voice of mind - by ルイランノキ


 ルヴィエール15…『間違ったやり方』

 
閉じ込められていた部屋から飛び出すと、魔物が待機していたその部屋は、本屋のメインフロアで広々としていた。開店前だからか人は一人もおらず、背の高い棚に、綺麗に整頓された無数の本が立ち並んでいる。しかし魔物が暴れていたせいか、所々本が落とされ、噛み付いて破られたと思われる本のページが、紙屑となって散らかっていた。そしてフロアの端に寄せられていたテーブルや椅子は、横倒しになっている。
 
「…………?」
 
アールは剣を構え、立ち尽くしていた。魔物達は一斉に顔をアールに向けたが、後退りするように遠ざかり、彼女の周りには直径5メートル程のスペースが出来ていた。一気に襲い掛かって来ると思っていただけに、呆気に取られてしまった。
 
「アールさん?!」
 と、図書館の外から、ルイが叫んでいるのが微かに見えた。
 
30匹もの魔物が自由に動けるほど広い図書館。フロアの奥にいたアールからは、ルイの表情までは見えなかった。
 
「何やってんだお前っ?!」
 と、シドもルイの隣で叫んでいる。
 
──やっぱり2人とも来てたんだ。二人が見てる前じゃ不格好は見せられない。
 
魔物達は唸ってはいるものの、飛び掛かってはこない。まるで、アールがどう出るかを窺っているようだった。
 
アールは構えていた武器を強く握り直した。すると、2匹の魔物がゆっくりと前に歩み出て来た。長くて黒猫のように柔らかな毛並みは、室内に微かに流れている風でふわふわと靡いている。魔物の鋭く長い鉤爪が床に当たる度にカチカチと音を鳴らす。その度にアールの胃が恐怖でキリキリと痛んだ。
魔物はじりじりとアールとの距離を詰め、上半身を屈めた。牙をむき出しにし、唸りながら威嚇している。
 
「……まずはあなた達がお相手ってわけ?」
 
一斉に飛び掛かられるよりは何とかなりそうだが、2匹の魔物を一人で相手にしたことはなかったアールは死に物狂いで挑むしかなかった。
魔物達は身を屈め、威嚇したままアールの周りをゆっくりと歩き始めた。──いつ飛び掛かってくるか分からない。魔物に気を集中させた。魔物が一歩踏み出す度に鋭い爪が不快な音を鳴らす。

アールが瞬きをしたその時、2匹の魔物がアールを挟むように左右から高々と飛び掛かった。
 
「アールさん!!」
 ドアの外で成す術無く胸が塞がる思いでいたルイが叫ぶ。
 
アールはビクリと体を震わせたが、すかさず剣を振りかざした。
振りかざした剣は右から飛び掛かった魔物の脇腹をザックリと斬ったが、左から飛び掛かったもう一匹の魔物に押し倒され、2匹の下敷きになる。 ガルルル……と、耳元で魔物の声がする。右肩に激痛が走り、思わず悲痛な叫びが出る。
右手に持っていた剣をもう一度振ろうとしたが、重みを感じ、動かすことが出来ない。脇腹を斬られて倒れた魔物がアールの右腕に覆いかぶさり、右手の自由を奪っていた。そして、もう一匹はアールの胸の上に乗っている。激痛と魔物の重みで肺が圧迫され、呼吸が上手く出来ない。
アールは左手で魔物の大きな耳を掴み、ひきちぎってやろうと思いきり引っ張ると、怒った魔物はグチュ! と蜜柑を潰したような音と共に体から飛び降りた。
 
 なに今の音……肩が熱い……
 
直ぐに体を起こし、下敷きになっていた右腕を魔物の下から引き抜こうとして気付いた。
 
「ひぃ?!」
 アールの表情が一気に青ざめる。彼女の右肩から赤黒い血が流れ、腕を伝い、ポタポタと真っ白な床を染めていた。
「かっ肩がッ!?」
 右肩の皮膚が、えぐり取られていた。
 
目にした途端に激しい痛みと、混乱で視界が歪む。体から飛び降りた魔物を睨みつけると、衣服の切れ端と血肉が牙に挟まっていた。他の魔物達が血を嗅ぐように鼻を動かし、じりじりと歩み寄って来る。
 
「アールさん!! 逃げてくださいッ!!」
 
ルイの声が聞こえたと思った瞬間、魔物達が一斉に飛び掛かって来た。餓えた魔物が喉を鳴らし、耳を突く。群がった魔物達によってアールの視界が塞がれた。視線を逸らし、どこを見てもうごめく魔物の黒い体が壁を作っている。アールの体は魔物達によって左右へと揺さ振られていた。
 
全身が熱い。流れ出た血で背中がぬるぬるとしていた。そして、目の前で大量の血渋きが飛んだ。
 
 これは……誰の血……?
 
「アールさんッ!? アールさんッ!!」
  
魔物達の唸り声の中、微かにルイの声がした。遠くから聞こえてくるルイの声。いつものルイからは想像つかないような、叫び声だった。
 
 なんでそんなに叫んでるの……?
 
意識が朦朧としていた。
 

    死ぬな
 
 
「──?!」
 突然頭の中で響いた“死ぬな”という声に、アールは我に返り、自分の状況を把握した。自分を取り囲み、体の上に乗っている魔物達の顔はベトベトとした血で染まっている。背筋が凍った。
「あ゙ぁあぁああああ!!」
 断末魔のような叫びを上げながら剣を持つ腕を力任せに動かすと、魔物達は一斉に彼女の体から離れた。
 
アールは直ぐに立ち上がろうとしたが、ガクンと片ひざをついた。足元を見ると大量の血が水溜まりのように床を濡らしていた。着ているツナギは赤黒く染まっている。体が震え、視界がぼやけた。
 
「まだ……死ねない……私は……まだ死なないッ!!」
 
自分に言い聞かすように叫ぶと、右手に握っていた剣が微かに動いたような気がした。まるで人の心臓を握っているかのように、ドクン、ドクンと、脈打っている。渇いた地面が水を吸い込むように、剣にべっとりとついたアールの血が徐々に剣へと吸い込まれていった。
真後ろにいた魔物が再び飛び掛かってきた気配を感じたアールは、睨むように魔物達に目を向ける。魔物の動きがスロー再生のように見えた。
体中蝕まれて、あまりの痛みに頭がおかしくなったのだろうかと思いながらも、魔物の首を目掛けて剣を振り払った。飛び掛かったと同時にザックリと斬られた魔物の体は、血しぶきを飛ばしながら静かに落下してゆく。
聞こえてくるのは自分の鼓動の音だけ。不思議な感覚に戸惑いながら、ゆっくりと動く魔物達を次々に斬り付けていった。
 
━━━━━━━
 
「おいッ!!」
 と、シドの声が聞こえた瞬間、外でざわめく人々の声が聞こえてきた。
 
周囲を見回すと、フロアにいた魔物達は一匹残らず重なるように横たわっていた。
ホッとした途端にまた視界がぐらつき、全身の力が抜けたアールは横たわる魔物の上へと倒れ込んだ。
 
 視界がグラグラする。体が熱い。
 
意識が朦朧としながら、魔物の毛が息切れをしている自分の口に入って欝陶しいとか、魔物の血の臭いが鼻をついて吐きそうだと思っていた。
 
 体が動かない……この場所……最悪。
 
 

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