voice of mind - by ルイランノキ


 倚門之望28…『めんどう』◆

 
ルイは病院から出て、宿へ向かっていた。
 
 戸籍上、母親ではなくても、僕にとってはあなたが──
 
病室でメイレイと交わした最後の会話が頭の中で流れる。
 
私が、だめなのよ。あなたは成長するにつれてヘルマンに似てきた。それに、コーリンさんにもね。どちらかと言えばお母さん似なのよ、あなたは。それが辛いの
 
……もう、一緒にはいられないのですか
 
ごめんなさい。もうあなたを苦しめたくないの。私には……母親になる資格なんてはじめからなかったのね
 
ルイは立ち止まり、空を見上げた。薄水色の空に、刷毛で塗ったような雲が流れている。
 
一度だけ、メイレイがヘルマンに泣き叫んだことがあった。
私は貴方の支えになりたい。貴方と、貴方の大切な息子の為に生きることを誓った。だから、貴方との子供は望まなかったのよ、と。ルイを本当の息子のように受け入れて、愛するときめたから、と。
 
それをまだ幼いルイは布団の中で聞いていた。部屋に置いてある鳥かごで飼っていた小鳥の姿がないことに気づき、静かに階段を下りて、両親の叫び声を耳で塞ぎ、外に出た。寒い季節の夜の11時頃だった。
 
あの時の肌寒さが蘇ってきたような気がして、ルイは腕をさすった。
 
帰る場所はもうない。
急に訪れた子離れと親離れ。そして親元からの旅立ち。
 
「チョコレート……」
 
ふいに思い出す、甘いチョコレートの香り。
寒空の下で出会った女性に貰ったチョコレート。虹色の包み紙。ルイの初恋。
 
あの小鳥は、ヘルマンとメイレイが出会ったばかりの仲睦まじかった頃に、ルイの為に買ってくれた鳥だった。
 
━━━━━━━━━━━
 
「話し聞いてくんないんだからこうするしかないじゃん」
 と、口を尖らせるカイ。
「やることが幼稚だな」
 ライモンドは新しいタバコを取り出し、くわえた。
「そりゃあ幼稚だよ。子供だもん」
「…………」
 アールは黙っていた。自分は子供とは言えない。とっくに成人を迎えている。
 
成人式でド派手な頭と袴や振袖で騒いでいた新成人を思い出す。いい大人が恥ずかしい、と思っていた自分が今、恥ずかしい。
彼らよりもよっぽど大人として恥ずかしいことをしてやしないだろうか。
 
「カメラは返してくれよ。高いんだぞ」
「じゃあデータだけもらおー。ん? デジタルじゃない」
 と、カイはカメラをいじる。
「大事に扱ってくれよ、そいつぁ繊細なんだ」
「フィルム?」
 と、アールが隣から覗き込む。
「そうみたい。引っ張り出そう!」
「おいおいっ、関係ない写真もあるんだぞ」
 タバコを吸い、ふぅっと煙りを吐き出した。
「私たちだってこういうやり方はしたくないんです。でも、他に方法がなくて……」
「ボイスレコーダーの中身はコピーしてある。それを壊したところで──」
「わかってます。私たちの仲間はまだいます。あなたの家に」
「おっそろしぃこと言うなぁ!」
 と、吹き出した。「不法侵入だ」
「まだ侵入してません。たぶん」
 
ライモンドの家の前には、シドが座り込んでいた。なんで俺がこんなことしなきゃならないんだと言わんばかりの表情だ。
 
「なるほど」
「ライモンドさん次第です。シドは……なにするかわかりませんよ!」
「そうだそうだ!」
 と、カイはカメラからフィルムを引っ張り出した。
「仲間を守るためにそこまでやるか。俺が訴えたらお前ら負けるぞ」
「なんでだよぉ! こっちにだってプライバシーの信頼で訴えてやる!」
「侵害ね、侵害」
 と、アールは訂正した。
「これはあれだ! 正当防衛だ!」
「あんまりこういうことには使わない言葉かも……」
「なんだよアールはこっちの味方だろぉ?」
 と、ふて腐れたカイはカメラを放り投げた。
「うぉいっ!!」
 ライモンドがヘッドスライディングしながら受け止めた。
 
