓から朝の光りが差し込んでくる。
二つのベッドの間にテーブルがあり、それぞれベッドに腰掛けてウペポが用意してくれた朝食を食べた。
 
「アールさん、怪我は大丈夫ですか?」
「うん」
 
この部屋に入る前に、アールは服を着替えていた。さすがに濡れた服のままベッドは使えない。
 
「苦労されたのでは?」
「うん。でも大丈夫」
 
アールは多くを語ろうとはしなかった。その様子からなにかあったことは察しがつく。
 
「ウペポさんに頼んで、ここを出るのは明日の朝にしましょう。万全な状態で旅を再会したほうがいいでしょうから」
「そうだね」
「…………」
「…………」
 
静かな部屋にカチャカチャと食器がぶつかり合う音がする。あれだけお腹が鳴ったというのにいざ食事を前にすると食欲が湧かなかった。スプーンで掬う量が極端に少なく、口に運ぶのが嫌になる。
 
「食欲ありませんか」
 と、ルイ。
「……ちょっとね」
「僕が頂きましょうか、残すと申し訳ないので」
「あ、そういうの好き」
「え?」
「女性って、少食な人が多いじゃない? 残したくないんだけど残しちゃったときに『俺が食べようか?』って言ってくれる男の人、なんかいいよね」
 と、アールは笑顔を見せた。
「そうなのですか?」
「うん。私のお父さん、そういう人だった。しょうがないなって、私や姉の分も食べてくれたの」
「そうでしたか」
「なるべく食べれる量を注文するんだけど、実際運ばれてきたら写真より量が多く感じたりすることあるし」
「確かにそうですね」
 と、優しく頷いた。
「あ、でもこれは頑張って食べるよ。入らないわけじゃないし、食べたほうがいいだろうから」
「わかりました。でも、無理はしないでくださいね」
「うん」
 
ルイと他愛のない会話をしたからか、沈んでいた心が少し晴れてきた。
やわらかく煮詰まったじゃがいもを口に入れ、なんとなくルイを見遣る。下を向いてスプーンを動かす表情が、誰かに似ていた。
 
「ルイ……」
「はい?」
 と、顔を上げる。
「眠っている間、ルイは夢を見ているだけで、ルイ自身はあそこで眠っていたんだよね」
「えぇ」
「私はどういう状況だったんだろう。私も隣で寝てたんだよね?」
「えぇ。隣で寝ていたのはアールさんの本体で、過去に行ったのはアールさんの分身です。過去へ移動した瞬間に分離しました。帰ってくる場所でもある本体にもしなにかあれば、分身のアールさんは消えてしまいますが、分身の身体になにかあっても死ぬことはありません。ただ、本体の戻った瞬間に分身のアールさんが受けた傷を全て吸収することになります」
「それ、前にも聞いたことあるような……。あ、リアさんが分身の術について話してくれたやつだ」
 と、思い出す。
「そうですね。リアさんたちは自身で使える力を持っていますが、今回はウペポさんの力を借りてアールさんの分身をつくり、過去へ向かわせたのでしょう」
「なるほど……納得」
 
アールはお茶を飲むと、気になっていたことを口にした。
 
「そうそう、その過去でね、可愛い男の子と出会ったの」
「男の子?」
「うん。今ルイの顔見てて思ったんだけど、ルイが子供だったらあんな顔かもしれないなって。ルイん家でお母さんがルイの写真飾ってたじゃない? 今思えば似てる気がして。写真まじまじと見てないし、その男の子と会ったのは夜だったからそんなにはっきりとは見えなかったんだけどね」
「…………」
 
ルイはアールを眺め、過去を思い出した。もしそれが自分で、過去にアールと会っていたとしたら……?
 
「アールさん、その少年となにか話されたんですか?」
「なんか鳥? が逃げ出しちゃったみたいで捜し回ってたみたいなの。時間がないのわかってたんだけど……なんかほっとけなくて少し一緒に捜しちゃった。ごめんね」
「…………」
 
ルイの心臓がアールの話にトクトクと反応する。
 
「それで……?」
 
──結局僕が捜していた鳥は見つからなかった。
 
「結局鳥は見つからなかったの」
 
──別れ際に僕はその女性から
 
「別れ際にね、そういえばポケットにいいものあったと思って、」

──チョコレートを貰った。
 
「チョコレートをあげたの。でも冷静に考えて、人からもらった怪しいチョコレートをあげるなんてやばかったかなって……。どうしよう、その子がお腹痛めてたら……」
 と、アールはスプーンを置いて視線を落とした。
 
「それは大丈夫ですよ」
「え?」
「その少年はきっとそのチョコレートを口にしていませんから」
「どうしてそう思うの?」
 
「そのチョコレートが、虹色の紙に包まれていたのなら、ですけど」
 

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