voice of mind - by ルイランノキ


 カスミ街と海29…『助ける』


人には出来ることと出来ないことがある。
したくても出来ないことがある。
しなければいけないことに気づけないときもある。
 
そんなときに、誰かが代わりに率先してやってくれたら有り難い。
誰かが代わりにしてくれてもそれに気づけなければ、ありがとうも言えない。
 
後で気づけて、後で知れてよかった。
この時はまだ、気づけなかったけれど。

━━━━━━━━━━━
 
時刻は午前7時。
 
カスミ街は苦痛や恐怖に満ちた悲鳴に包まれていた。
路地裏を走り抜ける母と子。母親は赤ん坊を左腕に抱いて、右手は4才になる娘の小さな手を掴んでいた。
 
「ママいたい! いたいよ!」
「はやくッ……ちゃんと走りなさいッ!」
 
娘が躓いても母親は手を離さず、足も止めなかった。そのせいで娘は引きずられ、膝は擦りむき、痛みに叫んだ。
その背後から黒い獣が追い掛けて来る。
 
「ママいたい! 離して! いたいいたいよ!」
「だめ……だめ……」
 
路地裏の出口に差し掛かったとき、黒い獣が道を塞いだ。驚いた拍子に足が絡まり、赤ん坊を守るように倒れた母親は地面に顔を打ち付けた。
 
「ママッ……ママッ!」
 
後ろからも前からも黒い獣が迫ってくる。
母親は泣き叫ぶ赤ん坊と娘を両腕に抱いて、身を屈めた。
 
「大丈夫、大丈夫よ。大丈夫大丈夫……」
 
両サイドから黒い獣が飛び上がった。子供を守るようにうずくまっている母親の首を噛み切ろうと口を大きく開けたが、その顎は建物の上から飛び降りてきた男によって砕かれ、二匹の獣は弾き飛ばされた。
 
「……もう大丈夫ですよ」
 
突如現れたのは息を切らしたルイだった。額から汗を流している。いつもの爽やかなルイとは打って変わり、険しい表情を浮かべていた。
 
「暫くここにいてください」
 
ルイは親子を結界で囲むと、すぐにその場を後にした。
 
子供を守り死を覚悟していた母親は一気に肩の荷が下りて、結界の中でうなだれ、泣いた。そんな母に娘は「ママ…」と優しく抱き着いた。
 
──カスミ街を魔物が徘徊している。
ハングが前もって仕掛けていた罠が発動し、アジト内の倉庫にいた魔物達が街の白い壁から飛び出してきたのである。
 
シドは前方に現れる魔物を次々と倒していき、刀は魔物の血でベットリと汚れている。血を払う暇もない。
 
アジトの倉庫にいた子供たちは全員無事にヨーゼフのツリーハウスに移動していた。その直後に騒ぎは起きた。
アールは剣を構えて街へ戻り、手当たり次第に魔物を斬り裂いた。ハングの姿を見通しの良い場所から捜すため、建物の階段を駆け上がる。
 
一方、ヴァイスはまだアジト内にいた。気掛かりなことがあったからだ。
アジト内の倉庫は全部で20。南京錠の鍵が掛けられている倉庫と、扉が開いている倉庫があるが、一カ所だけ、鍵が掛けられていないが扉がしまっている倉庫がある。──19番倉庫だ。
使われていないのか、鍵を閉め忘れたか。アジトにいたはずの見張りが一人もいないことにも疑問が残る。
 
なにもなければそれでいい。ヴァイスは銃を構えて19番倉庫の扉を開けた。
鎖でぐるぐる巻きに縛られ、ガムテープで口を塞がれているエンジェルが倒れていた。無造作に切られた髪が散らばっている。
 
ヴァイスは近くまで歩みより、銃口をエンジェルの頭に向けた。
エンジェルは横に倒れたまま微動だにしない。一点を見つめたまま、呼吸を繰り返している。
ヴァイスは暫し考えてから銃をガンベルトに収め、片膝をついた。
 
「大丈夫か?」
 と、ガムテープを剥がす。
「うっ……あんた、だれ?」
「…………」
「……あぁ、あいつらの仲間か」
「立てるか?」
「は? 無理でしょ、縛られてるんだから」
 と、エンジェルは痣だらけの顔で笑った。
「……そうだな」
 
ヴァイスは黙って彼女に手を貸した。
鎖を解いてやると、エンジェルはふらつきながら立ち上がった。
 
「あんたらおかしいね。敵を助けるなんてさ」
 と、エンジェルがヴァイスを見遣るといつの間にか銃口を向けられていた。
「……なんだ、一応警戒してるんだ?」
「ルイたちが子供を逃がした」
「……そう」
「ハングという男が見つからないようだが、知らないか?」
「……知らない」
「他の連中は」
「知らない」
 と、エンジェルは淡々と答える。
 
ヴァイスはため息をつき、銃を下ろした。
 
「助けたのは無意味だったようだな」
 
そう呟いて倉庫を出て行こうとしたヴァイスに、エンジェルは言った。
 
「ロンダの居場所ならわかる」
「ロンダ?」
「うちらの……第十五部隊の隊長。ハングは副隊長なの」
「どこにいる」
「東の森。東の森の奥に屋敷がある。そこにいる」
「…………」
 
━━━━━━━━━━━
 
「アールぅー援護しにきたよぉー」
 
首に掛けていた武器を外して、鞘に入れた刀剣を腰に挿し、3階建ての屋上にいたアールは驚いて眼下を見遣った。
カイが建物の周りを走りながら上にいるアールに手を振っている。後ろからは黒い獣がカイを追い掛けている。足の速さは同じくらいだろうか。カイが援護しに来たのも驚きだが、援護しに来たというより余計な仕事を増やしに来たようにも思える。
 
アールは3階の屋上から飛び降りようとしたが、急に足がすくんだ。
グリーブ島で高い堤防から飛び降りたときは足から頭にかけて電気が走ったようにジーンと痺れた程度だったが、冷静なときほど足がすくんでしまう。
助走をつけて手前の2階建ての屋上に跳び移ってから、下へ下りた。我ながら忍者にでもなったようで気分がいい。
 
カイが走ってくる。アールは剣を構えた。
 
「アールぅ! シド並の身軽さを身につけたんだねぇ!」
 と、カイはアールの横で足を止めて彼女の後ろに身を隠した。
 
喉を鳴らしながら走ってくる獣を目で捉え、剣を振るった。飛び上がった獣は剣の刃によって真っ二つにわかれた。
 
「斬れ味がよくなったような気がする……」
 浮かない表情でそう言い、腰に差していた鞘に武器を仕舞った。
「苦しむことなく死ねるんだ。苦しみながら死ぬよりはいいよぉ」
 と、カイ。
「まぁね……でも私なら上半身と下半身を真っ二つにされて死ぬよりは苦しみながらでも形を保って死にたいな」
 
そう言い終えて、しまったとカイを見遣った。
 
「ごめんカイ……」
「大丈夫だよぉー」
 と、カイは無理して笑った。
 
タケルの死を思い出させてしまったことを、アールは後悔していた。アールは直接タケルの死を見たわけではないが、話を聞いた限り酷い死に様だった。
 
「死に様を気にするのは人間だけかもねぇ……」
 カイはそう言って真っ二つにされた獣を見下ろした。「いつか死ぬということを知ってるのも人間だけかもねぇ……」
「…………」
 
アールはカイの隣に並び、一緒に息絶えた獣を見下ろした。
 
「そう思ってるのは人間だけかもね。他の生き物の気持ちなんてわかりっこないんだから。──マスキンは別だけど」
 

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