voice of mind - by ルイランノキ


 臥薪嘗胆31…『雨が降る』

 
息を切らしながら、過去の記憶を提供してくれている女性が見せてくれた鉄工所へ向かった。その距離が近づくほどに胸が苦しくなって、立ち止まってしまいそうになる。走って息苦しいからじゃない。どんな顔で戻ればいいのかわからなかった。  
殺してしまったからだ。ヴァイスの仲間を。
人を守るためだった。でも彼らは人に狙われずに生きてゆくために必要だった。必死だった。それを一匹残らず殺した。返り血を浴びた。服についた血はもう渇いてしまっているけれど、きっとこのまま帰れば匂いで気づく。洗おうか。証拠隠滅。なにもなかったと、笑顔でヴァイスを見れるだろうか。
あの中に、ヴァイスとつながりがある人がいたらどうしようか。
 
「…………」
 
鉄工所の前にたどり着いたアールは、足を止めて顔を伏せた。
 
もし戻って、あれが原因でヴァイスの存在が消えていたら。
私は取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないのかな。
 

──怖かった。
帰るのが怖かった。もしヴァイスがいなかったら、また戻ってやり直す事は出来るのかな。そしたらヴァイスがいなくなった世界はどなるんだろう。消滅するのかな。でも私の中には存在してる。
 
あの時、一匹だけ私に声を掛けたハイマトス族がいた。
私は、人の言葉を話し、許しを請うそのハイマトス族も殺した。
 
村の子供が一回り小さいハイマトス族に襲われていた。だから助けようと駆け寄って剣を振り上げた。背後から「やめてくれ!」と男の声がした。村の子供に覆いかぶさっていたハイマトスもその声に振り返った。人間の声だと思って振り返ったのに、そこにいたのは体の大きなハイマトスだった。
 
「その子はまだ子供なんだ……逃がしてやってくれ」
「…………」
「私達も生きるのに必死なんだ。すまない……。頼むからその子だけは見逃してやってくれ……大人しく出て行く。約束する」
 
そしてそのハイマトスは子供に戻るよう促した。けれど、子供のハイマトスは余程お腹が空いていたのか言うことを聞かずに牙をむき出しにして人間の子供の腕に噛み付いた。痛みに絶叫する子供の声が村中に響き渡り、片足を根元からえぐられた女性がその子供を助けようと目に涙をためながら地面を這って来るのが見えた。
だから殺した。子供を助けないとと思ったから。子供に襲い掛かったハイマトスの首を斬り落とした。背後から声を掛けて来たハイマトスが飛び掛ってくる気配がした。
 
わかってた。このハイマトスも親子だったんだって。
わかってたよ。わかってたけど……
 
振り向きながら剣を払った。硬い肉を斬り裂いて、血を浴びた。
 
生き残っていた村人たちの泣き声がずっとずっと耳に残っていた。
もう息絶えたハイマトスに怒りや悲しみをぶつけるように刃物を何度も突き刺したり蹴飛ばしたり火で焼いたりする人間の姿は、今でも目に焼きついてる。
 

アールは目を覚まし、隣に寝ている女性の体を揺らした。女性は目を覚ますと重そうに体を起こし、頭痛を訴えた。
 
「助かりました。ありがとうございます」
 
そう早口で伝えたアールの顔色は悪く、額に汗を滲ませていた。女性はそんなアールを気に掛けたが、アールは足早にその場を去り、女性の前から姿を消した。
 
廃墟と化したアパートの階段を駆け下りて向かうのはゲートボックス。ここからルイが見ている過去の夢の中、ヘーメルへ移動した。
ゲートボックスから出ると冷やりと冷たい風がアールを包み込んだ。そうだ、ルイが見ている過去は寒い季節の夜だった。そしてログ街へ移動する前にはなかった地面の濡れと独特な雨の匂い。自分がいない間、雨が降ったのだろう。
 
白い息を零しながら最初に送り込まれた場所、高台へ向かう。
辺りは静かで、人影は少ない。──と、そのときだった。アールは思わず足を止めた。
9才くらいの子供が細い道の中央で立ち尽くしていた。こんな時間にひとりでいるのは不自然だった。周囲を見回し、親らしき人がいないか捜したがそれらしき人影は見当たらない。
子供は空を見上げ、すすり泣いているようだった。
 
アールはそっと近づき、声を掛けた。
 
「どうしたの?」
 
すると子供は濡れた袖で涙を拭い、振り返った。ショートヘアの……女の子?
街灯の明かりが振り向いた顔を照らしたが、性別の判断が出来なかった。綺麗な顔の子供だ。
 
「いなくなっちゃった……」
「え?」
「飼ってた鳥……」
「鳥? 逃げちゃったの?」
 アールがそう訊ねると、こくりと頷いた。
「大事な家族……僕の友達なんです」
 
──“僕”。
そう聞いて、少年だと判断できた。
 
「いついなくなったの? もう遅いから帰ったほうがいいよ。親も心配してるでしょ?」
 
少年は顔を伏せ、首を左右に振った。
アールはなにか家庭環境に問題を抱えている子供のように思えた。
 
「この街は結界が張られてるんでしょ? きっと家から逃げ出しても街のどこかにいるはずだから、明日の朝、改めて捜してみたらいいんじゃないかな?」
 そう提案してみても、少年は頑なに首を振った。
「結界は街の周りだけ。屋根はまだ出来てないんだ……」
「そうなの……? でも外壁の結界は結構高いところまであるんじゃない?」
「そうだけど……」
 と、消え入るそうな声で言った少年の目から涙が零れた。
 
アールの目に少年の足元が映る。靴を履いていない。
 
「あまり時間がないけど、私捜してみるよ」
「え……?」
「また雨が降りそうだから、屋根のあるところにいて? 家に帰れるなら帰って待ってて」
「僕もさがす!」
「でも……」
「どうしても見つけたいんだ」
 まっすぐで綺麗な瞳だった。
「わかった。でも靴を履いてきて。出来れば傘も持って来て」
「うん。ありがとう、お姉ちゃん」
 
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もうすぐ夜が明けようとしている。
シドは客室の窓から外を眺めた。少しずつ明るくなってくる。
カイはソファで眠っている。うつ伏せで寝ている片方の足が床に落ち、寝返りを打てば体も床に落ちるだろう。ヴァイスはソファの端に座り、じっと一点を見つめている。
 
「おっせーな」
「…………」
 
予定ではもっと早く戻ってくるはずだった。どこでなにをしているんだか。
 
ルイはアールと手を繋いだまま静かに眠り続けている。ウペポはアールの横に立ち、声を掛けた。
 
「そろそろ戻ってきなさい。長い時間魔力を浴び続けてると身体に悪い」
 

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