voice of mind - by ルイランノキ


 カスミ街と海35…『ドーパミン』


──恋をすると綺麗になるというけれど、見た目だけじゃなく心の中も変わるのかもしれない。
 
人は恋をすると心にどういう効果が現れるのかな。
 
オキシトシンという言葉を聞いたことがある。人と人の繋がりに関係してくる大切なホルモンだ。恐れや不安、メンタル不調を癒す働きもあると言われている。
母が子の頭を撫でたり、恋人同士抱きしめあったりスキンシップをすることで分泌される。
シェラに抱きしめられたとき、きっとオキシトシンが放出されていたのかなと思う。心から全身に温かいものが広がってゆく感覚があったのを覚えてる。すうっと楽になってゆくような感覚。
 
それからドーパミンという快楽を司る脳内物質。
ドーパミンが減ると何かしようと思っても身体が動かなくなる、なにをどうしたら動けるのかわからなくなる、身体が震え、なにも出来なくなる。物覚えも悪くなり、行動が鈍くなる。無力感に襲われる。
逆に多くなると、精神分裂病の症状が起きる。
 
そんなドーパミンも恋をすると放出され、爽快感から何でも出来そうな気分になる。
 
エンジェルも恋をして、自分の中でなにかが変わったのかもしれない。
 
恋をしただけで生き方や在り方が変わるのは女だけなのかな。
私も恋に左右されていた。
雪斗と付き合い始めた途端に色々がんばれそうな気がして。ちょっと言い合っただけでその日は仕事に身が入らなくて。
 
だからきっと、電話だけでも繋がって、たった一言「頑張れ」とか「待ってる」って言ってもらえたら、どんなに辛い今も、簡単に乗り越えられそうな気がするよ。
 
──そんなことを言う資格なんて、もうないのかもしれないけれど……。

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ルイは街中を走り回り、結界で閉じ込めていた住人を解放して回った。
アジトにいた十五部隊は子供たちが避難しているツリーハウスへ向かう。先頭をゆくのはエンジェルだ。アールも後からカイを連れてツリーハウスへ向かった。
 
アジトに残り、物思いに耽っていたファンゼフに声を掛けたのヴァイスだった。
 
「あんたの仲間が死んでいるようだが」
「……なんの話じゃ」
「倉庫に死体がある。火炙りに合ったようだ」
「…………」
 
ファンゼフは眉間にシワを寄せ、足速に倉庫へ向かった。
開けっ放しの倉庫の扉。外から流れ込んだ風が循環し、幾分か異臭は減っていたが、それでも一歩中に入れば顔を歪めずにはいられない。
 
「誰がやったんじゃ……」
「さあな」
 
ファンゼフは遺体の横に腰を下ろし、亡くなった部下の懐を探った。
 
「……無くなっておるな」
「なにがだ?」
「アーム玉じゃよ」
 
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数分前、シドは足元に転がっているアーム玉を拾い上げた。血に塗れたアーム玉を、袖で拭いた。
 
受け付け所の屋上は赤黒い血が四方八方に飛び散っている。シドは血で汚れた刀を一振りし、鞘に仕舞った。
 
ハングはログ街で出会ったエルナンと、ブラオに着く前の荒地で出会ったクラウディオと同様、腕に刻まれた属印によってその身体は木っ端みじんに飛び散っていた。
 
シドは誰もいない受け付け所のトイレに入ると着ていたツナギを脱ぎ、顔や髪についたハングの血や肉片を拭って新しいツナギに着替えた。
ハングの血がついたツナギが便器の中に押し込み、小島を出た。
 
橋を渡りながらルイに電話を掛ける。
 
『シドさん? なにかありましたか?』
 と、ルイは電話に出るなり不安げに訊いてきた。
「いや、こっちは終わった」
『終わった?』
「ハングは死んだ。木っ端みじんに自爆した」
『……そうですか』
「アーム玉を手に入れた。ハングが持っていたものだ。いるか?」
『…………』
 ルイは暫し考えていた。
「念のため持っておけよ。魔物を操れるだけの力はあるだろ」
『わかりました』
「お前今どこにいんだよ。まだアジトか? 女はどうなった? 死んだか」
『生きてますよ。ご無事です。アジトにはまだ十五部隊の一味が身を潜んでいるような気がします。どうしますか?』
 
シドは橋を渡り終え、足を止めた。
ヴァイスが撃った十五部隊男性部員の遺体がふたつ転がっている。
 
「人手が必要なら行くが」
 と、シドは遺体の横にしゃがみ、彼等がアーム玉を所有していないか懐を探った。
『まだわかりませんが、厄介なことになりそうなら連絡します』
「わかった」
 
シドは電話を切り、手に入れたアーム玉をポケットにしまった。そして、遺体となった彼等の手首に刻まれていた属印が光を放つのを見遣り、その場を後にしたのだった。
 
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マスキンがかつて実験台として使われるために飼われていた茅葺き屋根の家に、エンジェルがいた。
開けっ放しにされた玄関に腰掛け、外を眺めている。
 
そこに声を掛けたのはアールだった。
 
「エンジェルさん、なにしてるの?」
 
エンジェルは玄関の前に姿を見せたアールに、溜息をついた。
 
「考えごとよ。──この街には保育所や学校がないの。アジトを改装して子供たちに勉強を教えられる場所に出来ないかなと思って。人手は足りてるし」
 
ツリーハウス内では十五部隊の一味が必死に怯えた子供の顔色をうかがっている。おどけて見せたり、優しく微笑んでみせても子供たちの警戒心はなかなかとれない。
 
「いい仲間ですね」
 と、アールはツリーハウスがある森を見遣った。
「それ、厭味? あんたのほうがいい仲間持ってるじゃない」
「否定はしないよ」
 と、アールは微笑んだ。
「あんたはいいね、仲間に大切にされて。──私なんて今は“死”を抱えているからお情けで協力してくれているようなもんだよ」
「死……?」
「裏切り者だからさ、私。裏切り者は消されるんだ」
 
エンジェルは立ち上がり、外に出た。
 
「本物か影武者か知らないけど、見たことはあるんでしょ? ムスタージュ組織の仲間が死ぬところ」
 
アールは黙って頭を振った。
属印者が消された瞬間を見たことがあるのはシドとルイだけだ。
 
「ないの?」
 エンジェルは微かに笑った。
「回避出来ないの……?」
「回避出来たら簡単に裏切る者が増えるでしょ」
「でも……裏切ったって言っても、組織を抜け出そうとしたとか、仲間を殺したとか、そんなんじゃないでしょ?」
「どこからが裏切りかなんて、上の判断で決まる。例えば組織を逃げ出しても消されない奴がいたかと思えば、ちょっと一日仕事をサボっただけで消される奴もいる。腕がある奴ほどちょっとしたことなら許される。いてもいなくてもいいくらいの雑魚ほど簡単に消されるんだ」
 
エンジェルは家の裏にある柵で囲まれた小屋まで歩いた。アールはその後ろをついて行く。
 
「──ねぇ、どこからが浮気だと思う?」
 と、エンジェル。
「へ……?」
 思わぬ質問に、拍子抜けしたアール。
 
エンジェルは柵の前に立ち、囲いの中を見遣った。草が生い茂り、白い小さな花が咲いている。
 
「いや、さっきどこからが裏切りかなんて上の判断で決まるって言ったじゃん? 私。その流れでふと思ってね。女子部員が集まったときとか意外とこういう話になんの。──あんたはどう思う?」
「私は……」
 

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©Kamikawa
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