voice of mind - by ルイランノキ


 カスミ街と海44…『ムゲット村』

 
そこは一見なにもない枯れ野原に見えた。
モーメルの家が建つ断崖絶壁の場所から見た空と比べ、ここはまだ少し明るい。夕焼けの光が強く降り注ぎ、枯れ草をオレンジ色に染めている。
空のグラデーションが幻想的で美しかった。黄金色に似たオレンジと光の白、一部ピンクにも紫にも似た赤みと、雲の影。
 
そよ風に吹かれながら空を見上げたアールは、どこか胸がキュッと締め付けられるような懐かしさと寂しさが混じる感情に戸惑いを隠せずにいた。油断すれば涙が溢れてくるような切なさがある。
 
オレンジ色に照らされた枯れ草を分けるように一本の道が真っすぐに伸びている。アールにはどこからが村だったのかわかるはずもないが、もしかしたらこの道の始まりが今は無きムゲット村の入口だったのではないだろうかと思う。
 
一本道を歩きながら、遠くに見える山や森を時折見遣った。周囲には木片などといった家を建てる材木はない。本当にここに村があったとは思えなかった。
 
砂利道を歩く音が虚しく響く。
暫く歩き進め、足を止めた。枯れ草だらけだと思っていた先に突然現れた花畑。
アールは駆け足で近づくと、花畑の中心には十字の板が立っていた。
 
「お墓……」
 
花の殆どが、イエロー・ル・シャグランだ。
目を懲らして遠くを見遣ると、ぽつりぽつりと十字の墓が見える。それぞれの周囲に花が咲いているが、今アールの前にあるお墓の周辺は一段と色とりどりの花が咲き誇っていた。
 
十字の板を眺め、誰かの名前が彫られていることに気付く。
ふいに、グリーブ島でデイズリーから貰ったシャグランの種を思い出した。ポケットから取り出し、蒔こうとした手を止めた。
 
──きっと花を植えて種を蒔いたのはヴァイスだ。彼は何を思いながら種を蒔いているんだろう。そう思うと無闇に他人である自分が種を蒔くのは違うような気がした。
 
アールは花の種を袋に戻し、シキンチャク袋の中をあさってピンク色のゴムで口を縛った。本当はリボンで絞りたかったが、そんなもの持ってはいなかった。
ピンク色のゴムは化粧ポーチに入れてあった。ただ袋を結んで縛るよりは、ピンク色のゴムで縛ったほうが“ゴミ”には見えないはずだ。
十字の墓に添えるように置き、手を合わせた。
 
「どなたか存じませんが、勝手にお邪魔してすいません。少しでも安らかな眠りが訪れますように」
 
ムゲット村にヴァイスの姿はなかった。
アールは来た道を戻り、ゲートからモーメルの家へ戻ると、いなかったことを報告した。モーメルは特に困った様子もなく、「そうかい」と答えただけだった。
室内に戻っていたミシェルが2人分の紅茶をテーブルに運んできた。アールは席に座り、ミシェルとの会話を楽しんだ。
 
━━━━━━━━━━━
 
ムゲット村の手前にあるゲートが開いた。
そこに現れたのはアールと入れ違いに来たヴァイスだった。
 
束ねられた長い髪を風に靡かせながら、無言で村の奥へと足を進めた。そしていつもの場所で立ち止まり、どこか切なげに十字の墓を見遣った。
婚約者だったスサンナの墓だ。
 
その場に腰を下ろそうとして気づく。見慣れないものが愛する女性の墓に添えられている。眉をひそめ、怪訝な表情でそれを拾い上げた。──シャグランの種が入った袋だ。
 
オレンジ色に染まる枯れ草の上を柔らかな風が撫でるように流れた。
 
誰がいつなんの意図があってここに種を置いたのだろう。あまりいい気はしなかった。周囲を見遣り、人の気配を探したが特に感じない。
ふと、足元を見遣った。そして気付く。まだ新しい自分以外の足跡がある。
 
ヴァイスは片方の膝をついてしゃがむと、足跡をよく見た。小さい靴の足跡だが、小さな子供程ではない。足跡がまだ残っているとなるとさほど時間は立っていない。
 
「…………」
 
心当たりがある人物は一人だけ。
ヴァイスはピンク色のゴムを外すと、まだ花の生えていない場所に種を蒔いた。
蒔き終えると小さなため息ひとつこぼし、幻想的な空を見上げた。その血のような彼の赤い瞳は、どこか優しげに見える。
 
