voice of mind - by ルイランノキ


 花の故郷3…『悲しみ』

 
痣だらけのアールの足がつま先からゆっくりと泉へと滑り込む。肩まで浸かったところで体を縮こませ、息を止めて頭まで浸かった。目を開き、水面に月明かりが揺れているのを眺めた。
 
静かにじわじわと疲労が回復してゆくのがわかる。
 
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月明かりの下で仁王立ちをしている女を、彼女は睨むように見上げている。その右手には携帯電話がぎりぎりと強く握られていた。
 
「連絡、取れたの?」
 と、月をバックに仁王立ちの女は言った。
「取れない。──それより、あの話は本当なの?」
 怒りを含めた声でそう尋ねたのは、シオンだった。
 
アールたちがカスミ街を離れる少し前。
グリーブ島でテオバルト・ボーゼの墓に手を合わせていたシオンの前に、突如この女が現れたのだ。堤防の上に立ち、シオンを見下ろしながら言った。
 
「死んだんだ、あのじいさん」
 
見知らぬ女のその言い方にシオンは不信感を抱いた。
 
「──誰、あんた」
「じいさんに用があったんだ。あたしの武器、強化してもらいたくてね」
 そう答えた女は腰まで長い藤色の髪をポニーテールにしている。
「……残念だったね。一足遅いよ」
「そうみたいだね。まさかあの女がここに立ち寄るなんて思わなかった」
「なんの話?」
 
女は少し大きめのロングTシャツに、タイトなミニスカート、膝上まであるロングブーツを履いていた。
 
「この島に来たんだろう? アールっていう女」
「アールが……なに?」
「知らないの? あんたの大事なじいさんを殺したのはあの女だよ」
 
シオンは女が何を言っているのかわからなかった。アールと知り合いなのだろうか。アールがテオバルトを殺すはずがない。殺せるはずもない。
そもそもテオバルトが亡くなったのはアールたちがカスミ街へ向かってからだ。
 
「なに言ってんの……? 私の友達を変な風に言わないで」
「シャチに襲われたのは彼女がいたからだよ。誰でもよかったわけじゃない。アールという女を狙ってた。でもシャチは殺された。あれは子供だったんだ。子供の死骸は海に流されて島を囲む堤防の途切れている出入り口に挟まった。そんな子供の血を辿って親が現れた。ちょうどそこにいた人間の仕業だと思ったんだろうね、運悪くそこにいたじいさんを殺した」
「そんなの……たとえそうだとしても、じいちゃんを殺したのはアールじゃない」
「きっかけを作ったのは彼女だ」
「それは……そうだけど……でも」
 
潮風が水面を走り、さざ波の音が流れる。
 
「あの女ね、自分が狙われていることを知っておきながら旅を続けているんだ。そのせいで巻き込まれる人は少なくない。あの女と関わったばっかりに、命を落とした人も少なくない。これ以上、被害を増やしちゃいけない。野放しにしていたら、もっと被害が拡散する」
「……アールはなにをしたの? なんで命を狙われてるの?」
 
堤防の上にいた女はひょいとシオンの前に降り立った。
 
「教えない」
「なによそれ……」
「知りたいなら仲間になってよ。自立したいんでしょ? いつまでも島にいられないでしょ? あんたの大好きなじいさんもそれを望んでいたんでしょう?」
「……仲間って?」
 
「ムスタージュ組織。私がいる部隊の仲間になってよ。そしたら教えてあげる。あの女の秘密を──」
 
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アールが布団に入る頃、ルイが泉に浸かっていた。泉で顔を洗い、その手で前髪をかき上げた。
ふぅと一息ついたその姿はいつもの爽やかなルイよりも幾分かワイルドに見える。
物思いにふけながら、ふと泉の脇に目を向けた。──何か置いてある。
手を伸ばして拾い上げると、ボディクリームだった。アールが忘れていったものだろう。泉を出るときは忘れないように持って戻ろうと思った。
目を閉じると、胸が焼けるような不快感を覚える。そして炎に包まれながらアンデッドのようなうめき声をあげて暴れ狂う奴らの姿がフラッシュバックする。胸を押さえる手が震えていた。
 
そういえば……と、今になって思い出す。
そういえば、ビデオカメラはどこにいっただろうか。焼け焦げた遺体のそばにあったはずだ。ビデオカメラも焼け焦げていただろうか。もう一度あの倉庫に足を踏み入れた時、冷静さを保つことに必死だった。ビデオカメラはあっただろうか。あったのなら、いくら冷静さを失いかけていたとはいえ、すぐに気づくのではないか……?
 
もしなかったのだとしたら……?
 
誰かが回収した……? 誰が?
ルイは今一度思い返した。アジトでアールを助けてから、シドからの電話に出た。そのあとカイとアールの2人と合流した。2人が彼らの死体を先に見つけてしまったのは計算外だった。いや、あのときは感情のまま動いてしまい、その後のことは考えていなかった。
2人と合流したとき、2人が何か話していたように思う──
 
ルイは泉を出ると、ヴァイスに連絡を入れてからテントに入った。
仕切りカーテンが閉められていてアールの姿は見えない。手に持っているボディクリームを見遣り、明日の朝渡そうとテントの端に置いた。
 
カイはとっくに深い眠りにつき、シドも横になっている。
ルイも布団を敷き、念のためヴァイスの分も隣に敷いたが、いつも朝起きる度に冷たい布団を畳んでいる。
布団に入って目を閉じたとき、マナーモードにしている携帯電話が鳴った。液晶画面を見遣り、慌ててテントを出た。
 
「はい……」
 
テントの外で電話に出る。ルイはどこか浮かない表情だった。
 
『ルイくん……どうして連絡くれないの』
 女性の声が電話越しに聞こえてくる。
「……すみません、忙しい日々でなかなか連絡できず」
『私は毎日ルイくんのことを考えているのよ……? 最近また眠れなくて……心配なのよ』
「僕は大丈夫ですから……。故郷に立ち寄ることがあれば、必ず会いに行きますから……」
『必ずよ? 必ず……無事に帰ってきて……。私を独りにしないで……』
「…………」
 ルイは視線を落とした。
 
休息所にヴァイスが戻ってきた。人の話し声が聞こえてくる。
ルイの声だった。相手の声は聞こえない。電話をしているのだろう。引き返し、時間を置いて戻ってこようと思った。
ヴァイスの背中越しに小さく聞こえる。随分前にアールも聞いたセリフだった。
 
「僕も愛しています……」
 
ルイは悲しげに夜空を見上げ、電話を切った。
 

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©Kamikawa
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