voice of mind - by ルイランノキ


 臥薪嘗胆23…『夢の更に夢の中』

 
「くっそ……どこ行きやがったあの腐れアマ……」
 
鬼の形相で借金塗れの女を捜していた男は、そのままどこかへ消えてしまった。その様子を満足げに上から眺めていた色っぽい女が呟く。
 
「信じられない」
「化粧ばえする顔でよかったです」
 
殺し屋に追われていた女は、研究し尽くされたアールのメイクによって難を逃れていた。服はアールが貸したものを着ている。
 
「──で? なによお願いって」
 
ここは廃墟と化したアパートの屋上だ。
 
「まず先に年齢を訊いても?」
「男に体を売る仕事の勧誘なら勘弁してほしいんだけど」
「違いますよ……」
 苦笑し、その場に腰を下ろした。
「28よ」
「28……ってことは……」
 
アールは頭の中で計算した。小学生の算数問題である。
 
「えっと、16歳のときの鮮明な記憶ってありますか。できれば誰かとの思い出というより、場所の思い出。ログ街の」
「16? そうねぇ」
 と、女は虚空を見て考えた。「15のときにこの街に逃げてきたから、その翌年よね」
 
なにから逃げてきたのか気になるところだが、ここは関係ないのでアールは聞き流した。
 
「あるわね。北側の出入り口から魔物が入り込んで騒ぎになったことがあったわ。父は私を連れてここからすぐ近くにある鉄工所に逃げたの。そこかな」
「その記憶を思い出しながら一緒に寝てくれませんか?!」
 
自分がいかに妙な要求をしているのかは、口に出した瞬間に恥ずかしいほど理解した。
 
「寝るって……」
「変な意味でなく! えっと……実はわたくし、こう見えて魔術師の見習いでして! このへんてこな腕時計を使って人の……夢の中に入り込むという実験を……したいんですけどなかなか協力者が……現れなくて」
 
我ながら酷い嘘だと思う。
 
「人の夢の中に入ってどうするのよ。それになんで過去の記憶を思い出すの?」
 と、女は疑いながらも質問する。
「なんの夢を見るかわからない中に飛び込むのは怖いじゃないですか、恐ろしい夢だったら尚更。前もって鮮明に覚えている記憶を思い出しながら眠りにつけばそれがそのまま夢に現れる可能性が高いんですよね」
「ふうん……じゃあなんで16才のときの記憶限定なの?」
「それはその、今から20年前……じゃなかった、12年前のログ街を見てみたくて」
「なんでよ」
 
なんで? そりゃそうだ。なんでだろう。知るか! でたらめ並べてるんだから!
 
「実はここだけの話、ログ街についても知らべていまして。この腕時計の効果が証明できたら、この街で売りたいと思っているんです。裏取引、というやつです。ただ、色々と知らないことが多いと不便なんで」
 
だめだ。もう思いつかない。なにも思いつかない。もう深く訊かないでほしい。
 
「それに12年前に知り合いがこの街にいた可能性が高いんです」
 はい、今思いついた嘘です。「もしかしたら貴女の記憶の中に映っているかもしれない」
「…………」
 女は黙ってアールを眺めている。完全に疑っている。
「報酬は出しますが、無理にとは言いません」
 もうこれしか手だでは思いつかなかった。
「報酬? いくらなの?!」
「に……」
「2?」
「2万」
 
財布に残っていたほぼ全財産を思わず口に出してしまった。一応帰りのゲートボックス代は省いてある。
 
「いいわよ。その代わり先払いね」
「……はい」
 
どうにかこうにか次の提供者が見つかり、ほっとため息をこぼす。
 
「では横になってください」
「ここで? うちに来ない? さすがにここじゃ誰が来るかわからないし」
「自宅だと取り立てとか来ませんか?」
「……そうね。いいわ、ここで」
 と、女はアールから報酬を受け取って、鼻歌を歌いながら仰向けに寝転がった。「これでいいの?」
「はい。あとは私と手を繋いで、さっき話してくれた思い出に出てくる鉄工所を鮮明にもう一度思い出してくれたら」
「鉄工所を?」
「はい。細かいところまで。そこに貴女自身やお父さんとかは省いてください」
「難しいわね」
「お願いします」
 
そしてふたりは目を閉じた。
女は父と逃げ込んだ鉄工所を思い出す。錆びた鉄材がところ狭しに置かれていた。トタン屋根はところどころ崩れて、その隙間から空が見えた。白い雲が流れていて──
 
となりで寝ているアールの意識が再び夢の中へと引きずり込まれた。その瞬間、辿っていた記憶の道が外れていった。女の意識が他に向けられたからだ。
 
──雲が……そういえば父はよく雲をなにかに例えていたわね。あれは象に見えるとか、シュークリームに見えるとか。シュークリームに例えたのって確か私がまだ……あの村にいた頃だったかしら……。
 

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