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「いや、もふいいよ、しゃすがにふとふし(いや、もういいよ、さすがに太るし)」
 と、アールは口の中にマシュマロを詰め込んでいた。
「もっと食べて? 作りすぎて困ってて。まだあるの」
 と、ミシェルは台所に行き、瓶に入っているマシュマロを持ってきた。
 
テーブルにマシュマロ入りの瓶が三つ。
 
「ふくふぃすぎ(作りすぎ)……」
「マシュマロが食べたいと言ったら大量に作りはじめて勘弁してほしいね」
 と、モニターに向かったまま言うモーメル。
「納得いくものを食べてもらいたくて」
「なふかきもひわうくなっけきか(なんか気持ち悪くなってきた)」
 と、アールの頬はヒマワリの種を溜め込んだハムスターのように膨らんでいる。
「コーヒー飲んで!」
「もふぎゅーふんこんが(もう十分飲んだ)」
 
大量のマシュマロを飲み込む為に紅茶5杯、コーヒー3杯飲んでいる。
 
「じゃあ残りのマシュマロはみんなに持って帰ってくれる? カイくんならきっと食べてくれそうね」
「……ん」
 
──飲み込めない。
と、アールは目が虚ろになっていた。もう喉を通らないのだ。無理に飲み込もうとしたら吐いてしまいそうだった。
口の中で溶けたマシュマロが舌に纏わり付いて喉へ流れてゆく。
 
「うっ……しょおしょおかえいまふ(そろそろ帰ります)」
 
アールは3つの瓶を抱えてミシェルとモーメルに頭を下げると、家を出た。
吐いてしまう前にゲートへ向かおうと慌てた足は直ぐにピタリと止まる。
 
「……ふぁいふ(ヴァイス)」
 
断崖絶壁にヴァイスが立っていた。彼はゆっくり振り返り、アールを見遣った。
両脇にマシュマロの瓶を抱えて、口はパンパンに膨れ上がり、走り出そうとした格好で停止したアールは涙目だった。
 
「……食いしん坊だな」
「…………」
 
アールは一先ず瓶を足元に置き、両手で口を塞いでモグモグと顎を動かした。鼻から抜けるマシュマロの香り、半分溶けてどろどろのマシュマロが口の中で混ざり合う気持ち悪さに嘔吐(えず)いた。
シキンチャク袋から水筒を取り出して水をゴクゴクと飲んだ。水分を取りすぎてお腹はたぷんたぷんだった。
 
アールが死に物狂いでマシュマロを飲み込んでいる間、ヴァイスは黙ってそれを見ていた。
 
「うっ……ミシェルさんが……大量にマシュマロをつくったみたいで……」
「お前は何しに来たのだ?」
 と、ヴァイス。
「あ、モーメルさんに呼ばれて。渡したいものがあるからって」
「なにをだ」
「……まぁ、いろいろと。いや、ほんとだよ? あ、うん。モーメルさんに呼ばれたから来ただけ」
 
動揺してしまったのはムゲット村へ行ったことを思い出したからだ。後になって少しうしろめたくなる。
 
「それだけか?」
 と、ヴァイスはからっぽのビニール袋とピンクのゴムを見せた。
「……え、なに? それ」
 嘘を意識すると嘘が下手になる。
「村に足跡があった」
 ヴァイスはつかつかとアールの目の前まで歩み寄り、袋とゴムを渡した。「お前の靴の足跡がな」
「……はい」
 観念し、受け取った。
「あの場所にはもう二度と来るな」
「え……」
 と、アールは不安げにヴァイスを見上げた。
「勝手に入るな」
 ヴァイスは冷たく、突き放す言い方をした。
「あ……ごめん、あの、モーメルさんが……いや、私がその……」
 
モーメルさんに頼まれて、と言おうとしたものの、実際そうであっても言い訳になると思い、言えなかった。
ヴァイスはおどおどとしはじめたアールを見て、少し言い方がきつかったかと視線をそらした。
 
「あれは私の婚約者、スサンナの墓だ。悪いが……お前に限らず他人に足を踏み入れてもらいたくはない」
「う、うん。そうだよね、ごめんなさい」
 
アールはビニール袋をゴムと一緒にくしゃくしゃにしてポケットに突っ込んだ。
 
「ごめんね、もう行かないから……」
「…………」
「約束する。ヴァイスいるかなーと思ってちょっと見に行っただけで、ついでにデイズリーさんから種を貰ったこと思い出して……旅してたら蒔くとこないからと……思って」
「私は別に怒っているわけではない」
「……うん」
「たからあまりそういう顔をするな」
「…………」
 
ヴァイスを見上げたアールの顔は、叱られた猫のようだった。耳を垂らし、黒目を真ん丸にして、怯えている猫。
 
「ごめん……変な顔で……」
「…………」
 

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