カメラを大事そうに抱えて起き上がろうとしたライモンドの目の前に、剣の尖端がキラリと光る。
 
「ルイのこと記事にしたら殺します」
「え、それやり過ぎー」
 と、カイ。
「どこからそんな物騒なもん取り出したんだ」
 ライモンドは臆することなく立ち上がった。「今度は脅しか、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんじゃないから。ボイスレコーダーは弁償するし、新しいフィルム代だっていくらでも出します。だからもっとマシな、世の為になるネタでも探したらどうですか」
「世の為になるネタ探しは俺の仕事じゃない」
「《外の世界》調べてるんでしょ。外の世界がどんなものか、自分の足で旅して自分の目で見てきたら?」
「なにか面白いもんでも?」
「思ってるより平和が見れる」
 そう言ったアールに、カイは目を向けた。
「平和?」
 と、ライモンド。
「思ってるより。それがどんなに恐ろしいか。街はもっと平和で、怖い」
「…………」
「なにも起きないと思ってる」
「ほう……」
「なにも知らない、具体的な情報が入ってこないからみんな無関心で、過去のことだと思ってる。自分は、自分たちは、大丈夫だと思ってる。昔のことだから」
「シュバルツのことか」
 
ライモンドは微笑して、頭をかいた。
 
「知ってんのおっちゃん」
 と、カイ。
「おっちゃんじゃねぇっての。そりゃあ調べてりゃ色んな情報が入ってくるからな。確信が持てないネタばかりで記事には出来ないが」
「そんなこと言ってる今も、終わりが訪れようとしているかもしれないのに」
「曖昧な情報を記事にしたところでどうなる。読者は信じない。鼻で笑うだけだ」
「全員がそうとは思えない」
「信じる奴の中には信者もいるだろうなぁ、俺の命が危ない」
「あ、そっか」
 と、呆気なく言うアール。
 
ムスタージュ組織に狙われるかもしれない。彼らはシュバルツを崇拝している。シュバルツの目覚めを世界の危機として記事にすればライモンドを敵視する輩も出てくるかもしれない。
 
「呆気なく下がるなよ」
 ライモンドは苦笑した。「陰ながら調べてはいるんだよ」
「シュバルツのこと?」
「あぁ。もしかしたらどっかでひっそり暮らしてる力強き魔導士さんが記事を見てシュバルツを倒しに出て来てくれるかもしれないもんなぁ?」
 と、子供をあやすかのように笑った。
「可能性はゼロじゃないじゃない……」
「その逆もあるってことだぞ。崇拝者が増えたら面倒だ。だろう?」
 
──めんどう?
 
「まぁ……そうでしょうけど」
 
ライモンドの言い方が引っ掛かった。誰に面倒だと言うのだろう。いつか出てくる勇者? 私たちは“治安を調査する兵士の端くれ”のはずだ。
 
「慎重に扱わなきゃならねぇネタなんだよ」
「…………」
 アールは漸く剣を下ろした。
「アマダットの兄ちゃんは助けてくれないのか? 世界を」
「……さぁ」
「期待してますよ」
 と、ライモンドは背を向けた。
「え、ちょっと! ルイのこと──」
「記事にはしねーよ。仲間にも連絡しとけ。俺の家から今すぐ出ろってな」
 
ひらひらと手を振って歩いてゆく。
 
「本当に大丈夫かなぁ」
 と、カイ。
「わからない」
「信用できる人間かどうかわかるー?」
「わからない」
 と、アールは遠ざかって行くライモンドの後ろ姿を眺めていた。
「えー、シェラちんのときはすぐにわかってたじゃーん」
「あれは……なんとなくそう思ったのが当たっただけだよ」
 と、カイを見遣った。
「今回は?」
 にこにこ。
「わかんない」
「…………」
 

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